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(無題)

 投稿者:東輪  投稿日:2019年 1月19日(土)20時21分38秒 sp49-104-16-63.msf.spmode.ne.jp
返信・引用 編集済
  一つだけ聞きたいこと
キリスト教の聖書は人を救うこと、できますか。
教えて下さい。
 

宗教が人間に何を与えたか

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2019年 1月14日(月)20時28分28秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
三連休はゆっくりできましたか、正月明けの連休は嬉しいものですね。
嬉しい事があったら、嬉しい事を与えて頂きありがとうございます。と心の中で神様に祈ることも、大事だと思いますのでやってみて下さい。

今日は、宗教が人間に何を与えたかについて話を進めて行きたいと思います。
ある転機を向かえた時、何かにすがりたいと思った事はないでしょうか。大きな病気になって手術をしても助かるかどうか分からないと言われた時、或いは自立して会社を立てる時など、自分で結果が見えない事というのは誰しも不安になるものです。先を見通せる霊感の強い人は居ないか、占いはどうか、救いの団体などに目を配る事もあるでしょう。

その様な時に、救いの手ともいうべき事態が起こり、家族や友人などから、話をされる事があります。それは、宗教に入ってみてはどうかという誘いです。
誘う側からしたら、そこの宗教では奇跡が起こって癌が治った人がいるとか、事故に遭いそうだったのが寸前の所で助かった話など、人知では到底理解できない事柄を持ち出して、誘ってくる場合があります。

すがりたいと思う人からすれば、その事柄は喉から手が出るほど欲しいものかも知れません。家族がやっているのなら、友人がやっているのならという安心感もあり、入信してしまうケースです。この様な状態で入信すれば、恐らく一生懸命になって活動をされる事でしょう。いつか自分にも奇跡が与えられて病気が治る日が来ると信じての行動でしょうから。

元来宗教というものは、奇跡を起こす団体として興ったものなのでしょうか、こっちの団体は奇跡を起こすけれど、こっちの団体はダメみたいよとか、そういうレベルの話を昔聞いた事がありますが、宗教を最初に興した人は、どの様な理由から始めたのでしょうか、人間を創造した神に感謝が大事だとか神が望む人間の姿とはどうあるべきかや、人として暮らすためにはどの様な生活を送らなければならないかなどを教えようと開いたのではないでしょうか。

それがいつの間にやら、人間が作った人間の為の教えになって来たのではないか。
先程書いたケースでは、自分の我欲を優先させて行動するものであり、本来のあり方とはかけ離れている事だと思います。
団体も人数が増えていくと教祖、幹部、一般信者という風に組織的な階級が必要となり、新しく入信した者をいかに留め置く事ができるかをあの手この手でやっている様に思えてならないのは私だけでしょうか。

現在有名と言われている宗教にしても、これまでの歴史で分かるように、改宗しなければ滅ぼすとか、教えを広めるという大義名分で殺し合いをしているのですから、もはや最初に宗教を興した痕跡は、一つも残ってはいないのではないでしょうか。
残念ながら、人間の我欲が勝っていたという事でしょう。
宗教が与えたのは、自分だけが特別な存在で素晴らしい学びを行っているという自己満足の世界と、自分には奇跡が起こるという棚ぼた的な考えを植え付けただけなのかも知れません。

純粋に神の事を知りたいとか、人とはどうあるべきかなどを考え、行動したいと思われる方が居られるのならば、現在お住まいの近くにある神社へ行かれて下さい。
元気な声で挨拶を行ってみて下さい。
そして心静かに目をつむってみて下さい。

宗教が作った神からは得られない事を沢山学ばせて戴ける事でしょう。
一人一人が目覚めて、行動するべきときが来たんです。
他人が作った神を崇め友達と会えるから居心地が良いなんて言っている場合ではありません。
自分自身が神様と向き合い、そして対話をする、そういう世界を作っていかなければ、いつか宗教という大きな波にのみ込まれてしまいます。

 

明けましておめでとうございます。

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2019年 1月 6日(日)20時27分59秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
愉人さんが書かれておりますが、新年の氏神様へのご挨拶には行かれましたか?

私は元旦に、氏神様のところと親神様のところへご挨拶に行って参りました。
年が明けてから今年は全国的にも晴れた日が多かったのではないでしょうか。
今日は、親神様のところへ行った際に思った事を書かせて頂きます。

私がご挨拶に行く親神様というのは、福岡県でもかなり有名と言われているところなのですが、例年のように神域の鳥居をくぐったところから凄い人で、じりじり動いて本殿まで行く形が恒例になっています。今年は本当に外国人が多く見られ、べちゃくちゃ大きな声で喋りながら列にも並ばず、うろうろしている様子でした。

外国人の方々にも、神社について分かり易く解説された看板や、説明する関係者が居れば、もっと違う行動ができるのではないかと思った次第です。

外国人以上に残念だった光景が今回はありました。
それは、前列に並んでいた日本の女性と思いますが、並ぶ前にどこかで買っていたのでしょう、唐揚げを袋から出してムシャムシャ食べていて、友達と喋りながら口がモグモグ動いていた事。

本殿まで凡そ20分足らずで着くのですが、神様にご挨拶する前に自分の欲を満たす光景は、とても残念に思いました。神域内に食堂などが置かれている事も問題なのかも知れませんね、もはや神域がどこからどこまでか線引きが難しいところではあります。人間が金儲けの為に観光地化してしまっているのが原因の一つでしょう。

先程話したモグモグ女性の光景ですが、遊園地でアトラクションを待っている時に見かけるものですよね。恐らくは、神社に初詣と言って訪れている人の多くは、お金を投げて、パンパンして、ちょこんと頭を下げる、これが、今風に言えばザ初詣と思っているのかも知れませんね。

愉人さんが書かれていますように、初詣という言葉は大正時代からと言いますから、今の世になる前には、戦争も起こっていますし、神社に行くという行為が人々の中で通例になったのは、ごく最近からと言っても過言では無いかも知れませんね。

そう言えば昨夜、テレビで正月の過ごし方などを特集していたのを見た方は居られるでしょうか、放映されていた内容が全て正解がどうかは、もっともっと詳しく掘り下げてみないと分かりませんが、人々が身近に神社というもの、また自分を守って下さっている氏神様について、触れる機会が増えることを願っております。

当会では、神社でご挨拶する方法を詳しく掲載しております。内容は、神様から直に教えて戴いたものです。今迄知らなくて、どうしたら良いのか、自分流になっている方々も、是非、当会の仕方を学び実践してみて下さい。
自分の都合で行動する方の言い分は、人間の世界でも聞き入れられないのではないでしょうか。
一人一人が目覚め、氏神様にご挨拶されることを、お待ちになられております。
 

初詣

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2019年 1月 4日(金)11時11分25秒 zaqd37c3a05.zaq.ne.jp
返信・引用 編集済
  明けましておめでとうございます、愉人です。

皆様、氏神様に新年の挨拶に行かれましたか。

初詣ではなく、新年を迎えさせて戴いた感謝と旧年中に戴いた御守護の御礼の挨拶に行かれましたかと、お聞きしております。

何故ならば、初詣という言葉が使われるようになったのは大正時代になってからだと聞きました。

それで少し調べてみましたら、昔は、年の神のやってくる恵方(えほう)の方角にある社寺に参るのが盛んだったそうです。
恵方参りの初詣は,江戸時代,京,大坂,江戸を中心に,節分の夜行われていて、恵方は陰陽道の知識に基づくもので,幸運のもたらされる方角とされていました。

関西では、もともと恵方詣りは元日よりも節分に盛んに行われていたのですが、鉄道会社の集客競争の中で正月参詣にも恵方が持ち込まれるようになり、関西の人々は節分のほかに元日にも恵方詣りを行うようになりました。

しかしながら、鉄道会社が熾烈な競争の中で自社沿線の神社仏閣をめいめいに恵方であると宣伝し始めたため、やがて恵方の意味は埋没し、大正末期以降、関西では方角にこだわらない初詣が正月行事の代表として定着したそうです。

もともと初詣には、2つの説があります。

一つは、恵方参りが初詣になったという説。
もう一つは、神道の年籠り(としごもり)が初詣になったという説です。

もともとお正月は神道の儀式です。
各家庭では、その年の福をつかさどる歳神様に鏡もちをお備えし、門松をたててお迎えし、おせち料理を作ってその年の豊作や家内安全などを祈ってきました。
家長とともに、歳神様からのお下がりであるおせち料理を頂いたあと、歳神様のいる方角にある神社、寺院にお参りするというのが恵方参りです。

年籠り(としごもり)とはもう少し古くからある慣習で、氏子である家長たちが、その土地の氏神様をまつった神社にこもり大晦日から元旦にかけて豊作や家内安全を祈願する行事でした。
大晦日から元旦にかけて神社にこもることが、大晦日から元旦にかけてお参りする習慣へと変化したとも考えられています。

調べてみたら、このような事に辿り着きました。

やはり人間が都合の良いように考え、近年には金儲けが目的の初詣に変化させています、恵方参りも、お参りに行くのではなく、巻きずしを食べる事に変化しています。

又、おみくじも、調べてみました。

おみくじとは、元々神の意志を知るための占いの一つで、物事を機械的かつ公平に決める「くじ」の行為に、神様の意志が表れると、考えられていて、昔は国の政治に関わる重要事項や後継者選びなどの際、神の意志を知るためにくじが使われて、神社の祭事に関する役決めにもくじが使われていたようです。

おみくじをひくことは神前で行われる神聖で公平な判断として広く利用されてきたそうです。

おみくじのルーツは、平安時代に天台宗延暦寺の高僧・良源が延暦12年にはじめた元三大師みくじだと言われています。

そして江戸時代に入り、現在のような形になったと言われ、おみくじのルーツから考えると、お寺さん発だからお神籤、御神籤と言うのは、後で当てた字です。

初詣で引いたおみくじの運勢が1年続くなんて思はないように、有効期限は次のくじ引くまでで、次引いたやつが有効。

あるいは悪いのは神社の木に結んで置いて行き、もうそれで終わり。

別の日に良いくじを引いてそれをずーと持っていればその間は有効なんて解釈すると明るく日々が暮らせる良い精神安定剤に、おみくじがなる、それこそ神様・仏様のご利益だと。

やはり、これも人間が都合の良いように作り、解釈している典型が、おみくじですね。

自己満足も此処まで来れば宗教なのだと、再認識できますね。

恵方等考えず、いつも傍で見守り御守護して戴いて居る氏神様に対し、感謝と御礼の挨拶が、いかに大切かを気づいて頂きたいと思います。

氏神様への感謝は、氏神様を通じ氏神様の親神様、その上の大元ノ親神様、そして神ノ大元ノ大神様に繋がります。

神ノ大元ノ大神様に繋がる、神心の構築を、する為には、挨拶が大切なのです。

氏神様のところへ新年、初の挨拶に行きましょう。

 

謹んで新年の、お祝いを申し上げます。

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2019年 1月 1日(火)09時22分14秒 zaqd37c3a05.zaq.ne.jp
返信・引用
  明けまして、おめでとうございます。
謹んで新年の、お祝いを申し上げます。

神ノ大元ノ大神様、全てを戴いております、神(まこと)に、神(まこと)に、ありがとうございます。
神ノ大元ノ大神様、又、各神々様、神(まこと)に、神(まこと)に、ありがとうございます。

掲示板を見て下さっている皆様、いつも閲覧頂き、ありがとうございます。

日々、私共、神教(シンキョウ)神周士の会(カミアマネシモノノカイ)の活動に賛同頂きまして、神(まこと)に、神(まこと)に、ありがとうございます。

おかげさまで新年を迎えることができました。

皆様は氏神様に新年の、ご挨拶に行かれましたか、明るい内に済まされます事をおすすめします。

掲示板を見て下さっている皆様、本年も、神教(シンキョウ)神周士の会(カミアマネシモノノカイ)を宜しくお願い致します。


神周士の会 愉人
 

今年一年

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年12月31日(月)11時56分9秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用 編集済
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
明日から新しい年が始まりますね、ようやく気候も冬らしくなってきました、今年はどのような年でしたか。メディアでも報道されていましたが、今年は災害の年と言われ、地震・大雨・台風・地震と毎月のように何かが起こっていましたね。

海外でも、山火事・地震・噴火という風に、規模の大きな災害が起こりました。
来年がどのような年になるのか、分かりませんけれど、一つ言えるのは、多くの人の思いが、まだまだ成熟していないという事ではないでしょうか。

この世界で一人の人間が生きて行くためには、沢山の人の力を必要とします。親が居なければ生まれて来る事すらありません。

人間が生まれて来るには、沢山の神々の力を必要とします。神々が居なければ、生きていく事すら出来ません。

人間が人間という限り、この二つの要素は切っても切り離せない事です。
もっと言えば、人間が生きていく為に必要な食べ物は、大地の恵みからの戴きものです。大地の恵みが無ければ、食物は育ちません。育つために必要な雨風・気候・土・堆肥・土壌にいる微生物に至るまで、全てを創られたのは、神々様です。
人間が生きて行くために必要だから、用意して下さったものです。

みんな神々様の恩恵があり、生かされているのです。
この事は心の中できちんとご理解ください。

親が居るから、自分がいる。親にもそれぞれのお爺ちゃんやお婆ちゃんがいたから、親がいる。
ご先祖がいたから、親も自分もいる。
ご先祖に感謝、ですよね。

お仏壇があるところは、お仏壇の前で、感謝の思いを伝えてみて下さい。お仏壇が無いところは、感謝の思いを朝晩のご挨拶でやってみて下さい。
その思いがきちんと根付くまで続けてやってみて下さい。
感謝の思いというものは、その思いにより行動にも現れるようになって、相手への思いやりにも繋がってくるものだと思っています。

日頃ご先祖へのご挨拶をされている方は、連綿と続く神々様にもご挨拶をなされてみて下さい。

そして何より、自分と今の生活拠点をお守り下さっている氏神様にも、ご挨拶をなさってみて下さい。

争い事なんてやっている場合ではありません。
一刻も早く、感謝の思いを伝える練習をしてみて下さい。
来年の抱負として、行ってみて下さい。

では、来年もどうぞよろしくお願い致します。

神ノ大元ノ大神様、全てを戴いております。
神に、神に、ありがとうございます。
神ノ大元ノ大神様、また各神々様、神に、神に、ありがとうございます。
今年一年、沢山の御仕組賜りまして、神に、神に、ありがとうございました。
くる年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

神ノ大元ノ大神様より連綿と続いている神々様、今年一年、数限りない御守護賜りまして、神に、神に、ありがとうございました。
くる年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

今年一年を振り返って

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2018年12月31日(月)09時49分2秒 zaqd37c3a05.zaq.ne.jp
返信・引用
  大晦日になりましたね、愉人です。
今年一年、皆様はどういう思いをお持ちになられた一年でしたか。

私は相も変わらず同じ事を繰り返す人間達だなぁーと思う一年でした。
天災、人災、自然の異常気象等、今年世界に見舞われた災害は、過去に同じように起こっている災害が集まって今年に来たように思います。

まるで神々が以前に遭った災害の教訓をどれだけ人間が習得しているかのテストのように、地震での対策、集中豪雨の対策、伊勢湾台風の教訓、世界を見ればアメリカの山火事、ハリケーン、その他アジアでは地震等、今までの教訓を得て、対策が立てられていて当たり前だと思う事が出来ていない。

そして、災害に見舞われる、前代未聞の事だと報道する。
しかし、神様、各神々様は、前代未聞の災害に遭わないように、事前に災難を過去に与えて、いつもヒントを与えて戴いているのを無視して人間の都合で行動している。

宗教も救われを望み、奇跡を待つことを述べる、しかし神々から過去に戴いたヒントを元に少しでも人間が対策を講じて要れば、此処までの大難には成っていないことが多く有ると思います。

天然の現象に人災が加わって大災害に成っているのが今の現状ではないでしょうか。

神々の奇跡も戴けるので有れば戴けば良いのですが、努力すれば奇跡と思うばかりの現象に遭遇できるように仕組んで戴いているのが今の人間だと思います。

今年一年は見本的な災害が多く発生しました、今一度、神々が人災が原因で有ることを人間に知らしめて戴けた一年ではないかと思います。

苦しい時に奇跡を願うのでは無しに、普段から神々に挨拶し、神々から導きを得、余力がある時から災害に備えられるように日々生活することが奇跡以上の事柄を戴けるのでは無いでしょうか。
神々は普段から全てを与えてくれています、日々奇跡以上のものを戴いて居る方々が居られるはずです、特に今年災害に遭わなかった方々は奇跡以上の仕組みを戴いたと思いますが違いますか?

だからこそ、いつも傍で御守り戴ける神様との繋がりが、どれほど大事か、お解かりだと思います、氏神様には、ご挨拶に行かれますよう、お薦めいたします。

新年を迎えますが、初詣に出かける時には氏神様に挨拶してから他の神社に参りましょう。

来る年も何が起こるか分からない世の中になると思いますので何卒、氏神様との繋がりをお持ちください。



 

今年も終わりですね

 投稿者:東輪  投稿日:2018年12月26日(水)21時02分28秒 sp49-106-207-109.msf.spmode.ne.jp
返信・引用
  久しぶりに、投稿させて頂きます。
今年もいろいろな事がおこりましたね。
世界中、今そこで生活している全世界中の皆さま方
人それぞれ、うれしうれしに、今年を終わらせ新しき年に良く良く過ごす事、また、今年も、金に苦しみ人に苦しみ、来る年も苦しみ、二極化の世に。
なぜ、人は苦しみ、人の下に生活していかなければならないか、人の上に立てないか、全て皆さま方一人、ひとりなのです。
その、想いも、思いも、行動も、行いも、言葉も、言葉使いも、努力も、しないのも、するのも、全て自分次第です。
くる年が皆様にとって良き年でありますよう。
 

意識をかえる

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年12月24日(月)16時24分50秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
いよいよ今年も残るところ一週間になりましたね。気候的に考えるとあまり年の瀬という雰囲気は無いのですが、年々こういう気候になって行くんですかね?


今日は、意識をかえるというお題目で話を進めていきたいと思います。
今年の目立ったニュースと言えば、煽り運転でしょうか。
カーっとなったら、見境が無くなってなりふり構わず暴言を吐いたり暴行を加えたりと、こういう方々はホントに増えていると私も感じます。

先日も同県出身の者で煽り運転で二人の命を奪ったとして、裁判が行われていましたが、この様な事件を起こす方というのは、日頃から生活が荒れていて、自分に歯向かう者は、親であろうと何であろうとかんしゃくを起こしていたと思います。

もはや誰も手が付けられない状態になり、この様な事件を起こさなければならない者へとなったのではないでしょうか。

人間は隙が沢山あります。その隙を狙って何かに使おうと思っている神々も、いらっしゃるのではないかと思います。例えば、多くの人間を騙そうとして、教祖を育てて、あたかも自分に神が降臨したと思わせて、夢で神々しいものを見せたり、神の御名はこういう名だと啓示を受けたが如く語り、人々を集め、騙してお金を巻き上げて行く。

この様な事は少なからず起きているのではないでしょうか。

以前神示しでこの様に仰られた事があります。
人間の細胞など、どんな神でも入れ替えはできる。

人間の世界ではどうでしょうか、人間の細胞を入れ替える事が出来るでしょうか、最高の医療を兼ね備えた所であっても、それは不可能ですよね。
なぜそれが神に出来るのかと言えば、人間を作ったのは神だからです。
作った側からすれば仕組が全て分かっている訳ですから、造作無い事なのです。

神が望む人間の生き方とは、神が思う事を素直に実行する者と仰られています。神が思う事とは、何か。
当方で何度も何度も書いている事です。

難しい事は何も言っていません。
人間が生きていけるのは、神様が常に御守護して下さっているからです。
その感謝の御礼を神社へ月初めに行かれたらどうでしょうかと伝えております。
ご挨拶する時の方法で神様に最も伝わる祈り方を掲載しているのは、神々より、この様に祈りなさいと教えて戴いた言葉だからです。

今お話ししている事は、宗教云々の話しではありませんよ、お間違いの無い様に。
自分の生き方を左右する重大な事だと受け止めて頂きたいのです。
自分の生き方は自分で決めると仰る方はどうぞ、ご自由になさって下さい。

これからの日本、世界、まだまだ色んな事があるでしょう。
一人一人が目覚めるときが来たんです。
来年からは、氏神様をお慕いする人へと、そして神々と集い合う世界をつくる第一歩を踏み始めて欲しいと思っています。
誰にでもそのチャンスがあるんです。

また何かありましたら書かせて頂きます。
 

高山集いの会、ご報告

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年12月15日(土)11時41分15秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  12月8、9、10日の2泊3日で集いの会が行われました。
今回は高山と伊勢で集いの会が開かれ、参加させて頂きました。
高山では、今期三回目という寒気と雪の中にもかかわらず、親神様や沢山の神々様にもお会いできまして、多くのありがたいお話しや叱咤激励も賜りました。

御出になる神々様がみな、今宵の直会が楽しみじゃ、楽しみじゃと口を揃えて仰るので、顔が硬直し少しビビッていましたが、直会では何とも素晴らしい今迄聞いた事も見た事も無い、神様だけが使用できるという秘技をご披露戴きました。
聞いているだけで、あらゆる次元に届くが如く拡がりを感じながら感動して心が洗われる様な体験をさせて頂きました。

また高山から伊勢へと参拝の御許しも賜り、伊勢の夜も直会が開かれました。高山の直会で披露された秘技も再度拝見させて戴き、やはり凄いパワーと隅々まで拡がって行くような、そんなイメージがありました。
神々だけが使えるもので、決して真似をしてはならぬと仰せでした。
貴重なものを御見せ戴き、神に、神に、ありがとうございました。

伊勢神宮へは、参拝する前に、二見が浦にある二見興玉神社へ参り、古来より伊勢神宮をお詣りする際は二見が浦で身を清めたと言いますので、その後下宮、本宮へと参りました。
二見が浦では、海沿いという事もあり、季節的に冷たい風が吹いていて私の関節も悲鳴を上げ始めましたので、伊勢神宮に行く前に、旅館に帰りチェックアウトまでの少しの間、腰を下ろし小休憩を取りました。

下宮での参拝が終わり、本宮へ行く道中、駐車場までの渋滞時間もありがたく、きっとこの時間帯も自分の関節や体調の具合を少しでも回復させる為に用意して下さったんだろうなあと、感謝しました。

本宮では、会員の皆さんが私の身体を気遣い、時折自分の方へ目を配り状態を確認していました。本宮の隅々までの参拝こそ出来ませんでしたが、やり遂げたという何かしらの達成感があり、今度は元気になって来たいなと思いました。

今回の長い道中の中で、自分の身体に関する話が一つあったので書かせて頂きたいと思います。会員と色んな話をするうちに、我が家のお墓の話しになり、十一年前に他界した兄はそこのお墓に入っているのかと聞かれました。
実は、兄は実家のそばにあるお寺の納骨堂に入っていて、母と兄嫁が話をし最も訪れやすい場所という理由で、納骨されています。

私自身、骨には執着がある以外誰も居ないという認識が以前からあり、亡くなった直後に某会の人からお兄さんは今修行に励んでいますよと、聞いた事もあり、骨には何もついていないと思い込み、兄の納骨の件は、母と兄嫁に任せていていました。

道中の話しに戻りますが、会員からは○○家の長男なのだから、○○家の墓に入るのは当たり前の事ではないのかと言われましたが、その時に考えを巡らせていたのは、母と父方の親兄弟との仲や色んな事を任せっきりになっていて、自分が跡取りという感覚をしっかりと根付かせてはいなかったなと気付かされました。
会員からは、納骨堂とお墓へ分骨したら良いんじゃないかと言われ、その話をし出した神様より、貴方の代できちんとしなさい、と仰せになられました。

正月に両親に話し、来年一月一杯位できちんとしたいと思います。
と答えたら、貴方の今の身体の状態もそこが関係していますよ、と仰せになられました。
会員曰く、全ての原因では無いかも知れないが、きちんとすべきではないかと。

この話のやり取りを知らなかった会員に、こういう話しがあって兄の骨を分骨する事にしたんですと言うと、その会員から、こう言われました。
お兄さんの執着がそこの骨にあるから動けないだけでしょ?執着を無くして神様に祈ればどこへでもお兄さん行ける様になるのではないの?

本人が自分が残したものという認識を改める必要があるのではないかと思いました。
身の周りの全ては神様から与えられているものであり、生きている人間だった時に幸せを感じる為に用意して下さった妻や子供、そして環境です。
でも肉体を無くしたら、人間だった時の名前など必要の無い世界、神様からくだされる意図を繋げていく役目を担う事だと思います、生まれた所に戻ることとは神の世界に帰ること。肉体を無くしたら神の世界に帰ることなのです。

自分の周りの環境も物質的に何かを動かさなければいけない事は、人間にしか出来ないですが、何をどう動かすかを神様から聞かせて戴けるのは、極僅かな者だけなのだと、とてもありがたく、現在の環境に感謝致しております。

この件に関しては、またご報告させて頂きたいなと思っています。

今回の集いの会は、大収穫の集いの会でありました。
神様からこれまでは、そなた達に期待などしておらぬと何度も何度も仰せでしたが、今回の集いの会で仰せになられた事は、ご期待して戴いているからこそ仰られたのではないかと思う事柄がとても多く感じられ、身の引き締まる思いでありました。

余談ですが、源泉かけ流しのいいお湯に浸かっている時に、いそいそと周りの雪をかき集め、人に投げつけている人がいましたね、その雪は鑑賞するものでかき集めて丸めて投げるもんじゃありませんよ。しかもニヤニヤしながら投げない様に。

来年は今年よりも色んな事が起こるでしょう。
一日でも早く、氏神様の元に参られ、神様との繋がりを持たせて戴ける人へとなれる様に、多くの方が行動される事を願っています。
 

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