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返答

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2019年 1月19日(土)22時15分38秒 zaqd37c3a05.zaq.ne.jp
返信・引用
  聖書の解釈が人それぞれ違うのと、己の主張を優先させたい我欲がそれぞれの宗派が生まれている理由でしょう。

根本から言えば、神様への理解度が違うから色々な宗教が生まれているのが現在、この日本でも、神道、仏教、キリスト教、イスラム等、又、新宗教等、神様の解釈が違う集合体が出来ていますよね、私は人間それぞれの我欲から分かれて出来上がっていると思います。
 

無題Re、2

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2019年 1月19日(土)22時12分18秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用 編集済
  キリスト教が分派していった背景は分かりませんが、やはり人間が人間のために作った教えであるがゆえ、その教えに従えない人々が出てきたのではないかと思います。

もしも神から直接降ろされた教えならば、良い意味で世界中に広がり、地球上は幸せになっていなければならないでしょう。

そうはならず、宗教戦争が起こっているという事は、神が降ろしたものでは無いと証明されてたのではないでしょうか。

 

(無題)

 投稿者:東輪  投稿日:2019年 1月19日(土)22時00分55秒 sp49-104-16-63.msf.spmode.ne.jp
返信・引用
  聖書を通して、それを信じていたなら、キリスト教とか、いろいろなキリスト教が存在するのは何故  

質問

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2019年 1月19日(土)21時51分52秒 zaqd37c3a05.zaq.ne.jp
返信・引用
  愉人です、私も、お聞きしたいのですけれど、東輪さん、まず人を救うと言うのは、どんな状態の人を救うと言われているのか解りません。

神様は日々、色々な人々に対して御守護下さっていると聞いております。

救うの意味が解らないのと、聖書は文書を記録しているもので、救いの道具ではないですよね。
聖書の中に書かれている内容を応用して人々を導けるかと質問されているのですか。


 

無題Re

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2019年 1月19日(土)21時40分56秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  こんばんは、東輪さん
キリスト教の聖書は人を救うことが出来るか、人を救うという意味合いについてどこまでお考えか分かりませんが、以前映画等で見た感じでは、神父が信者に対して聖書のある部分を読み聞かせ、神の考えを伝えるシーンがありました。

捉え方は人それぞれでしょうが、その信者は心が救われたというシーンでまとめていました。

これを見る限りでは、聖書の中身は、人が悩むときにどの様な考えの元行動するべきかを説いているのではないかと思いました。
その言葉一つ一つが、神から降ろされたものかどうかは、不明です。
 

(無題)

 投稿者:東輪  投稿日:2019年 1月19日(土)20時21分38秒 sp49-104-16-63.msf.spmode.ne.jp
返信・引用 編集済
  一つだけ聞きたいこと
キリスト教の聖書は人を救うこと、できますか。
教えて下さい。
 

宗教が人間に何を与えたか

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2019年 1月14日(月)20時28分28秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
三連休はゆっくりできましたか、正月明けの連休は嬉しいものですね。
嬉しい事があったら、嬉しい事を与えて頂きありがとうございます。と心の中で神様に祈ることも、大事だと思いますのでやってみて下さい。

今日は、宗教が人間に何を与えたかについて話を進めて行きたいと思います。
ある転機を向かえた時、何かにすがりたいと思った事はないでしょうか。大きな病気になって手術をしても助かるかどうか分からないと言われた時、或いは自立して会社を立てる時など、自分で結果が見えない事というのは誰しも不安になるものです。先を見通せる霊感の強い人は居ないか、占いはどうか、救いの団体などに目を配る事もあるでしょう。

その様な時に、救いの手ともいうべき事態が起こり、家族や友人などから、話をされる事があります。それは、宗教に入ってみてはどうかという誘いです。
誘う側からしたら、そこの宗教では奇跡が起こって癌が治った人がいるとか、事故に遭いそうだったのが寸前の所で助かった話など、人知では到底理解できない事柄を持ち出して、誘ってくる場合があります。

すがりたいと思う人からすれば、その事柄は喉から手が出るほど欲しいものかも知れません。家族がやっているのなら、友人がやっているのならという安心感もあり、入信してしまうケースです。この様な状態で入信すれば、恐らく一生懸命になって活動をされる事でしょう。いつか自分にも奇跡が与えられて病気が治る日が来ると信じての行動でしょうから。

元来宗教というものは、奇跡を起こす団体として興ったものなのでしょうか、こっちの団体は奇跡を起こすけれど、こっちの団体はダメみたいよとか、そういうレベルの話を昔聞いた事がありますが、宗教を最初に興した人は、どの様な理由から始めたのでしょうか、人間を創造した神に感謝が大事だとか神が望む人間の姿とはどうあるべきかや、人として暮らすためにはどの様な生活を送らなければならないかなどを教えようと開いたのではないでしょうか。

それがいつの間にやら、人間が作った人間の為の教えになって来たのではないか。
先程書いたケースでは、自分の我欲を優先させて行動するものであり、本来のあり方とはかけ離れている事だと思います。
団体も人数が増えていくと教祖、幹部、一般信者という風に組織的な階級が必要となり、新しく入信した者をいかに留め置く事ができるかをあの手この手でやっている様に思えてならないのは私だけでしょうか。

現在有名と言われている宗教にしても、これまでの歴史で分かるように、改宗しなければ滅ぼすとか、教えを広めるという大義名分で殺し合いをしているのですから、もはや最初に宗教を興した痕跡は、一つも残ってはいないのではないでしょうか。
残念ながら、人間の我欲が勝っていたという事でしょう。
宗教が与えたのは、自分だけが特別な存在で素晴らしい学びを行っているという自己満足の世界と、自分には奇跡が起こるという棚ぼた的な考えを植え付けただけなのかも知れません。

純粋に神の事を知りたいとか、人とはどうあるべきかなどを考え、行動したいと思われる方が居られるのならば、現在お住まいの近くにある神社へ行かれて下さい。
元気な声で挨拶を行ってみて下さい。
そして心静かに目をつむってみて下さい。

宗教が作った神からは得られない事を沢山学ばせて戴ける事でしょう。
一人一人が目覚めて、行動するべきときが来たんです。
他人が作った神を崇め友達と会えるから居心地が良いなんて言っている場合ではありません。
自分自身が神様と向き合い、そして対話をする、そういう世界を作っていかなければ、いつか宗教という大きな波にのみ込まれてしまいます。

 

明けましておめでとうございます。

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2019年 1月 6日(日)20時27分59秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
愉人さんが書かれておりますが、新年の氏神様へのご挨拶には行かれましたか?

私は元旦に、氏神様のところと親神様のところへご挨拶に行って参りました。
年が明けてから今年は全国的にも晴れた日が多かったのではないでしょうか。
今日は、親神様のところへ行った際に思った事を書かせて頂きます。

私がご挨拶に行く親神様というのは、福岡県でもかなり有名と言われているところなのですが、例年のように神域の鳥居をくぐったところから凄い人で、じりじり動いて本殿まで行く形が恒例になっています。今年は本当に外国人が多く見られ、べちゃくちゃ大きな声で喋りながら列にも並ばず、うろうろしている様子でした。

外国人の方々にも、神社について分かり易く解説された看板や、説明する関係者が居れば、もっと違う行動ができるのではないかと思った次第です。

外国人以上に残念だった光景が今回はありました。
それは、前列に並んでいた日本の女性と思いますが、並ぶ前にどこかで買っていたのでしょう、唐揚げを袋から出してムシャムシャ食べていて、友達と喋りながら口がモグモグ動いていた事。

本殿まで凡そ20分足らずで着くのですが、神様にご挨拶する前に自分の欲を満たす光景は、とても残念に思いました。神域内に食堂などが置かれている事も問題なのかも知れませんね、もはや神域がどこからどこまでか線引きが難しいところではあります。人間が金儲けの為に観光地化してしまっているのが原因の一つでしょう。

先程話したモグモグ女性の光景ですが、遊園地でアトラクションを待っている時に見かけるものですよね。恐らくは、神社に初詣と言って訪れている人の多くは、お金を投げて、パンパンして、ちょこんと頭を下げる、これが、今風に言えばザ初詣と思っているのかも知れませんね。

愉人さんが書かれていますように、初詣という言葉は大正時代からと言いますから、今の世になる前には、戦争も起こっていますし、神社に行くという行為が人々の中で通例になったのは、ごく最近からと言っても過言では無いかも知れませんね。

そう言えば昨夜、テレビで正月の過ごし方などを特集していたのを見た方は居られるでしょうか、放映されていた内容が全て正解がどうかは、もっともっと詳しく掘り下げてみないと分かりませんが、人々が身近に神社というもの、また自分を守って下さっている氏神様について、触れる機会が増えることを願っております。

当会では、神社でご挨拶する方法を詳しく掲載しております。内容は、神様から直に教えて戴いたものです。今迄知らなくて、どうしたら良いのか、自分流になっている方々も、是非、当会の仕方を学び実践してみて下さい。
自分の都合で行動する方の言い分は、人間の世界でも聞き入れられないのではないでしょうか。
一人一人が目覚め、氏神様にご挨拶されることを、お待ちになられております。
 

初詣

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2019年 1月 4日(金)11時11分25秒 zaqd37c3a05.zaq.ne.jp
返信・引用 編集済
  明けましておめでとうございます、愉人です。

皆様、氏神様に新年の挨拶に行かれましたか。

初詣ではなく、新年を迎えさせて戴いた感謝と旧年中に戴いた御守護の御礼の挨拶に行かれましたかと、お聞きしております。

何故ならば、初詣という言葉が使われるようになったのは大正時代になってからだと聞きました。

それで少し調べてみましたら、昔は、年の神のやってくる恵方(えほう)の方角にある社寺に参るのが盛んだったそうです。
恵方参りの初詣は,江戸時代,京,大坂,江戸を中心に,節分の夜行われていて、恵方は陰陽道の知識に基づくもので,幸運のもたらされる方角とされていました。

関西では、もともと恵方詣りは元日よりも節分に盛んに行われていたのですが、鉄道会社の集客競争の中で正月参詣にも恵方が持ち込まれるようになり、関西の人々は節分のほかに元日にも恵方詣りを行うようになりました。

しかしながら、鉄道会社が熾烈な競争の中で自社沿線の神社仏閣をめいめいに恵方であると宣伝し始めたため、やがて恵方の意味は埋没し、大正末期以降、関西では方角にこだわらない初詣が正月行事の代表として定着したそうです。

もともと初詣には、2つの説があります。

一つは、恵方参りが初詣になったという説。
もう一つは、神道の年籠り(としごもり)が初詣になったという説です。

もともとお正月は神道の儀式です。
各家庭では、その年の福をつかさどる歳神様に鏡もちをお備えし、門松をたててお迎えし、おせち料理を作ってその年の豊作や家内安全などを祈ってきました。
家長とともに、歳神様からのお下がりであるおせち料理を頂いたあと、歳神様のいる方角にある神社、寺院にお参りするというのが恵方参りです。

年籠り(としごもり)とはもう少し古くからある慣習で、氏子である家長たちが、その土地の氏神様をまつった神社にこもり大晦日から元旦にかけて豊作や家内安全を祈願する行事でした。
大晦日から元旦にかけて神社にこもることが、大晦日から元旦にかけてお参りする習慣へと変化したとも考えられています。

調べてみたら、このような事に辿り着きました。

やはり人間が都合の良いように考え、近年には金儲けが目的の初詣に変化させています、恵方参りも、お参りに行くのではなく、巻きずしを食べる事に変化しています。

又、おみくじも、調べてみました。

おみくじとは、元々神の意志を知るための占いの一つで、物事を機械的かつ公平に決める「くじ」の行為に、神様の意志が表れると、考えられていて、昔は国の政治に関わる重要事項や後継者選びなどの際、神の意志を知るためにくじが使われて、神社の祭事に関する役決めにもくじが使われていたようです。

おみくじをひくことは神前で行われる神聖で公平な判断として広く利用されてきたそうです。

おみくじのルーツは、平安時代に天台宗延暦寺の高僧・良源が延暦12年にはじめた元三大師みくじだと言われています。

そして江戸時代に入り、現在のような形になったと言われ、おみくじのルーツから考えると、お寺さん発だからお神籤、御神籤と言うのは、後で当てた字です。

初詣で引いたおみくじの運勢が1年続くなんて思はないように、有効期限は次のくじ引くまでで、次引いたやつが有効。

あるいは悪いのは神社の木に結んで置いて行き、もうそれで終わり。

別の日に良いくじを引いてそれをずーと持っていればその間は有効なんて解釈すると明るく日々が暮らせる良い精神安定剤に、おみくじがなる、それこそ神様・仏様のご利益だと。

やはり、これも人間が都合の良いように作り、解釈している典型が、おみくじですね。

自己満足も此処まで来れば宗教なのだと、再認識できますね。

恵方等考えず、いつも傍で見守り御守護して戴いて居る氏神様に対し、感謝と御礼の挨拶が、いかに大切かを気づいて頂きたいと思います。

氏神様への感謝は、氏神様を通じ氏神様の親神様、その上の大元ノ親神様、そして神ノ大元ノ大神様に繋がります。

神ノ大元ノ大神様に繋がる、神心の構築を、する為には、挨拶が大切なのです。

氏神様のところへ新年、初の挨拶に行きましょう。

 

謹んで新年の、お祝いを申し上げます。

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2019年 1月 1日(火)09時22分14秒 zaqd37c3a05.zaq.ne.jp
返信・引用
  明けまして、おめでとうございます。
謹んで新年の、お祝いを申し上げます。

神ノ大元ノ大神様、全てを戴いております、神(まこと)に、神(まこと)に、ありがとうございます。
神ノ大元ノ大神様、又、各神々様、神(まこと)に、神(まこと)に、ありがとうございます。

掲示板を見て下さっている皆様、いつも閲覧頂き、ありがとうございます。

日々、私共、神教(シンキョウ)神周士の会(カミアマネシモノノカイ)の活動に賛同頂きまして、神(まこと)に、神(まこと)に、ありがとうございます。

おかげさまで新年を迎えることができました。

皆様は氏神様に新年の、ご挨拶に行かれましたか、明るい内に済まされます事をおすすめします。

掲示板を見て下さっている皆様、本年も、神教(シンキョウ)神周士の会(カミアマネシモノノカイ)を宜しくお願い致します。


神周士の会 愉人
 

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