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人間に与える影響

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年11月25日(日)11時18分29秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
三連休の方もいらっしゃると思いますが、今年も残り一ヵ月となって参りました。今年は、神社への参拝があまり出来なかったという方々は、是非来年からは、初詣だけでは無く、月初めのご挨拶も行かれてみてはいかがでしょうか。

今日は、人間に与える影響というお題目で話を進めていきたいと思います。
先日ニュースでインドネシア沿岸にクジラが打ち上げられており、胃の中から6kg程のプラスチックゴミが見付かったと報じられていました。死因は分からないとの事でしたが、このニュースを見た時にとても悲しい気持ちになり心を打たれたのを覚えています。

クジラや海洋生物の殆どは、人間の様にこれは食べられる物、これは食べられない物という風に選別は出来ません。海に漂っている物の中に身体に害を及ぼすものがあるなどと思ってもいない事でしょう。
どこかのコーヒー店では、ストローをプラスチック製から紙製に変えていっており、少しの人間の意識からこられの事は防げるのではないかと進めているのではないかと思います。

しかしながら、世界で輸出入がこれだけ頻繁に行われていて、各国に大量の物流が大量に流れ流されている今、輸出したものの処分法について先進国がやはり先頭になりゴミのリサイクル方や分別の方法についても同時に行って行くべきではないかと感じます。

地球の海洋と陸の割合は概ね、7:3と言われており、海が大半を占めています。その大切な海に暮らす様々な生物は、人間が排出した汚染物質にさらされている訳ですが、実は汚染物質を体内に入れた魚を我々は食している可能性があるんです。目に見えない程のプラスチック片なら、魚を食べる人であれば、既に自分の体内にプラスチック片を入れてしまった方々もいるかも知れません。

以前もお話ししましたが、人間が暮らす上で便利と思い開発されたものにより、巡り巡って人間が苦しむ事、これらの事柄は世の中本当に多いと思います。自分さえ良ければ良いという考えでは、この先立ち行かなくなる事でしょう。
私達人間は、全員が地球で育ったものの恩恵で生かされていて、美味しいと感じる味覚を持ち合わせ、沢山の素晴らしい食物が開発されました。

人間にとって必要な物は全て神々様がご用意なさり、それを改良・開発して来たのが人間ですが、人間の中にも神々様が入っているので、自然界の神々と人間の中に入っている神々とが考えて、色々な物が想像されました。
それが人間の中にある我欲で暴走し只々人間にとって便利という事で、物事が進んで行き、神々が手を入れなくなった事により色んな民族問題や食の問題、汚染が進行しているのではないかと思われます。
これから出て来るであろう、色んな問題により人間に与える影響は計り知れません。

これらを回避する術は、神々と手と手を繋ぎ、暮らす事だと考えています。人間として本当に素晴らしい暮らしやすい世界になるのではないでしょうか。当HPで掲げている神々と集い合う世界が叶う訳です。
その為には、再三お話ししておりますが、一人一人が目覚めなければなりません。
人間だけでは既に解決できない所まで来ていると思っているのですが、いかが思われますでしょうか。

海洋汚染にしろ土壌汚染にしろ原発の放射能漏れにしろ、地球にもたらされている問題は山積しています。

今こそ、神社へ行き、一人一人が氏神様に感謝する生活を送っていき、一人一人が浄化の礎になる事を望んでおられるのではないでしょうか。
神々と集い合う世界を構築する事が最も重要な事だと思います。

この記事を読まれ何か感じた方、又はご意見感想等お待ちしております。


また何かありましたら書かせて頂きます。
 

神様から与えられた空間

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年11月18日(日)10時33分9秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
今年は気候の具合から山々の紅葉が遅れているそうです。これから紅葉を見に行かれるならば、その近くの神社に行き、見に来させて頂きましたとご挨拶に行かれたらいかがでしょうか。ご自分の住む氏神様に事前にご報告を行えば、更に歓迎して下さいますよ。

今日は、先週体験した神様から与えられた空間というお題目で話を進めていきたいと思います。
先週の日曜日から火曜日まで、会社の研修で京都に行っていました。
行く数日前、会員の一人が京都ならどこかで会えるかもという連絡が入っていましたので、どこら辺で合流出来るか考えてみました。

会社全員の多数決で決まった観光場所に、伏見稲荷大社がありましたので、そこで待ち合わせる事にしました。当日、研修はとても順調に会社が決めた順路を巡り、いよいよ次は伏見稲荷大社になった時でした、あまりにも順調だった事もあり、旅行幹事の発案で次の順路である伏見稲荷大社で時間調整を取って、多めに滞在してはどうかとありました。

それを聞いた会社の代表は、伏見稲荷大社はお参りをしたら終わりなのだから、その次に行く予定の見学先を多めに取ったほうが良いのではないのかと、反論がありました。すると、その意見に対し、専務や周りの上司が今はシーズンで人が多く、中々前にも進めないので、時間は結構掛かると思いますよと、話したところ、渋々代表も意見を引っ込めました。

予定の滞在では、14:40~15:30でしたのが、実際は14:50~16:00までとなり、約20分程の余裕が出来ました。皆着くや否やバラバラの行動となり、それぞれが参拝する事になりました。とにかく凄い観光客のバスやら人やらで、交通マヒの状態の中私は、てくてく一人で進んで行き会員の方とどこで合流出来るかと思っていました。会員からは既に到着したというお知らせが届いていたからです。

手水屋の付近まで来ました、お参りの前に用を足しておこうと付近の公衆トイレに入りました。手を拭きながら出口から出ると、真直ぐ正面の15メートル先に会員を発見したんです、びっくりしながらも近づき会える事が叶いました。
今年の3月振りなので8か月振りの再会です。

一緒に伏見稲荷大社にご挨拶をしました。とても歓迎しているとの反応があったそうです。その後、お茶でもしようと、付近の喫茶店に行ってみましたが閉店していましたので、販売機の飲み物を片手に、会員の車中で色々と話す事にしました。
今回、なぜ京都に足を踏み入れたのか、その理由と、会員と会えたのか、その理由について、御使いの神様に伺う事が出来ました。

とても有難いお話を賜り、自分が行ってきた事は間違いでは無かったと気付かせて頂きました。色々と話を進めて行くうちに気付いたのですが、カミアマネシモノの会の集いの会を行う為に出会いが出来ていたのだと。
そしてこれは、本当に二人ともにびっくりした事ですが、とても長い時間話をしていた様に思い、フッと時間を見るのですが、さっきから時間が動ていないぞと共に思っていました。話ながら何度も車内時計を見ますが時間が止まっている様に感じます。とても不思議な感覚でした。そして気が付いたのは、正にそここそ、神様から与えられた空間であり、集いの会を行う時間を沢山取って戴いたのではないかと思いました。

会員の方は、仕事の休みが固定されておらずいつもは月曜日の休みが多いのですが、その日に限り、日曜日が休みだった事と自分の研修日程で日曜日が伏見稲荷大社だった事、会社の代表が幹事の発案を却下出来なかった事も、自分が会社の誰かと一緒では無く、一人で伏見稲荷大社に行った事も、さかのぼれば、会社の多数決で伏見稲荷大社に行く事になった事も全て、神様が私と会員を会わせ集いの会を開かせる為に仕組まれた事に気付かせて頂きました。

本当にきめ細やかな御仕組を賜り、有難い御言葉も賜り、ありがとうございました。
来月は今年最後の高山集いの会が開催されます。
親神様や神々の皆様とお会い出来ます事楽しみでございます。

この度は貴重な体験をさせて戴きまして、神に、神に、ありがとうございました。


また何かありましたら書かせて頂きます。
 

肝試しと称する行為

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年11月10日(土)16時58分38秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
秋晴れが続いていますが、来週からは寒気が入って来る様で、いよいよ寒くなりそうですね。空気がとても澄んでいて心地よい季節なので紅葉など行かれて、日頃の感謝の意を神社へご報告に行かれてはいかがでしょうか。

今日は、肝試しと称する行為というお題で話を進めて行きたいと思います。
最近ではあまりメディアでも取り上げられなくなって来ましたが、以前は、どこどこにある心霊スポットを色々と紹介して、現地に直接タレントなどが赴き体験するという番組が流行っていた時期があったと記憶しています。

当時の話で時々聞いた話では、その現地に行ったスタッフなどが次々と原因不明の体調不良になった事があるとか、この様な話を聞くとやはりその現地には何かがあるとか、心霊現象だとか、話題になり更に多くの人々が訪れる様になる事と思います。

以前当会員と今の話しと同じ様な話題になった事があり、雑談をしていました。ある会員さん曰く、突然何の許しも得ずして乗り込んで行くからああいう目に遭うんだというもの。
それを聞いた時、それは一理あるなと感じました。

なぜ一理あるなと感じたかというと、私達は神社で挨拶をする事を勧めている訳ですが、神社で挨拶をするという意味の幾つかに、挨拶をする事で日頃守って戴いている事への感謝や、これから行く先々でお守り戴ける様挨拶する事などがあります、例えば行く場所が特定されているのであれば、その場所をお守りしている各御祭神の皆様にも挨拶をした方が良いと書かせて頂いているからです。

もし何月何日に行くという事が決まっているのであれば、そこへ行く全員がそれぞれの氏神様に、どこそこの神社に何々の件でご挨拶に行かせて頂きますとご報告して、現地の傍の神社ではそこに祀られている御祭神の皆様に、何々の件でご挨拶に参りましたと挨拶して、現地へいついつ行かせて頂きますので、現地を守る各御祭神の皆様にもよろしくお伝え下さいという挨拶が出来ていれば、違った結果になっていたかもしれないという事です。

であれば挨拶をすればどこへでも行って良いのかとなります、日本に限らず世界中で、何々スポットと言われる曰く付きの場所があるでしょうが、基本的にはそっとしておくべきかも知れません。

行く、行かないかは、ご自身で考えてみて下さい。

立場上色々な話しが私達には飛び込んで来ますが、これらの全ては後ろで神々様が色々とお考えになり、起こっている事です。知っていれば防ぐ事が出来る事もある事を忘れないで欲しいと思います。
起こしている方々が、邪まな気持ちで行っているにしても、きちんとした挨拶をきちんとした礼儀で行えば神様は守って下さり、どんな邪まなものからも守って下さいます。

自分も何か経験があるとい方は是非投稿してみて下さい。
宜しくお願いします。


また何かありましたら書かせて頂きます。
 

人間と神社の係わり

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年11月 4日(日)15時04分24秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
愉人さんの投稿で氏神様への挨拶がいかに大切なのかがとても分かり易く書かれています。人間にとって氏神様に挨拶をするという事は、自然の摂理として捉えて頂き、実践して頂きたいなと思います。

今日は、神社と人間の係わりというお題目で話を進めて行きたいと思います。
神社という形式がいつ頃出来たのか、これは以前御使いの神様にお伺い致しましたが、遥か昔という事で詳しい時代は分からないと仰せでした。

色々と諸説ある様ですが、今有力な手掛かりの一つに、人間が地球上に現れ暮らし始めた頃、親を亡くした子孫が親に感謝をする対象として、祀ったのが起源ではないか言われている事です。

最も古い時代の地球に存在していたであろう者と言えば、今でいう所の○○のミコトと命名された方々では無いでしょうか、この方々が実は人間として生き亡くなられていたとしたら、その方々の子孫が祀り、代々その子孫が代わる代わる祀って行き、今の御祭神として祀られていたとしても何らおかしい事では無いと思いますがいかがでしょうか。

斬新な発想と思われるかも知れませんが、こういう事を唱えている方は結構いる様です。

それから今の認識とずれていると思われる所は、最初に住み始めた人間は、今の人間と違い、肉体を持った神だった可能性があるという事です。神代の時代があったとして、その時代に亡くなった人を祀ったのが神社の起源であるならば、遥か昔の事であり、今の人間が知る術は無いと思われます。

そうなると人間と神社との係わりは、とても長い間から続いていると言えます。親が居たから今の自分が生かされている、自分の存在は親が居ればこそ、親に対する感謝を思う時、親自体も遥か昔の神が居たから生かされていたという、神に対する感謝の思いが芽生えても決しておかしくはないでしょう。

人間と神社とは、本当はとても深い繋がりで係わっていたのかも知れません、残念な事に今に至る継承がなされていないのが現状です。

それから、神様には実は御名が無く、祀られている名称が○○のミコトと言われていたとしても、本当に祀られているのは、亡くなられた者では無く、御役で降りて来ている神様である事はお間違えの無い様お願いします。


当会では、人間が集まり生活をしていれば御役で神が社に降りて来られると言われています。今の時代に肉体を持った神は居ませんが人間の身体には無数の神々が存在します。
神社に行き、神々と繋がる事が叶えば、人間が神様と繋がり、遥か昔の肉体を持った神が暮らしていた時代と同じ様な暮らしが叶うかも知れません。

そんな素晴らしい世界はいつ訪れるのでしょうか、待ち遠しいですね。

その為には、いつもお話している通り、一人一人が目覚めなければなりません。しかしそれは一人二人では到底達成できません、日本だけでも無理です、世界中の人々が目覚めなければならないんです。

自分は一人では無い、いつも神々と一緒に行動し生かされている。
この事を日頃の生活の中でも意識して、神社に行かれる時には、全ての事に感謝して、ご挨拶をしてみて下さい。

一人でも多くの方が神社に行かれて、氏神様に感謝のご挨拶をする事を願っています。

また何かありましたら書かせて頂きます。
 

氏神様に挨拶

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2018年11月 1日(木)16時43分12秒 zaqd37c3a05.zaq.ne.jp
返信・引用
   掲示板をご覧の皆様、御無沙汰しています、愉人です。
何時も拝読して頂いてありがとうございます、この頃は投稿が留まっております、ごめんなさい。
九代さんの投稿に魅了されて、一読者として毎週拝読していました。

特に氏神様に挨拶に行く事の大切さを強調、表現しておられる事を、私も伝えたいと思います。
日々人間が、自分自身一人の人間が肉体を持って生活する為には、どれほどの数の神々と、どれほどの神々の力が、必要か。

人間が二人並べば、人間と人間の、あいだの空間には、数えきれない数の神々が居られます。
肉体の細胞に居られる神々、人間を守護、指導する神々、人間が生活する空間の自然を司る神々等。
数えられない位の神々が、人間の目には見えませんが、一人の人間の周りに存在しています。

どっぷりと、神々の中に漬かって居るのが人間なのです、神々が居なければ、生活・生存出来無いのが人間なのです。

人間が神々と繋がって居れば、日々、神々に対する感謝の想いと、挨拶が出来るのですが、繋がって居る人は、とても少ない状態です。
神々に対する感謝と御礼、お願い、挨拶を、するのに一番身近に、神様が設けてくれて居るのが氏神様の社です。

九代さんが毎回書かれている、神様への挨拶の大切さを、私も伝えたくて投稿しました。

本日より、新しい月を迎えさせて頂きました、皆さん、氏神様に挨拶に、行かれては如何ですか。
 

天国と地獄

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年10月28日(日)17時15分38秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
朝夕の気温が大分冷え込んで来ましたね。
寒い日の早朝の神社も清々しく気持ちの良いものです、是非参拝してみて下さい。

今回は、天国と地獄というお題目で、話を進めて行きたいと思います。
皆さんは天国と地獄というものが本当に存在するのかどうか、考えた事はありますか?
小さい頃見せられた絵に地獄絵図や極楽絵図などがありませんでしたか、あれは人間が人間世界で生きる為の指針とし又は方向性を修正する核として、善い行いをすれば天国に行けますよ、悪い行いをすれば地獄に行きますよという風に子供の頃植え付けられたものと捉える方も居られるのはないでしょうか。

ただ、善い行いと悪い行いがどの様なものか実際分かっていると言える方がどの位居るのでしょうか。行いには色んな状況が考えられます、人間の欲・因縁・我・身勝手、憎しみ、嫉妬等です。人間の尺度で考えれば、人を殺す事が悪い行いで人を助ける事が善い行いと捉えがちですが、本当に殺す事が悪い行いで人を助ける事が善い行いなのでしょうか、目に見えているものだけが真実とは言えないかも知れないというのが、次の様なケースです。

例えば、人を何人か殺したのに刑務所という所で保護され、朝昼晩の食事を与えられ、数十年かの刑期を終えて普通に生活をしている。同じ様な事をして死刑にされる。又は何人もの人を殺しておいて捕まらずに、普通に生活をしている。同じ事の様に見えるのに、なぜこんなに差が出るのでしょうか。

人知では到底考えられない事が、沢山この人間世界では起きています。この不可解な事はやはり神々が係わっていて、何かしらの発動があったと思わざるを得ません。

それは、生きている時に出来た因縁なのか、生まれる前の世界で起こった事の延長なのか、宗教家であれば、輪廻転生の中で過去世に因縁があって今世でそれが果たされたと言われるのかも知れませんが、実際の所は細かく解説など出来ないでしょうから、誰にも納得されない事柄でしょう。

当会のご神示では、地獄というものはあるとお聞きしております。
しかも、亡くなった方の意思で地獄を選んで行っているのだそうです。自分は生きている時に悪い行いを沢山して来たから、地獄行きは間違いないと言って行くのかどうかは分かりませんが、死んだら、天国行きか地獄行きかは、向こうで振り分けられていると思い込んでいましたのに、まさか自分で選んでいたなどと言葉が出るとは考えておらず、このご神示を聞いた時に心理的な衝撃があったのを覚えています。

では、いくら悪い行いをしてきていても、天国を選べば、地獄に行かなくても良いのか?になって来ますが、そこまで深い所は、もはや神の領域なので分かりませんが自ら命を絶ったものについては、こう仰っています。
苦しみ苦しみの世となろうに
と。想像だにしない様なとんでもなく苦しい世界なのでしょう。

人間は死んだらどうなるのでしょうか。
誰かが迎えに来るのでしょうか。
輪廻転生で何百年か後の世界に生まれ変わるのでしょうか。
先祖や先に死んだ家族とは会えるのでしょうか。
残念ながらこれらは、死んでからしか知る由もありません。

その時に、地獄を選ばない様な生き方をして行きたいなと思います。
皆様も是非その様な生き方をなされて下さい。

もっと詳しく色々聞きたいとか、この記事で何かご意見等ございましたら、どうぞ掲示板又は下記管理者までメールをお願い致します。
また何かありましたら書かせて頂きます。
 

どこかにすがる思い

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年10月21日(日)16時46分18秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
この掲示板を見て下さっている方がどの位いらっしゃるかは分かりませんが、こちらでお勧めするものは是非実践して頂きたなと思います。

今回は、どこかにすがる思いというお題目で、話を進めて行きたいと思います。
当会の記事やHPには、神という固有名詞を出していますので、読まれた方は宗教的な事を書いているのかと思っている人も居るかも知れませんが、当会が伝えたいと思っている事は、宗教的な事柄では無く、まずは神の御名を広める事、そして一人一人が目覚めて、神社に行く事が生活の一部となり、神々と集い合う生活が送れる様になれれば、もっと過ごし易い世の中になる事を広める為に色々な思いをHPや掲示板などで伝えているものです。

なので、一般的に宗教団体が行っている人集めとか悩みを聞いて、その悩みの問題解決の為に喜捨して何かを祓う等は一切行っておりません。

宗教であれば教祖が居て、教祖が出す教えを広めて人々を集め幸せを広めるという活動をしているのでしょうが、教えを出す以上は教祖はどこかの神と繋がっている必要があります。
しかし信者になる方々は、どこの神と繋がっているのかなど、考えないと思います。
教祖というのは、神と繋がる力いわゆる霊能力があり、幼き頃より神童と呼ばれていた等とプロフィールに書かれていたりするものです。

自分には悩みがある、その悩みの原因はどこから来るのか教祖に見てもらい、どこそこに悩みの種があるからそれを、この位の金額を出して祓って貰いましょうとか、祓いましたと言われれば、悩みが解消されたと思わされ教祖の教えを信じる様になる。その様な事が多かれ少なかれ行われているのが宗教だと認識しております。

果たして、悩みの種は本当に解消されたのでしょうか。
それは神のみぞ知る事であります。教祖が繋がっているという神と、悩みの原因の根本を起こしている神とは次元が違う所での話になると思われるので、安易に信用する事はとても危険だと言えます。

どこかで聞いた事が無いでしょうか、今この世に出ている宗教と言われているものを動かしている神は、蛇の神様であると。大蛇から操られた教祖であれば、小さい蛇に憑りつかれた人の病気とか、悩みが解消され易いと言われています。言ってみれば、大蛇から命令されて、離れろと言われれば力の及ばない蛇は退散するしか無い訳です。

そのカラクリに殆どの方が気付かずに、病気が治ったとか悩みが解消されたと大蛇が集める宗教にはまって行き、いつの間にか沢山の金を取られ家庭を崩壊させるまでに追いやられる。この様な事は実際に起こっている事かも知れません。

こういう事であれば益々人間から見て、教祖がどの神と繋がっているかなど誰にも分からないんですね、苦しい状態を楽にさせて貰えれば、楽にしてくれた人の言う事を聞く様になる、これは自然の成り行きの様に巧みに操られた結果なんですね。

はっきり言えば、蛇の霊であれ動物霊であれ、目に見えないものからのアプローチなので、人間としては行動の結果からしか判断が出来ないのが今の状態だと言えます。
ただ私の経験上の話をさせて頂くと、蛇の霊に操られている人間の顔は、やはり蛇の様な顔つきになっており、金と欲にまみれた生き方をしています。

そこに早く気付き、自分の生活環境が破壊される前に脱退しなければいけないのではないかと思います。

そもそも人間が作った宗教にすがる事自体に問題があるのではないかと、今は私も思います。しかしながら、戦後に生まれた殆どの人が、神社のあるべき姿を忘れ、または知らずに、祭りを行う場所であったり結婚式を行う場所であったり、初詣を行う場所であったりと、人が自分達の欲を果たす場所とした認識になってしまっている事を改める必要があるのではないでしょうか。

ニュースでも報じられておりますが、祭りの時に死者や怪我人が出ている所がある様です、神様が守って下さっていて開催されている祭りであれば、死者など出る筈がないと思うのですがいかがでしょうか、本来祭りの趣旨は自分達が楽しむものでは無く、五穀豊穣又は来年の豊漁を願い、収穫したものを神様に捧げものをする。そして少しばかりの御下がりもので関係者で祝うという事だったと思うのですが、最近では、どんどんエスカレートして、ただ単に参加者の欲を満たす為だけに行われている様に思ってなりません。

人間が勝手にやっているから、死者が出たり喧嘩が横行しているのではないかと思います。

本来の神社の姿を今こそ正し、一人一人が目覚めて挨拶に行く、氏神様が最も待ち望んでいらっしゃる事だと思います。騒々しい祭りや冠婚葬祭では無いんですね。
当会では、一人でも多くの人が神社に赴き、日頃の感謝を氏神様に伝え挨拶をする事を望んでいます。これを実践する事で、神様から自分の周りの環境を整えて頂き、周りの人も神社に行き、整えて頂くという人のあるべき姿を広げていければ神々と集い合う世界が構築されて、生きやすい世の中になるのではないかと思っております。
現在、何かの宗教に関わっている方であれ、氏神様は訪れる方全員を受け入れて下さいます。
神社には神様がおわします。


この記事で何かご意見等ございましたら、どうぞ掲示板又は下記管理者までメールをお願い致します。
また何かありましたら書かせて頂きます。
 

生きていく

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年10月14日(日)20時54分2秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用 編集済
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
少し朝夕肌寒くなってきました。日中は温度が高いですが風邪などひかれないよう気を付けて下さい。

今日は、生きていくという事について話を進めて参りたいと思います。
最近気になったニュースで、自殺した子供の母親がテレビに出ており、子供を死に追いやった相手に対して訴訟を起こす為に会見を行っていたというもの。

この番組を見た方も多いと思いますが、どの様に思われたのでしょうか。実際日本で自殺者がどれ位居るのか調べた所、平成29年度で2万人を少し上回る程居たようです。原因で最も多いのが健康問題だそうで、2番目が経済・生活問題だとHPに記載されておりました。

今回の件に限らず、学校でいじめに遭って自殺したというニュースは以前から報じられています。自殺で何がしかの抗議を行ったのでしょう。自殺をする事がいじめた人や加担した人に対し、抗議をする為の最終手段だという風潮がある様に思うのですが、本当にそうなのでしょうか。

ずっと辛かったんでしょう、誰にも相談出来ずに自分で消化出来ずに死を選んだんでしょう、しかし、自殺をするという事は、神様から与えられた尊い命を自ら絶つという事です。
自殺せずとも人間は遅かれ早かれ死を迎えます。
ただ神様は、途中で人生を投げ出して死を選べなんて言われないと思います。

これらの物事はやはり神社や神様から人が離れた結果の一つだと思いますが、神社に行って、神様に日々の感謝を行う事がいかに大事かという事は、当HPで再三投げ掛けていますよね。
それは、ただ単に神社へ行こうでは無いんです、神社に行く事で御祭神と繋がりを持ち、その繋がりを持って日々の暮らしが楽になる。神様がちゃんと生活し易い環境を整えて下さるんですね、子供に命の尊さを説く機会を与えて下さるんです。
そうすれば、家庭が明るい状態になるんです。
明るい家庭にうさん臭い物事は近づかないですよね。

もっと神社を身近なものにし、もっと神様の事を学び、死について、又は命について、家族で話し合える環境を作る必要があるのではないでしょうか。

先日聞いた話ですが、年老いて病気になり病室で死を迎えた方の家族に連絡を取ったら、引取りを拒否して病院で何とかして下さいと言われたと、亡くなられた方は家族がどこかにありながら、無縁仏の墓地に埋葬されるのだそうです。
親と子の関係が疎遠になればなるほど、この様な家庭が増えていくのかも知れません、ただし悲しい事です。
子供に命の尊さを学ぶ機会を奪っているのは、それを教えるべく親かも知れませんね。

人は神様に生かされ生活しています、日々の感謝を行う大事さ、神様を敬う心を親が先に学び、子へとその思いを繋げて行く、この当たり前の事が出来ていない人間社会が様々な悲劇を呼んでいるのではないでしょうか。

この記事で何かご意見等ございましたら、どうぞ掲示板又は下記管理者までメールをお願い致します。
また何かありましたら書かせて頂きます。
 

人体の不思議

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年10月 7日(日)16時38分45秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様三連休いかがお過ごしでしょうか。
気候も良い状態になりました。是非神社へ足を運び、日頃の感謝に出掛けてみたらいかがでしょうか。

今日は、人体の不思議というお題目で話を進めて参りたいと思います。
皆様は蚊に刺されたとか怪我をしたという時、どの様な行動をとりますか?
蚊に刺されても薬も何もつけないという方も居れば、痒み止めを塗ったりする方も居るでしょう。

どちらにせよ、時間が経てば蚊に刺された箇所も元通りになります。
では、なぜ皮膚や怪我をした所などが元通りになるのでしょうか。一般的に言えば人間に備わっている自己治癒能力が発動されるからと言えるかも知れません。
元に戻そうとする力が怪我をした直後から始まって、修復するまで能力が発揮されるという事でしょうが、元に戻そうとする力の源はどこにあるのでしょうか?

分かる方いらっしゃいますか?

元に戻そうとする力即ち、人間が生きようとする力の源は、神様ですよね。
神様によって人間は生かされていると聞いた事があるでしょうが、人間の身体の中にも神様がいらっしゃり、実は身体の至る所に神様がいらっしゃるのです。

例えばどこか怪我をしました、怪我をした所で何が起こっているのでしょう、怪我をした部分をまず止血しようという働きが出て来ます、損傷した細胞一つ一つの再生や修復が行われ、やがてかさぶたが出来て、内部で更に修復作業が行われて行き、かさぶたが取れる頃には、内部の修復を終え、新たな皮膚も再生します。

この様に怪我一つを取っても、様々な働きが人体では起こっています。
人体で起こっている事全ては、お任せ状態で過ごしていますよね。あ、もう直ぐかさぶたが出来る頃だから、細胞の修復の手伝いを自分もやって行こうなんて誰も思いませんし居ませんよね、居たらびっくりですけど。

細胞の修復や再生にも神が関わっていて、細胞の働きを司る神様もいらっしゃり、血液やリンパの流れを司る神様をいらっしゃるという事です。
細胞や血液やリンパを司る神を統括している神様もいらっしゃり、そのまた上のそのまた上のという風に人体を動かすには、沢山の神様が関わっているんです。

人体で起こっている事全ては、お任せ状態と書きましたが、誰しもが本能的にまたは無意識に神様にお任せしていると言っても過言では無いんです。修復のお任せを実は神様に行っていたんですね。
でも、これを読んだら、もう無意識では居れませんよね、怪我をして治る過程において、神様に治して戴いてありがとうございます、と言えますよね?

口に出して言うか、心で言うかは任せますが、怪我をしている所に言葉を投げ掛けるのも良い事ではないかと思っています。
感謝を表しながら、明るい気持ちで御礼を言う、これが大事な事ではないかと思います。

あまりにも酷い状態で、暗い気持ちを持ったまま絶望の縁に居ては誰も御礼なんて言えませんよね。どんなに酷い状態でも、この状態は自分の一生の間のほんの一瞬の期間に過ぎない、早く抜け出して明るく前向きに行こうと言う将来の展望を胸に抱きながら感謝の御礼をしてみて下さい。
きっと良い変化が出て来ると思います。

まだまだ理解出来ないという方もいらっしゃるでしょうが、人体には不思議な事が沢山起こるし実際に存在する事を忘れないで下さい。

これを読まれ、実践された方で変化があったよという方がもしいらっしゃれば投稿をお願いします。


また何かありましたら書かせて頂きます。
 

拝殿の前で

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年 9月29日(土)17時07分18秒 i114-184-213-23.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
台風24号が日本列島を縦断すると報じられておりますが、皆様の備えはお済でしょうか?以前掲示板に書かせて頂きましたが、本当の備えをきちんと学んで実践して頂きたいと思います。

今日は、神社での参拝でよく見掛ける光景について話を進めていきたいと思います。
当会のカテゴリーに神社と御祭神があり、その中に神社での正しい祈り方とありまして、今回お伝えしたい事の大半はここに掲載している訳ですが、今一度、大切な事なので書かせて頂きたいと思います。また、新たに最近の御伝えで出て来た事もありますので、今回発表していきたいと思います。

参拝に行って必ず見かけるものは、殆どの方々がお賽銭箱にお金を投げ入れている光景です。カテゴリー内で掲載している記事にもあります通り、賽銭箱付近まで手を伸ばしなるべく静かにお入れする事が好ましいと思います。
例えば、高価なものを購入する時に、商店主にお金を投げつけたりしていますか?
しっかりと商店主の近くまで行ってお金を渡しますよね。
人間世界でのやり取りでもきちんとした時は、それ相応の服装だったり、思いだったり、粗相の無い様に風呂敷に包むとか、封筒に入れるとか、しますよね。

自分は今どこに居て、どなたに対して物事のお願いに行っているのかをもっと考えて頂きたいなと思います。
そうすれば、お金を投げたり、帽子を取らなかったり、Tシャツ短パンだったりは、どうかと思って頂ければと思うのですが。
ただ、その方の思いが色々でしょうから、強制はできませんのでああそうかと思われた方は改めてみてはいかがでしょうか。

こちらでお勧めしているのは、封筒にきちんと入れて社務所がある所では神主又は巫女さんにご奉納お願いしますと直接手渡しする事です。
社務所が無い場合は、お賽銭箱に静かにお入れします。

以前から何度かお話ししている事ですが、神様は神社に行こうと思う者は極端に言えば、家を出る前からの思いを見ておられます。
どの様な思いで、拝殿の前に来ているのか全てお見通しです。
思いを聞いて戴けるか否かは、その方自身の行動や振舞いで変わって来るという事です。是非ともこれは読んだ皆様は、神様に思いを聞いて戴ける存在となって欲しいなと思います。

また、神社には敷地内に祠などがある所もあります。
これから書かせて頂く事は、つい先日御伝えがあった事になりますが、たとえ祠であっても、神様がいらっしゃる所です。お賽銭箱が無い所もあるでしょう、あっても入れにくい所もあるでしょう、どの様な場所であれ、10円でも100円でも500円でもお金をハダカでお入れするのでは無く、小銭が入る小さい袋にお入れして、喜捨 氏名を書いて御奉納させて頂く、又は静かにお入れするほうが良いとの事です。

我々会員も9月の参拝からさせて頂きました。
掲示板を読まれている皆様もその様にしてみてはいかがと思います。
小さい袋の折り方は、近々記事として掲載する予定ですが、折り方に決まりはありませんので、ネットで検索して小さい袋の折り方などを参考にされて、近くの神社境内に祠があるようであれば来月の参拝時に実践してみて下さい。

ただし、やるやらないはその方の自由ですので、ああやってみようと思う方は是非やってみて下さい。

皆様からの体験談メール等も待ってまーす。

また何かありましたら書かせて頂きます。
 

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