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高山集いの会の思い出

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2019年 6月10日(月)20時21分8秒 zaqd37c3a05.zaq.ne.jp
返信・引用
  愉人です、皆さん如何に、お過ごしですか、私、6月8・9日に高山での集いの会に参加して来ました。

今年初めての高山で、令和になっての新年の親神様への挨拶に行かして頂きました。

半年も遅くなっての参拝です、色々な思い、特に遅くなった説明、理由等を考えながらの気分は暗い道中でしたが、高山に近づいてくるとワクワクする思いが沸き上がり違う世界への突入と言うか、明るい思いに浸ってまいりました。

そして、いよいよ到着、親神様への挨拶が済み、よく参られたとの労りの、お言葉を戴いた後、やっぱり質問が飛び込んでまいりました。

その言葉とは、心が読まれまくりの状況と言いますか、何の抵抗も出来ずの言葉でした。

その言葉は「言い訳でも良いから来る時期が遅くなった事を説明せよ」と言われました。
考えていた言い訳なども出来ず、只々お詫びするだけで、日々、サボって居りました、としか言えませんでした、正にグゥの音も出ない状況です。

後は時間が早く過ぎるのを願って居りました。
最後に今日の直会は、祈りに祈って、数多くの神々に参加して頂く様に祈れと言われ、「夜を楽しみにしている」と言われ、親神様との挨拶を終えました。

さぁ夜です直会です一言で言えば凄い直会です数多くの神々が訪れ次から次へ話をなされ、神ノ大元ノ大神様の言葉を、お伝えに来られた神様まで居られ、私共人間に、お伝えを聞かせて戴ける幸せを感じて居りました。

是も神様のお言葉を中継出来る会員の方が居て下さるから、神ノ大元ノ大神様が選ばれた、この方が居て下さるからこそ、お話が聞ける幸せを感じました、神様の言葉を伝えて戴ける、この会員を大事に大切したいと、改めて思って時を過ごしました。

まぁ当然サボっていた私に言葉を掛けて戴きました、神の仕事を前に進めるようにと、私に優しく丁寧に解り易く説明して戴いた神様も居られ、今後、私達のやるべき仕事を再認識させて頂きました。

その内容は、神ノ大元ノ大神様の御名を弘め、神ノ大元ノ大神様、そして神々様の存在を知らしめる事。
神の示したる言葉、神の教え、神の思いを後世の人間に残す事。

改めて閲覧されている皆さんに伝えます。
我々、神周士の会(カミアマネシモノノカイ)は宗教では有りません、救世主でも有りません、予言者でも有りません。
只々、神ノ大元ノ大神様の存在を知らしめる為の活動をするのと、人間と神々との付き合い方、接し方、氏神様への挨拶の大切さを示しているだけでございます。

しかし、この活動の中に於いて体験する事は今迄の人間では経験していない事々で御座います。
神々の言葉を伝えて戴ける方が居る事で、神々と杯を交わさして戴き、神々までも神同士の杯を交わす等、前代未聞の事と言わしめる状況を体験しております。

翌日、帰路に就く挨拶に親神様の所に行きましたら、昨晩の事を言われ、前に進める様に活動をし、ムダな時間は過ごさぬ様に言われ見送られました。

後、思い出して見れば、来年は巡り巡る事が多い年に成ろうと、今年サボった埋め合わせが有るような言葉も戴きました。

次回は何時、親神様に会いに来れるか楽しみな気持ちに成って高山を後にしました。

今回も、ありがたい事に念押しに言われたのが、神との約束をしたとハッキリ言いきられました。
その時、恐怖を感じたのと同時に、人間で有る私が神と約束が出来ると言う感動も覚えました。

直に神様と約束しちゃいました私。

今回の高山集いの会を終えて思う事は、サボッて居ても、ズーと神様が見守って戴いて居た事や、直会に神々と供に過ごさせて戴いた幸せを家に帰った今も、時間が過ぎれば過ぎる程、感謝の思いが沸き上がって来る、集いの会でした。

神ノ大元ノ大神様、高山集いの会での過ごさして戴いた有意義な時間、凄く楽しかったです。

神ノ大元ノ大神様、神(まこと)に、神(まこと)に、ありがとうございました。
 

荒れ事の日々

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2019年 6月 3日(月)02時21分47秒 zaqd37c3a05.zaq.ne.jp
返信・引用
  ご無沙汰しております、愉人です、六月を迎えました。
皆さん新しい月になりました、氏神様への挨拶行かれましたか、神様への挨拶大切ですよ。

令和の時代を迎えさせて戴きましたが荒れ事が起きていますね。

特に幼い子供たちの惨事が二つも有りました、一つは横断歩道前の安全地帯に居ても車が飛び込んで来る、車道より離れた歩道、それも安全地帯に待機している子供達に、絶対安全だと思っていた所へ。
又、もう一つは、通学バスを待って居る子供たちの列に、凶器を持った犯人が子供たちに襲い掛かる、教職員も保護者も子供たちの安全を願って見送りに来ている方達を蹴散らしての凶行が起こる。

二つとも絶対安全だと思って行っていた日常の行動が、安全では無かった、安全だと思う大人たちの我が有ったのでは無いかと思います。

早く走りたいから、早く右折したかったからと言う、我が有り、自分の感情を満足さしたかった我が有るから子供達、人々を襲う。

犯人だけが我儘を通しているのではなく、普段日々行う事にも我が入ってるような惨事が起きたと思います。
善悪では判定出来ないですけれど、日々の過ごし方にも我が入れば、安全が崩れ、惨事が起きて来るんだと思います。

日々、これで絶対安全だと思い込まず、もっと良い方法は無いかと我を出さずに行動しなければ、もっともっと、荒れ事が起きる日々が多くなるでしょう。

皆さん、積極的に行動するのは良いと思います、しかしそれが我に成らないように、気を付けましょう。
人間には絶対は有りません、油断なき様、自分自身が我を作らない様に頑張りましょう。
 

(無題)

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2019年 5月11日(土)12時16分27秒 i114-184-210-114.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  最近ネットニュースで、なぜ心霊番組は無くなったのかという見出しがありました。
読んでいくと一人の女性霊能者が多数の番組に出演していた当時、某カルト教団が数千人の負傷者を出すバイオテロを起こし、そのカルト教団がオカルトまがいの活動をしていたことから、メディアが心霊というものから離れていったとありました。

その後もちょこちょこですが、あの家には霊が出るから泊まって撮影だの、どこそこには、夜な夜な霊が出るから霊能力者を同行してタレントと一緒に夜に撮影などという番組はありました。

ただこれらの番組でよく放映されていたのが、同行していたスタッフに異変が起こり、謎の吐き気だとか、震え、痛みなどの症状が出ていた事も多々あったと記憶しています。

なぜこの様な現象が起こるのか考えたことはありますか、例えば酷い頭痛で動けない時、その状態を知らない人から何度も呼ばれたらどうでしょう、呼んでいる人に対して、いつまでも平常心でいられるでしょうか、いらいらが溜まり危害を加えることがあるかもしれません。

もしもどこかで霊が出るという話を聞いたならば、その霊がどんな状態かなど誰にも知る由がありません。先程書いたような頭痛程度のお話では済まされない状態だという認識を持つべきなのです。それは、日頃のニュースを見ていたら誰にもでも分かる通り、惨い殺され方をした方は沢山います、殺され未だに見つかっていな方々もどこかにいるかも知れないんです。

そのような場所に、霊が出るからと遊び半分で行ったらどうなりますか。
ただでは済まされないのが明白ではないでしょうか。

目に見えないものへの関心は、少なからず誰もが持っています。でも、領域を侵してはならないんです。
霊に興味を持つことは危険な事だと思ってください。
行くべきではないのです。

目に見えないものへの関心は、氏神様へ向けてください。
目には見えないけれど、氏神様は人間の御守護をしてくださっています。
令和の時代は、自分自身を正さなければいけない時代かも知れません、今一度自分が生かされている事を考えて、どなたに感謝するべきなのかを考えてみてください。
 

令和の時代が来ました

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2019年 5月 1日(水)09時08分4秒 zaqd37c3a05.zaq.ne.jp
返信・引用
  ご無沙汰しております、愉人です、令和の時代が来ましたね。

神ノ大元ノ大神様、令和の時代を迎えさせて戴き、神(まこと)に、神(まこと)に、ありがとうございます。

皆さん、五月一日、氏神様に新しき月と新しき令和の時代を迎えさせて戴いた感謝と挨拶に行かれましたか、令和の時代の初詣です、是非に行ってください、挨拶が大切ですよ。

神様と人間の繋ぎ役、霊的能力を持っておられる方も神様との繋ぎ役かも知れませんが、天皇家は神様と人間の繋ぎ役として縄文時代以前より人々を導いて来られた、み役を持った方々、その新しき、み役を継ぐ令和天皇と歴代の天皇に感謝をし、新しき天皇に畏敬の念を持って、激励と称賛を送らせて頂きます。
神(まこと)に、神(まこと)に、ありがとうございます。
 

時(トキ)続

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2019年 4月 1日(月)16時29分59秒 zaqd37c3a05.zaq.ne.jp
返信・引用
  愉人です、春、四月を迎えました。
皆さん新しい月になりました、氏神様への挨拶行かれましたか、私は朝に行って参りました、神様への挨拶大切ですよ。

前回、時(トキ)について投稿しましたが、今回、継ぎ足しと言いますか続いて、時(トキ)について話をさせて頂きます。

私は神様に祈る時に、神ノ大元ノ大神様、全てを戴いております、神(まこと)に、神(まこと)に、ありがとうございます、と、唱えます。

時間が時(トキ)が有るからと言うか、存在するからこそ物質が形成されていると思うからです、物理的に言えば、物質を構成する最小単位が原子です。

原子の構造は原子核と電子の2つから構成されており、原子核を中心に、電子が原子核の周りを動いているイメージです。

電子が動くと言う事は時間が存在するから、a地点からb地点に移動しa地点に戻って来る動きを周ると言う事です。
移動する為には、時間が進まなければ動く事が出来ない、電子が核の周りを周れない事になります。

電子が原子核の周りを周れ無ければ物質が形成されなくなると言う事です。

時間が止まれば、時(トキ)を刻まなければ、時間が無くなれば、物質は何一つ形成されない、存在しない、宇宙も地球も生物も人間も光も存在しない、静止するのではなく時間が無くなれば、全てが無になる、無くなると言う事。
光も、どんなに早くても時間がなければ進む事も出来ない、煌めくことも出来ない。

時間の単位、長さは人間が勝手に作った基準では有りますが、時間そのものは神々がお創りに成られ司っているもの、当然、神の世界に存在する時間と人間が使う時間とは違うと思いますが、人間が存在する物質世界では時間が無ければ、全てが存在出来無いのです。

今、私たちは存在するため、生きて行くために必要な物、全てを戴いております。

時間が有るからこそ物質を形成し動かして戴いて居る、生きるために生活するために全ての物を戴いて居る事を感謝しなければならない。

神ノ大元ノ大神様、全てを戴いております、神(まこと)に、神(まこと)に、ありがとうございます。

だからこの祈りの言葉を日々、私は唱えております。

神ノ大元ノ大神様に、又、氏神様に感謝とあいさつをすることが大切と伝えております。
 

移り変わり

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2019年 3月21日(木)18時38分54秒 i114-184-210-114.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  現在私は、一年半前に中途入社した事務所で働いています。ただし、無理をして動くと病気の症状が出るので、無茶な仕事を振られない立場でという名目でしたが、誰もが無理をしないと達成できない仕事の多さで、自分も例外では無く他の方々とそれ程変わらない動きで、仕事をしてきました。

それが年が明けてから身体の調子が少しずつ良くなり、今では大分無理の効く身体になってきたなと思える様になったある日の事、以前居た会社の所員が会社に面接に来ていました。

その日、面接場を離れた社長が私の所へ来て所員の性格や仕事振りについて尋ねました。私が居るのを知った上で訪ねて来ている事は分かっていましたが、率直に、自分の思った事を告げました。

しっかりしている方で、お客さんからも信頼されていた方ですよと。

数日後、連絡があり会社に是非入りたいと申し出があったそうです。
所員の正式入社は四月からとなり、同じく三月一杯で退職する人が一人居たので、丁度の入れ替わりで、所員の入社が決まったのでした。

その他に、私が入社してからこの三月で退職する人を含め三人目が退職になった訳ですが、四月からは所員の他に去年の段階で決定していた新卒の人も同時入社が決まっています。そこで、会社としても部内の編成が必要となり、自分の仕事の振り分けについても、部内のチーフ格より話がありました。

社内で専務と新卒四年目の人がずっと担当して来た内容のもので、仕事に繋がるかどうかを計る大事なものです。私も前の勤め先で同じ事をやっていたので快諾しました。

その話が決まってホントに間髪入れずに、任される案件が飛び込んで来ました。
依頼があった日から次の日の午前中まで別件作業が立て込んでおり、開始は一日半後からのスタートになりましたが、久し振りの手応えを噛みしめながら、進めていると社長が近寄ってきて、出来たか?と尋ねてきました。

私は、まだまだ途中なのでと告げると、すかさずいつまで掛かっているだと急に怒り出しました。全然始めたばかりで、全く形になっていなかったのですが、言い訳が出来る状態ではありません。何か言わなければと思い、不確かな情報を口に出しました。すると、首をかしげて、それはおかしいんじゃないかと、詰め寄って来ました。

私もそれ以上のものは頭に入れていなかったので、考えを巡らせていると、途中でも良いから直ぐ持ってきて!と言われ、検討前の検討段階のものを持って行き、想定される多くの事を言ってその場を乗り越えようとしました。なぜなら、時間があればできる事だからです。

十分に検討して、何回も見直して、チェックして作るというスタンスで以前の会社では取り組んでいたので、そのスタンスを取り戻そうと必死でした。
すると、じゃあもう一回ちぇんと検討してまた見せてくれと、ただしスピード感を持ってやってくれよと言われ、取り組みました。

次の日は夕方から会社の寄り合いがあり社員全員参加だったので、夜遅く帰って来てからも終電まで作業を進め、寝不足と疲労で私としては全然時間が足らないと思いながらも次の日の午前中に簡潔に見直して仕上げました。

それから別の作業に入り社長が出先から戻るのを待ちました。夜になりチェックが始まりました。社長は、私が出したものを見ながら、ここはどうなっている!ここはなぜこうなった!なぜこんな事になるんだ?と怒り口調で言い、君は何年この仕事をやってきたんだ!根本からなっていないじゃないか!

それから約一時間程、色々と否定され罵声を浴びせられ、けちょんけちょんに言われました。最後に、今日はもう遅いから、自宅に帰ってからも考えてみて明日先輩がたに聞いて、午前中までに何とかしろと言われました。

私としては、やっと身体も少し戻ってきて、力が振るえる場を与えられたと思い良い所をお見せしようと躍起になっていたのと、社長の事は心から凄い人だなと思っていたので、そういう方からの言葉だったのが余計に心に刺さり、心がふらふら状態ではありましたが、とにかく進めなくてはと、大体の考えを会社でまとめて帰路につきました。

ただ帰ってからも時折塞ぎ込み、何度も落ち込みそうになりました。
妻の前では空元気を振り絞り、なんとか悟られない様にしていましたが、妻には話しておこうと思い、重い口を開き全部を話しました。
妻は話を聴き終わると私に、じゃあ首になっちゃうの?と言いました。私はそうなるかもねと言うと、フッと浮かんで来た思いがありました。

自分は何の為にこの会社に入ったのだろうかと、お金を稼ぐだけなら色んな仕事もあったけど、病気になる前にやっていた稼業に戻ったのは、どんな理由だったのか。

神様はどういう理由で自分をこの会社に送り込んだのだろうかと、色々と想いながらその日は寝ました。

次の日、妻を最寄りの駅まで送る途中車内で、社長はせっかちで、自分のいう通りにならないと、誰にでも激怒して振り回す人なんだよと言い、自分が昨夜絞られた様な情景は、何度か他の社員で見た事があると話すと、妻も今務めている会社の以前の支店長の性格が社長の性格とほぼ同じで、前の支店長の話しを聴いている様だと言い、次の様に話しました。支店長に理不尽な事を何度も言われて、何くそーって思って何度も涙して拳を握りしめたかという事と、そういう事もあってその時は苦しかったけど、なんとか頑張れたから今があるしねと明かしてくれました。

妻の話を聴いて、僕の先輩だと感じ心に響きました。

一人になり出社するまで間、妻の話しや自分に起こっている事を考え、会社の人材の入れ替えにしても、環境の変化を起こす為に神様が何かの考えがあり起こされている事で、乗り越えなければならない事が来たのかなと思い始めました。

同会員からも言われたのが、無駄に時を捨てては神様にしかられますよと、悩んでも解決しないのがこの世の中、時を刻めば必ず答えがあると。

出社する手前で、ようやく、くよくよしている時間は無い、前進あるのみ!という心に変化しました。
会社によって取り組み方は色々ですが、他の人がやれた事を自分が出来ない訳が無い、取り組み方を学びながら一つ一つ、堅実にやって行こうと思います。
 

我の神が一番

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2019年 3月17日(日)18時47分3秒 i114-184-210-114.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用 編集済
  世界には沢山の宗教が存在します。
日本にも沢山の宗教が存在しています。

どこの宗教にも過激な人又は熱心な人々がいるものです、世界の情勢を見た時宗教が火種となって戦争や争いが起こっています。
宗教とは、教えや戒律に支配される為の場ではなく、神を崇め奉る心を学び生活する事を実践する場では無いでしょうか。

国や言葉に違いはあれど、人を創造した神を語る上では同じ神を崇拝しているのと同じでしょう。また、どこの国や地域にも神話があり語り継がれています。その登場人物は名称や成り立ちが違うだけで話は似通っています。これらの神話がなぜ似通っているかと言えば、考えられるのは、出所は一つであるという事、つまり広まった地域が違うだけではないでしょうか。

どこの国の神話が最初であるとか、どこの宗教の教えが一番とか、我の神が一番とかは無いんです。
ゆえに、崇める神の御名が違うだけで求めている神は同じだという事です。
その事に気付いているのでしょうか?
宗教に関わる殆どの人々は、我の神が一番という思想で行動している事でしょう。

我の神が一番は、人間が作った偏った教えです。
我の神が一番は、他の神の教えを排除します。
我の神が一番は、争いを生みます。
我の神が一番は、我欲です。

集団になればなるほど、間違いが間違いを生み偏ったものになってしまいます。
特に日本の場合、今や月謝を払って寄り合いの場と化しているのが、宗教ではないでしょうか。
神を遠ざけてしまったのは、人間かも知れません。我の神が一番と唱えているのは、人間の教祖であり、神からの教えでは無いのです。

一人一人が目覚め神と向き合い、行動しなければ、本当の事は分かりません。
その行動こそが、ご先祖に感謝する事であり、氏神様に日頃の感謝を捧げる事なのです。
 

(無題)

 投稿者:東輪  投稿日:2019年 3月 5日(火)22時13分41秒 i220-221-58-97.s42.a026.ap.plala.or.jp
返信・引用
  時、時は色々な事に時には幸せを貰い、時には苦労を貰い、時には喜びを貰い、そして知らぬ間に真逆の時が起こりますね。
単に、時を刻み肉体が動かなくなる。神様は、何故時をお与えくださいましたか?
人間は皆自由です、皆さんが生きてる国、どこの国に居ようが与えられた自由です。
皆さんが居る国において、よその国羨ましがらず時刻を大切にしてください。
 

時を刻む

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2019年 3月 3日(日)20時18分35秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  集いの会で出た言葉です。
愉人さんもトキについて書かれていますね、私は私目線で書いてみます。
時の使い方は、人それぞれだと思います。
仕事で時を刻む、休みにぼんやりと時を刻む、食事を楽しむ事で時を刻む、眠って時を刻む、時は大昔から存在します。

今でいう1年が365日と言われ出したのは6,000年前の古代エジプト人が発見したと言われています。人と時間の関係は、オギャーとこの世に生を受け、死を迎えるまでずっと付きまとうものです。では、生まれる前はどうだったのでしょう、時と関係は無かったのでしょうか。
死んだ後はもう時を刻まないのでしょうか。

人間世界で使用する時とは違って来るのではないかと思いますが、よく言われる事から推察すれば、前世があるならば、過去のいつの時代かに生まれて自分が居たかも知れません、国を変え、身分や性別を変えて生まれ変わっているとするならば、生まれる前の時間というものが、あったと言えるかも知れません。

死んだ後に、来世があるならば、未来のいつの時代かに生まれて自分が居るかも知れません、国を変え、身分や性別を変えて生まれ変わるとするならば、死んだ後の時間というものが、あると言えるかも知れません。

ただ前世や来世がどうだか、あったか無かったのかなど、誰にも立証出来ません。
過去があり現在があり、未来がある、これは紛れもない事実です。
地球も生まれてから46億年と言われていますが、地球の時間の経過と共に、地球で誕生して進化してきた生物や動物も現在の姿になるまで長い年月、時を経て変化しています。
進化の過程を見ても時の刻みが重要だという事は明白ですが、より良い環境で馴染める様に変化して来た動物の様子を見れば、人間も時の刻みを生かし行動するべきではないでしょうか、行動した者だけが、変化を感じる事が出来るのです。

いつも通る道でも変化しているのです。
いつも会う人も然りです。
人と人との暮らしがあり時があり、成り立っている世の中です。
家でじっとしている人間には、神様は何もしては下さいません。

以前、神示しで言われましたが、何もせず行動しないのでは、神は何もしないと
外に出るからこそ、出会いがあり、繋がりが生まれ、何かを学ぶ機会を与えて戴けるのです。同じ時を刻むなら、沢山の人と出会い、また神社へも行き自分の成長の刻みを見てはいかがでしょうか。
その為の機会を沢山用意して下さっているのです。
 

時(トキ)

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2019年 3月 3日(日)18時46分9秒 zaqd37c3a05.zaq.ne.jp
返信・引用
  ご無沙汰しています愉人です、まだまだ寒いですね。
集いの会で話をして戴いた中で、時(トキ)に、ついて言われました、中々意味が深そうなので、お伝えしたくて久々に書いてみました。

ジッと、していたら、時(トキ)は来ない。
ジッと、していたら、時(トキ)は逃げて行くよ。
動いたら、時(トキ)と一緒、時(トキ)が来る、時(トキ)を刻んでいく。

ジッと、していても、時(トキ)は刻むが、その時(トキ)は、動く(トキ)時とは違うから。

だから、時(トキ)を刻みなさいと言う。
刻めば刻むほどに、自分にプラスに成るし、色んな事も有る、幸福も有る。

勿論いけない事はいけない、その中に入って行く事は、いけない、だからそこに溺れると言う事は意志が無い訳。

時(トキ)を刻めって言う。

この話を聞いて、時(トキ)とは何を示し、また、何にでも当てはめて考えられる言葉だと考え込みました。

時と言われても色々な意味、解釈、思想が有ります。
これと思う意味を列挙しますと。

過去から現在、現在から未来へと、一方的、また、連続的に流れていくと考えられているもの。
「時間」「時が流れる」「時がたつ」「時を刻む」
時法によって示される、1日のうちの特定の時点や時間帯。

時間の流れの一点、時刻、また、時刻を知らせること。
「時の鐘」「時をつくる」

時期、関心がおかれている時代や年代。
「時は幕末、所は江戸」「時の首相」
季節。
「紅葉の時」

時勢、世の成り行き。
「時に身をまかせる」「時に従う」

何らかの状況を伴った、時間のひとくぎり、さまざまな状況を念頭に置いた、不特定の時期、場合。
「時に応じた方策」「あいさつのしかたも時と場所による」

状況が明示できない、漠然とした時期。
「時には失敗もある」「時として、そんなことも起こる」

ちょうどよい機会、好機。
「しかるべき時を待つ」「逆転の時をうかがう」

重要な時期。
「危急存亡の時」

わずかな間、一時、また、当座、臨時。
「時借り」「時貸し」

定められた期日、期限。
「時を切って金を貸す」「返済の時が迫る」

行為や状態を表す連体修飾を受けて、ある状態になっている時点や時期。
「家に着いた時、母はいなかった」「幼稚園の時は、やんちゃ坊主だった」

ある状況を仮定的に表す、おり、場合。
「地震の時はどうしよう」

いつも伝えております、神社に挨拶に行く動き、神々に挨拶する、時(トキ)を刻めば刻むほどに、自分にプラスに成り、色んな事も有り、幸福も有る可能性が出来て来ると思います。

やはり行動として一番に浮かぶ事柄は、氏神様への挨拶、新しき月を迎えた挨拶に行かれましたか、まだの方は神様との、時(トキ)の刻めを作りに行かれます様にお勧めします。
 

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