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肝試しと称する行為

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年11月10日(土)16時58分38秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
秋晴れが続いていますが、来週からは寒気が入って来る様で、いよいよ寒くなりそうですね。空気がとても澄んでいて心地よい季節なので紅葉など行かれて、日頃の感謝の意を神社へご報告に行かれてはいかがでしょうか。

今日は、肝試しと称する行為というお題で話を進めて行きたいと思います。
最近ではあまりメディアでも取り上げられなくなって来ましたが、以前は、どこどこにある心霊スポットを色々と紹介して、現地に直接タレントなどが赴き体験するという番組が流行っていた時期があったと記憶しています。

当時の話で時々聞いた話では、その現地に行ったスタッフなどが次々と原因不明の体調不良になった事があるとか、この様な話を聞くとやはりその現地には何かがあるとか、心霊現象だとか、話題になり更に多くの人々が訪れる様になる事と思います。

以前当会員と今の話しと同じ様な話題になった事があり、雑談をしていました。ある会員さん曰く、突然何の許しも得ずして乗り込んで行くからああいう目に遭うんだというもの。
それを聞いた時、それは一理あるなと感じました。

なぜ一理あるなと感じたかというと、私達は神社で挨拶をする事を勧めている訳ですが、神社で挨拶をするという意味の幾つかに、挨拶をする事で日頃守って戴いている事への感謝や、これから行く先々でお守り戴ける様挨拶する事などがあります、例えば行く場所が特定されているのであれば、その場所をお守りしている各御祭神の皆様にも挨拶をした方が良いと書かせて頂いているからです。

もし何月何日に行くという事が決まっているのであれば、そこへ行く全員がそれぞれの氏神様に、どこそこの神社に何々の件でご挨拶に行かせて頂きますとご報告して、現地の傍の神社ではそこに祀られている御祭神の皆様に、何々の件でご挨拶に参りましたと挨拶して、現地へいついつ行かせて頂きますので、現地を守る各御祭神の皆様にもよろしくお伝え下さいという挨拶が出来ていれば、違った結果になっていたかもしれないという事です。

であれば挨拶をすればどこへでも行って良いのかとなります、日本に限らず世界中で、何々スポットと言われる曰く付きの場所があるでしょうが、基本的にはそっとしておくべきかも知れません。

行く、行かないかは、ご自身で考えてみて下さい。

立場上色々な話しが私達には飛び込んで来ますが、これらの全ては後ろで神々様が色々とお考えになり、起こっている事です。知っていれば防ぐ事が出来る事もある事を忘れないで欲しいと思います。
起こしている方々が、邪まな気持ちで行っているにしても、きちんとした挨拶をきちんとした礼儀で行えば神様は守って下さり、どんな邪まなものからも守って下さいます。

自分も何か経験があるとい方は是非投稿してみて下さい。
宜しくお願いします。


また何かありましたら書かせて頂きます。
 

人間と神社の係わり

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年11月 4日(日)15時04分24秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
愉人さんの投稿で氏神様への挨拶がいかに大切なのかがとても分かり易く書かれています。人間にとって氏神様に挨拶をするという事は、自然の摂理として捉えて頂き、実践して頂きたいなと思います。

今日は、神社と人間の係わりというお題目で話を進めて行きたいと思います。
神社という形式がいつ頃出来たのか、これは以前御使いの神様にお伺い致しましたが、遥か昔という事で詳しい時代は分からないと仰せでした。

色々と諸説ある様ですが、今有力な手掛かりの一つに、人間が地球上に現れ暮らし始めた頃、親を亡くした子孫が親に感謝をする対象として、祀ったのが起源ではないか言われている事です。

最も古い時代の地球に存在していたであろう者と言えば、今でいう所の○○のミコトと命名された方々では無いでしょうか、この方々が実は人間として生き亡くなられていたとしたら、その方々の子孫が祀り、代々その子孫が代わる代わる祀って行き、今の御祭神として祀られていたとしても何らおかしい事では無いと思いますがいかがでしょうか。

斬新な発想と思われるかも知れませんが、こういう事を唱えている方は結構いる様です。

それから今の認識とずれていると思われる所は、最初に住み始めた人間は、今の人間と違い、肉体を持った神だった可能性があるという事です。神代の時代があったとして、その時代に亡くなった人を祀ったのが神社の起源であるならば、遥か昔の事であり、今の人間が知る術は無いと思われます。

そうなると人間と神社との係わりは、とても長い間から続いていると言えます。親が居たから今の自分が生かされている、自分の存在は親が居ればこそ、親に対する感謝を思う時、親自体も遥か昔の神が居たから生かされていたという、神に対する感謝の思いが芽生えても決しておかしくはないでしょう。

人間と神社とは、本当はとても深い繋がりで係わっていたのかも知れません、残念な事に今に至る継承がなされていないのが現状です。

それから、神様には実は御名が無く、祀られている名称が○○のミコトと言われていたとしても、本当に祀られているのは、亡くなられた者では無く、御役で降りて来ている神様である事はお間違えの無い様お願いします。


当会では、人間が集まり生活をしていれば御役で神が社に降りて来られると言われています。今の時代に肉体を持った神は居ませんが人間の身体には無数の神々が存在します。
神社に行き、神々と繋がる事が叶えば、人間が神様と繋がり、遥か昔の肉体を持った神が暮らしていた時代と同じ様な暮らしが叶うかも知れません。

そんな素晴らしい世界はいつ訪れるのでしょうか、待ち遠しいですね。

その為には、いつもお話している通り、一人一人が目覚めなければなりません。しかしそれは一人二人では到底達成できません、日本だけでも無理です、世界中の人々が目覚めなければならないんです。

自分は一人では無い、いつも神々と一緒に行動し生かされている。
この事を日頃の生活の中でも意識して、神社に行かれる時には、全ての事に感謝して、ご挨拶をしてみて下さい。

一人でも多くの方が神社に行かれて、氏神様に感謝のご挨拶をする事を願っています。

また何かありましたら書かせて頂きます。
 

氏神様に挨拶

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2018年11月 1日(木)16時43分12秒 zaqd37c3a05.zaq.ne.jp
返信・引用
   掲示板をご覧の皆様、御無沙汰しています、愉人です。
何時も拝読して頂いてありがとうございます、この頃は投稿が留まっております、ごめんなさい。
九代さんの投稿に魅了されて、一読者として毎週拝読していました。

特に氏神様に挨拶に行く事の大切さを強調、表現しておられる事を、私も伝えたいと思います。
日々人間が、自分自身一人の人間が肉体を持って生活する為には、どれほどの数の神々と、どれほどの神々の力が、必要か。

人間が二人並べば、人間と人間の、あいだの空間には、数えきれない数の神々が居られます。
肉体の細胞に居られる神々、人間を守護、指導する神々、人間が生活する空間の自然を司る神々等。
数えられない位の神々が、人間の目には見えませんが、一人の人間の周りに存在しています。

どっぷりと、神々の中に漬かって居るのが人間なのです、神々が居なければ、生活・生存出来無いのが人間なのです。

人間が神々と繋がって居れば、日々、神々に対する感謝の想いと、挨拶が出来るのですが、繋がって居る人は、とても少ない状態です。
神々に対する感謝と御礼、お願い、挨拶を、するのに一番身近に、神様が設けてくれて居るのが氏神様の社です。

九代さんが毎回書かれている、神様への挨拶の大切さを、私も伝えたくて投稿しました。

本日より、新しい月を迎えさせて頂きました、皆さん、氏神様に挨拶に、行かれては如何ですか。
 

天国と地獄

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年10月28日(日)17時15分38秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
朝夕の気温が大分冷え込んで来ましたね。
寒い日の早朝の神社も清々しく気持ちの良いものです、是非参拝してみて下さい。

今回は、天国と地獄というお題目で、話を進めて行きたいと思います。
皆さんは天国と地獄というものが本当に存在するのかどうか、考えた事はありますか?
小さい頃見せられた絵に地獄絵図や極楽絵図などがありませんでしたか、あれは人間が人間世界で生きる為の指針とし又は方向性を修正する核として、善い行いをすれば天国に行けますよ、悪い行いをすれば地獄に行きますよという風に子供の頃植え付けられたものと捉える方も居られるのはないでしょうか。

ただ、善い行いと悪い行いがどの様なものか実際分かっていると言える方がどの位居るのでしょうか。行いには色んな状況が考えられます、人間の欲・因縁・我・身勝手、憎しみ、嫉妬等です。人間の尺度で考えれば、人を殺す事が悪い行いで人を助ける事が善い行いと捉えがちですが、本当に殺す事が悪い行いで人を助ける事が善い行いなのでしょうか、目に見えているものだけが真実とは言えないかも知れないというのが、次の様なケースです。

例えば、人を何人か殺したのに刑務所という所で保護され、朝昼晩の食事を与えられ、数十年かの刑期を終えて普通に生活をしている。同じ様な事をして死刑にされる。又は何人もの人を殺しておいて捕まらずに、普通に生活をしている。同じ事の様に見えるのに、なぜこんなに差が出るのでしょうか。

人知では到底考えられない事が、沢山この人間世界では起きています。この不可解な事はやはり神々が係わっていて、何かしらの発動があったと思わざるを得ません。

それは、生きている時に出来た因縁なのか、生まれる前の世界で起こった事の延長なのか、宗教家であれば、輪廻転生の中で過去世に因縁があって今世でそれが果たされたと言われるのかも知れませんが、実際の所は細かく解説など出来ないでしょうから、誰にも納得されない事柄でしょう。

当会のご神示では、地獄というものはあるとお聞きしております。
しかも、亡くなった方の意思で地獄を選んで行っているのだそうです。自分は生きている時に悪い行いを沢山して来たから、地獄行きは間違いないと言って行くのかどうかは分かりませんが、死んだら、天国行きか地獄行きかは、向こうで振り分けられていると思い込んでいましたのに、まさか自分で選んでいたなどと言葉が出るとは考えておらず、このご神示を聞いた時に心理的な衝撃があったのを覚えています。

では、いくら悪い行いをしてきていても、天国を選べば、地獄に行かなくても良いのか?になって来ますが、そこまで深い所は、もはや神の領域なので分かりませんが自ら命を絶ったものについては、こう仰っています。
苦しみ苦しみの世となろうに
と。想像だにしない様なとんでもなく苦しい世界なのでしょう。

人間は死んだらどうなるのでしょうか。
誰かが迎えに来るのでしょうか。
輪廻転生で何百年か後の世界に生まれ変わるのでしょうか。
先祖や先に死んだ家族とは会えるのでしょうか。
残念ながらこれらは、死んでからしか知る由もありません。

その時に、地獄を選ばない様な生き方をして行きたいなと思います。
皆様も是非その様な生き方をなされて下さい。

もっと詳しく色々聞きたいとか、この記事で何かご意見等ございましたら、どうぞ掲示板又は下記管理者までメールをお願い致します。
また何かありましたら書かせて頂きます。
 

どこかにすがる思い

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年10月21日(日)16時46分18秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
この掲示板を見て下さっている方がどの位いらっしゃるかは分かりませんが、こちらでお勧めするものは是非実践して頂きたなと思います。

今回は、どこかにすがる思いというお題目で、話を進めて行きたいと思います。
当会の記事やHPには、神という固有名詞を出していますので、読まれた方は宗教的な事を書いているのかと思っている人も居るかも知れませんが、当会が伝えたいと思っている事は、宗教的な事柄では無く、まずは神の御名を広める事、そして一人一人が目覚めて、神社に行く事が生活の一部となり、神々と集い合う生活が送れる様になれれば、もっと過ごし易い世の中になる事を広める為に色々な思いをHPや掲示板などで伝えているものです。

なので、一般的に宗教団体が行っている人集めとか悩みを聞いて、その悩みの問題解決の為に喜捨して何かを祓う等は一切行っておりません。

宗教であれば教祖が居て、教祖が出す教えを広めて人々を集め幸せを広めるという活動をしているのでしょうが、教えを出す以上は教祖はどこかの神と繋がっている必要があります。
しかし信者になる方々は、どこの神と繋がっているのかなど、考えないと思います。
教祖というのは、神と繋がる力いわゆる霊能力があり、幼き頃より神童と呼ばれていた等とプロフィールに書かれていたりするものです。

自分には悩みがある、その悩みの原因はどこから来るのか教祖に見てもらい、どこそこに悩みの種があるからそれを、この位の金額を出して祓って貰いましょうとか、祓いましたと言われれば、悩みが解消されたと思わされ教祖の教えを信じる様になる。その様な事が多かれ少なかれ行われているのが宗教だと認識しております。

果たして、悩みの種は本当に解消されたのでしょうか。
それは神のみぞ知る事であります。教祖が繋がっているという神と、悩みの原因の根本を起こしている神とは次元が違う所での話になると思われるので、安易に信用する事はとても危険だと言えます。

どこかで聞いた事が無いでしょうか、今この世に出ている宗教と言われているものを動かしている神は、蛇の神様であると。大蛇から操られた教祖であれば、小さい蛇に憑りつかれた人の病気とか、悩みが解消され易いと言われています。言ってみれば、大蛇から命令されて、離れろと言われれば力の及ばない蛇は退散するしか無い訳です。

そのカラクリに殆どの方が気付かずに、病気が治ったとか悩みが解消されたと大蛇が集める宗教にはまって行き、いつの間にか沢山の金を取られ家庭を崩壊させるまでに追いやられる。この様な事は実際に起こっている事かも知れません。

こういう事であれば益々人間から見て、教祖がどの神と繋がっているかなど誰にも分からないんですね、苦しい状態を楽にさせて貰えれば、楽にしてくれた人の言う事を聞く様になる、これは自然の成り行きの様に巧みに操られた結果なんですね。

はっきり言えば、蛇の霊であれ動物霊であれ、目に見えないものからのアプローチなので、人間としては行動の結果からしか判断が出来ないのが今の状態だと言えます。
ただ私の経験上の話をさせて頂くと、蛇の霊に操られている人間の顔は、やはり蛇の様な顔つきになっており、金と欲にまみれた生き方をしています。

そこに早く気付き、自分の生活環境が破壊される前に脱退しなければいけないのではないかと思います。

そもそも人間が作った宗教にすがる事自体に問題があるのではないかと、今は私も思います。しかしながら、戦後に生まれた殆どの人が、神社のあるべき姿を忘れ、または知らずに、祭りを行う場所であったり結婚式を行う場所であったり、初詣を行う場所であったりと、人が自分達の欲を果たす場所とした認識になってしまっている事を改める必要があるのではないでしょうか。

ニュースでも報じられておりますが、祭りの時に死者や怪我人が出ている所がある様です、神様が守って下さっていて開催されている祭りであれば、死者など出る筈がないと思うのですがいかがでしょうか、本来祭りの趣旨は自分達が楽しむものでは無く、五穀豊穣又は来年の豊漁を願い、収穫したものを神様に捧げものをする。そして少しばかりの御下がりもので関係者で祝うという事だったと思うのですが、最近では、どんどんエスカレートして、ただ単に参加者の欲を満たす為だけに行われている様に思ってなりません。

人間が勝手にやっているから、死者が出たり喧嘩が横行しているのではないかと思います。

本来の神社の姿を今こそ正し、一人一人が目覚めて挨拶に行く、氏神様が最も待ち望んでいらっしゃる事だと思います。騒々しい祭りや冠婚葬祭では無いんですね。
当会では、一人でも多くの人が神社に赴き、日頃の感謝を氏神様に伝え挨拶をする事を望んでいます。これを実践する事で、神様から自分の周りの環境を整えて頂き、周りの人も神社に行き、整えて頂くという人のあるべき姿を広げていければ神々と集い合う世界が構築されて、生きやすい世の中になるのではないかと思っております。
現在、何かの宗教に関わっている方であれ、氏神様は訪れる方全員を受け入れて下さいます。
神社には神様がおわします。


この記事で何かご意見等ございましたら、どうぞ掲示板又は下記管理者までメールをお願い致します。
また何かありましたら書かせて頂きます。
 

生きていく

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年10月14日(日)20時54分2秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用 編集済
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
少し朝夕肌寒くなってきました。日中は温度が高いですが風邪などひかれないよう気を付けて下さい。

今日は、生きていくという事について話を進めて参りたいと思います。
最近気になったニュースで、自殺した子供の母親がテレビに出ており、子供を死に追いやった相手に対して訴訟を起こす為に会見を行っていたというもの。

この番組を見た方も多いと思いますが、どの様に思われたのでしょうか。実際日本で自殺者がどれ位居るのか調べた所、平成29年度で2万人を少し上回る程居たようです。原因で最も多いのが健康問題だそうで、2番目が経済・生活問題だとHPに記載されておりました。

今回の件に限らず、学校でいじめに遭って自殺したというニュースは以前から報じられています。自殺で何がしかの抗議を行ったのでしょう。自殺をする事がいじめた人や加担した人に対し、抗議をする為の最終手段だという風潮がある様に思うのですが、本当にそうなのでしょうか。

ずっと辛かったんでしょう、誰にも相談出来ずに自分で消化出来ずに死を選んだんでしょう、しかし、自殺をするという事は、神様から与えられた尊い命を自ら絶つという事です。
自殺せずとも人間は遅かれ早かれ死を迎えます。
ただ神様は、途中で人生を投げ出して死を選べなんて言われないと思います。

これらの物事はやはり神社や神様から人が離れた結果の一つだと思いますが、神社に行って、神様に日々の感謝を行う事がいかに大事かという事は、当HPで再三投げ掛けていますよね。
それは、ただ単に神社へ行こうでは無いんです、神社に行く事で御祭神と繋がりを持ち、その繋がりを持って日々の暮らしが楽になる。神様がちゃんと生活し易い環境を整えて下さるんですね、子供に命の尊さを説く機会を与えて下さるんです。
そうすれば、家庭が明るい状態になるんです。
明るい家庭にうさん臭い物事は近づかないですよね。

もっと神社を身近なものにし、もっと神様の事を学び、死について、又は命について、家族で話し合える環境を作る必要があるのではないでしょうか。

先日聞いた話ですが、年老いて病気になり病室で死を迎えた方の家族に連絡を取ったら、引取りを拒否して病院で何とかして下さいと言われたと、亡くなられた方は家族がどこかにありながら、無縁仏の墓地に埋葬されるのだそうです。
親と子の関係が疎遠になればなるほど、この様な家庭が増えていくのかも知れません、ただし悲しい事です。
子供に命の尊さを学ぶ機会を奪っているのは、それを教えるべく親かも知れませんね。

人は神様に生かされ生活しています、日々の感謝を行う大事さ、神様を敬う心を親が先に学び、子へとその思いを繋げて行く、この当たり前の事が出来ていない人間社会が様々な悲劇を呼んでいるのではないでしょうか。

この記事で何かご意見等ございましたら、どうぞ掲示板又は下記管理者までメールをお願い致します。
また何かありましたら書かせて頂きます。
 

人体の不思議

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年10月 7日(日)16時38分45秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様三連休いかがお過ごしでしょうか。
気候も良い状態になりました。是非神社へ足を運び、日頃の感謝に出掛けてみたらいかがでしょうか。

今日は、人体の不思議というお題目で話を進めて参りたいと思います。
皆様は蚊に刺されたとか怪我をしたという時、どの様な行動をとりますか?
蚊に刺されても薬も何もつけないという方も居れば、痒み止めを塗ったりする方も居るでしょう。

どちらにせよ、時間が経てば蚊に刺された箇所も元通りになります。
では、なぜ皮膚や怪我をした所などが元通りになるのでしょうか。一般的に言えば人間に備わっている自己治癒能力が発動されるからと言えるかも知れません。
元に戻そうとする力が怪我をした直後から始まって、修復するまで能力が発揮されるという事でしょうが、元に戻そうとする力の源はどこにあるのでしょうか?

分かる方いらっしゃいますか?

元に戻そうとする力即ち、人間が生きようとする力の源は、神様ですよね。
神様によって人間は生かされていると聞いた事があるでしょうが、人間の身体の中にも神様がいらっしゃり、実は身体の至る所に神様がいらっしゃるのです。

例えばどこか怪我をしました、怪我をした所で何が起こっているのでしょう、怪我をした部分をまず止血しようという働きが出て来ます、損傷した細胞一つ一つの再生や修復が行われ、やがてかさぶたが出来て、内部で更に修復作業が行われて行き、かさぶたが取れる頃には、内部の修復を終え、新たな皮膚も再生します。

この様に怪我一つを取っても、様々な働きが人体では起こっています。
人体で起こっている事全ては、お任せ状態で過ごしていますよね。あ、もう直ぐかさぶたが出来る頃だから、細胞の修復の手伝いを自分もやって行こうなんて誰も思いませんし居ませんよね、居たらびっくりですけど。

細胞の修復や再生にも神が関わっていて、細胞の働きを司る神様もいらっしゃり、血液やリンパの流れを司る神様をいらっしゃるという事です。
細胞や血液やリンパを司る神を統括している神様もいらっしゃり、そのまた上のそのまた上のという風に人体を動かすには、沢山の神様が関わっているんです。

人体で起こっている事全ては、お任せ状態と書きましたが、誰しもが本能的にまたは無意識に神様にお任せしていると言っても過言では無いんです。修復のお任せを実は神様に行っていたんですね。
でも、これを読んだら、もう無意識では居れませんよね、怪我をして治る過程において、神様に治して戴いてありがとうございます、と言えますよね?

口に出して言うか、心で言うかは任せますが、怪我をしている所に言葉を投げ掛けるのも良い事ではないかと思っています。
感謝を表しながら、明るい気持ちで御礼を言う、これが大事な事ではないかと思います。

あまりにも酷い状態で、暗い気持ちを持ったまま絶望の縁に居ては誰も御礼なんて言えませんよね。どんなに酷い状態でも、この状態は自分の一生の間のほんの一瞬の期間に過ぎない、早く抜け出して明るく前向きに行こうと言う将来の展望を胸に抱きながら感謝の御礼をしてみて下さい。
きっと良い変化が出て来ると思います。

まだまだ理解出来ないという方もいらっしゃるでしょうが、人体には不思議な事が沢山起こるし実際に存在する事を忘れないで下さい。

これを読まれ、実践された方で変化があったよという方がもしいらっしゃれば投稿をお願いします。


また何かありましたら書かせて頂きます。
 

拝殿の前で

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年 9月29日(土)17時07分18秒 i114-184-213-23.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
台風24号が日本列島を縦断すると報じられておりますが、皆様の備えはお済でしょうか?以前掲示板に書かせて頂きましたが、本当の備えをきちんと学んで実践して頂きたいと思います。

今日は、神社での参拝でよく見掛ける光景について話を進めていきたいと思います。
当会のカテゴリーに神社と御祭神があり、その中に神社での正しい祈り方とありまして、今回お伝えしたい事の大半はここに掲載している訳ですが、今一度、大切な事なので書かせて頂きたいと思います。また、新たに最近の御伝えで出て来た事もありますので、今回発表していきたいと思います。

参拝に行って必ず見かけるものは、殆どの方々がお賽銭箱にお金を投げ入れている光景です。カテゴリー内で掲載している記事にもあります通り、賽銭箱付近まで手を伸ばしなるべく静かにお入れする事が好ましいと思います。
例えば、高価なものを購入する時に、商店主にお金を投げつけたりしていますか?
しっかりと商店主の近くまで行ってお金を渡しますよね。
人間世界でのやり取りでもきちんとした時は、それ相応の服装だったり、思いだったり、粗相の無い様に風呂敷に包むとか、封筒に入れるとか、しますよね。

自分は今どこに居て、どなたに対して物事のお願いに行っているのかをもっと考えて頂きたいなと思います。
そうすれば、お金を投げたり、帽子を取らなかったり、Tシャツ短パンだったりは、どうかと思って頂ければと思うのですが。
ただ、その方の思いが色々でしょうから、強制はできませんのでああそうかと思われた方は改めてみてはいかがでしょうか。

こちらでお勧めしているのは、封筒にきちんと入れて社務所がある所では神主又は巫女さんにご奉納お願いしますと直接手渡しする事です。
社務所が無い場合は、お賽銭箱に静かにお入れします。

以前から何度かお話ししている事ですが、神様は神社に行こうと思う者は極端に言えば、家を出る前からの思いを見ておられます。
どの様な思いで、拝殿の前に来ているのか全てお見通しです。
思いを聞いて戴けるか否かは、その方自身の行動や振舞いで変わって来るという事です。是非ともこれは読んだ皆様は、神様に思いを聞いて戴ける存在となって欲しいなと思います。

また、神社には敷地内に祠などがある所もあります。
これから書かせて頂く事は、つい先日御伝えがあった事になりますが、たとえ祠であっても、神様がいらっしゃる所です。お賽銭箱が無い所もあるでしょう、あっても入れにくい所もあるでしょう、どの様な場所であれ、10円でも100円でも500円でもお金をハダカでお入れするのでは無く、小銭が入る小さい袋にお入れして、喜捨 氏名を書いて御奉納させて頂く、又は静かにお入れするほうが良いとの事です。

我々会員も9月の参拝からさせて頂きました。
掲示板を読まれている皆様もその様にしてみてはいかがと思います。
小さい袋の折り方は、近々記事として掲載する予定ですが、折り方に決まりはありませんので、ネットで検索して小さい袋の折り方などを参考にされて、近くの神社境内に祠があるようであれば来月の参拝時に実践してみて下さい。

ただし、やるやらないはその方の自由ですので、ああやってみようと思う方は是非やってみて下さい。

皆様からの体験談メール等も待ってまーす。

また何かありましたら書かせて頂きます。
 

根の強さ

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年 9月24日(月)15時49分49秒 i114-184-213-23.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
寒暖の差が大分激しくなって来ましたね、お身体には気を付けてお過ごし下さい。

今日は、根の強さというお題目で話を進めていきたいと思います。
最近のニュースでよく耳にするのが、台風の被害で神社の御神木が倒れたというもの。私も気になって色々調べてみたところ、東日本大震災が起こる数年前より各地で御神木が根元から折れるという事態が起こっていたとか。

樹齢何百年という御神木が根元から折れるという事がどういう事か、二つ考えられると思います。一つは、倒れるその日までに起こったどの風よりも強く、耐えられなかった、二つ目は、御神木を守る神々の力が弱くなった又は無くなった。

確かにここ数年の風速を見ていると、海面温度の上昇でかなり強いものになっています。しかし、いかに強い風であっても、根がしっかりとしていれば倒れる事は無いのではと思います。それは倒れた御神木の周辺の木々が全て倒れているという訳では無いからです。

御神木と言われているものだけがピンポイントで倒れているという事は、御神木だけの話に止まらず、倒れた御神木がある神社にいらっしゃる御祭神の方々の事も関係しているのではないでしょうか。
神社がある敷地内は、本来聖域となっており、沢山の神々が色んな御役でいらっしゃり御神木を守る神様もいらっしゃると思います。
御神木が倒れるという事は、やはりそこを守る神様が不在になったか、或は僅かになってしまったのかというところに考えが向いてしまいます。

では、なぜ神々は御神木を守る事に力を注がなくなってしまったのでしょうか。
考えられる事は、守るべき人々が居なくなったのではないかというもの。
日頃お世話になっている御祭神に対して、真剣に感謝申し上げる人が居なくなったから、神々としては守るべき人間が居なくなったと思われたとも考えられます。

これは、御神木に限らず、堤防にしても山崩れにしてもそこを守る神様の力が強ければ、乗り越える波から人々が守られ、山崩れが起きにくい環境に繋がって行くとも考えられます。
ただ、災害が過去に何度も起きている場所では、違う形で神様はサインを送っていますので、もうそこを離れるしか方法は無いかも知れません。
離れたとしても命があれば何度でも再起はあります。

私達は今色んな災害にさらされた真っ只中に居ます。
貴方の住んでいる地域を守る御祭神に、守って戴く人間はここに居ますという意思表示をする為にも、日頃の感謝をきちんと行ってみてはいかがでしょうか。
根がしっかりした御神木が、これからも長く長く倒れずに守って戴けるものになる事を願います。
根の強さとは、人間が神様を慕う心の強さと比例しているのかも知れませんね。


この記事で不明点または聞きたい事がありましたら、当掲示板に遠慮なくご質問または下記管理者までメールをお願いします。

また何かありましたら書かせて頂きます。
 

明るく元気に

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年 9月16日(日)16時42分17秒 i114-184-213-23.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
神社には事あるごとに行ってみて下さい、新たな発見もあるかも知れませんよ。

今日は、明るく元気にというお題目で話を進めていきたいと思います。
私達が生活している中には、仕事上で取り返しのつかない状態になり会社を辞めなければならない状況になったり、子供が大怪我をして危険な目にあったり、難病になり治るか治らないか分からない状態に陥ったりと、様々な事柄により長期間心を痛めたり、悲しいを思いをしたりします。

その様な目に遭うと、自分の所だけがなぜ?と思い、自暴自棄になったりして立ち直れない状態になり、うつ病等になる事もあるでしょう。
なぜそんな悲しい事が起こったのか、それは自分自身がそういう目に遭わなければならない様に少しずつ、少しずつ近づいていき、そうなったとも考えられるのです。

私の体験から話をさせて頂くと、以前から関節リウマチの経過報告はさせて頂いておりましたが、今も関節リウマチは完治しておりません。
2015年10月中頃に総合病院の検査入院の結果、関節リウマチと診断された訳ですが、結果が出ると直ぐに病院を自主退院して自然療法で治したいですと主治医に話し飛び出したは良いのですが、周りに同じ様な病気で同じ様な考え方の人は居らず、本を読んだり、試行錯誤で生活をしていました。

そもそもなぜ自分が関節リウマチになってしまったのかと言えば、思い当たる所で話をすると、2013年の春頃会社の健康診断で内臓の数値がとても悪く、とにかく筋トレをしなければと、その数値を見たその日からスクワットや腕立て伏せ等自分が勝手に考えたメニューで1時間近く自主トレをやっていました。
最初は好調だったのでが、段々と身体が疲弊して行きその年の暮れには段々飽きて来て、全く身体を動かさなくなりました。

そうこうしていると、段々とその筋トレの後遺症の様なものがジワジワ来て、これは今でも覚えている事ですが、寝ている時に両膝から外へ目に見えないエネルギーが抜けて行く様に何度か思った事、その後両膝が腫れて来て、動かし辛くなっていき段々と関節リウマチというものになっていった訳です。

健康診断での数値を見た時に、実は生活の仕方を見直しなさいという合図を神様は出して下さっていたのに、自分が勝手に思い込んで最もやってはいけない40代後半の危険な筋トレに走ってしまった事が大きな要因ではないかと思っています。

話を戻しまして、診断されてからの自分の生活の基盤となるものは、神様への朝晩のご挨拶、神社への月初めのご挨拶、自分に今出来る事は最低限これしかないという思いで、ただただ行っていました。
しかし行っても、行っても、身体の痛みは痛くなるばかりで日に日に悪くなっていっている様な状態になっていきます。
段々と塞ぎ込んで行き、自分の身体が動かないやるせなさで何度も、何度も涙が出て来ては、暗く落ち込んでいましたし、当会の会員にも迷惑を掛けた事がある程です。

それからというもの、気持ちが上がったり下がったりの繰り返しで、中々自分を正常な状態に持って行けてはいませんでした。
変化が起こったのは、2017年1月頃、私の収入は傷病手当で賄っていたのですが、この手当の有効期限は受けてから1年と半年の期間と定められていて、2017年の6月分で期間満了でした。
1月のある時、出来れば4月か5月位に就職活動が出来る位に回復していたいなあと漠然と思っていました。

するとどうでしょう、明るい将来が自分の中にビジョンとして浮かんで来たんです。
以前の様にみんなと同じように働いて、同じように電車に乗って通勤する姿、1年以上もの間、最小限の人と会い、公共の交通機関とは一切関係を断っていましたので、多くの人とこれから会い、電車に乗る、これが当面の自分の夢であり、直ぐ近くにあると、希望に満ちて来ました。

それからは、亀の様にゆっくりとした時間が、徐々に元の生活に戻れる様な身体の仕組の変化が起きて来た訳です。

身体の色んな部位が正常な状態に戻っていき、4月の中旬には、今働いている会社の社長とコンタクトを取れる程に気持ちも身体も回復していました。

今書いた様に、やはり長い時間塞ぎ込む事もあると思いますが、いつまでもそのままでは無いんです。
それがいつまでもそのままであるならば、それは神様に相応の仕組を戴いていないからだと思います。

神様に仕組を頂戴する為には、暗く塞ぎ込んでいてはいけません。やはり明るく元気に神様の元にひざまずき、感謝の挨拶をする。これが大事だと私は自分の体験を持って感じました。
貴方の次のステップ、これを念頭に置き、どうなりたいかビジョンを広げ、明るく元気に過ごし、神様に感謝の挨拶をする、これが一つの奥義ではないかと思います。

これは誰にもでも出来る事だと思います。
是非とも次の仕組を戴ける様に、明るく元気に過ごして頂きたいと思います。

僕も私も仕組を頂戴しました!という方々のお便り待ってまーす。


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