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他とは違っても大切な事

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2021年 7月25日(日)18時26分14秒 i114-184-209-125.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆さんいかがお過ごしでしょうか。
今年の夏はとても日差しが強く、日本列島では日々真夏日になっている地点が多いと報じられています。こんなに暑い日は冷えたビールが欲しくなりますよね。ただ、熱いからと言って冷えたものばかり摂っていると、血流が悪くなり手足まで冷えて来ますので、ほとほどが良いのだろうと私は思います。

と言いますのも、六年前私は関節リウマチと診断を受け、現在も完治には至ってはいませんが、当時診て頂いたお医者さんからよく言われていたのが、夏野菜は身体を冷やすから食べないほうが良いとか、乳酸菌の飲み物や食べ物は炎症によくないから食べてはいけないとか、他にも色々と食べ物については厳しく制限するよう言われていました。

では、医者がいう通り厳しい制限をして六年間過ごして来たかというと、全く守ってはいませんでした。むしろ、自分が欲しいなと思ったら、迷わず摂るように心掛けていて、生野菜は毎日食べ、ヨーグルトも毎日食べ、夏野菜も好んで食べて来ました。その結果、悪化して身体はもう動きません、とはなっておらず、お医者さんもびっくりする位に数値も下がり、軽快にも動き、正座も短時間ならできる様になり、しゃがむ事もできます。

お医者さんは適当な事を助言していたのでしょうか。いえ、お医者さんが言ったのは、あくまでもお医者さんの治療を受ける人に向けた言葉であり、統計学や昔から言われている効果などを基になされたのだと思われます。
この病気になり、初期の頃色んな整形外科医であったり、お医者さんと交わした会話の中には、私の病をに対し自分の研究材料にしたいから通いなさいと言わんばかりの口ぶりの方が殆どで、どれだけの副作用を考えていなければならないのだろうと思っていました。

だけど、幸いにして私がこの病気を発症した時には、この会で神社の大切さを学びつつある時期でしたので、薬は漢方薬として、毎月神社に行く事で、何かしら変化が得られたらという思いからの出発でした。

そういう時だったから尚更現代のお医者さんにだって、毎月神社には行って下さいね!という言葉があっても良いのになあという思いはありました。そんな事を言われるお医者さんなんて居られないでしょうね。
お医者さんが、お医者さんになる為には、神社へ合格祈願に行ったのではないですかね。お医者さんになったら、自分の仕事に神は不要だという考えなのでしょうか、よく分かりませんが。
まあそれを言い出すと、合格祈願をされた方の殆どがそういう状態かも知れませんね。

医者が言わずとも、他が言わずとも、この会では、言いますよ。
神社に毎月行く事はとても大事です。
周りの誰も毎月神社には言っていないから行かない。
誰も行く事が大事だなんて言っていないから行かない。
親も行っていないから行かない。
行かない理由は無限にあります。
でも、行く理由は一つ、自分の暮らしを豊かにして頂ける。

自分自身が何を信じるのかです。
他とは違うからしたくないと思うのは、とても勿体ない事です。
 

今朝起ったこと

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2021年 7月16日(金)16時24分26秒 i114-184-209-125.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  朝、いつものように会社に行く支度中に起こった事です。朝ご飯を食べようと口に入れた時でした、身体に僅かな拒否反応があり、後々胸焼けを起こしそうな予感がありましたが、何か物を入れておこないと少し強引に飲み込みました。

食事も終わり、洗面所へ向かおうと立った時です。今迄感じた事の無い気怠さと共に両腕の痺れに気付きました。うん?何だこの感じは、と色々と思い出すも両腕が痺れる様な事をした覚えはありません。ま、気にせずにいればその内無くなるだろうと、足を進めようとした時です。今度は頭がぐらんぐらんして、立っていられなくなり、ソファーに戻りました。

が、ここ数分で支度を終わらせられなければ遅刻も免れないと思い、再度立ち上がり、自分の身に何が起っているのか、神棚まで行き、祈り、神々様に伺ってみました。
すると、重篤な病に罹っているのでは無いことは何となく伝わりましたので、ソファーに戻り、会社に行けるかどうか熱を測りながら考えてみました。

もしかすると、熱中症かも知れないとネットで調べてみると、めまい・筋肉のけいれん・身体のだるさや吐き気、いくつか当てはまるものがあり、水分補給も行ってみました、熱はありませんでした。

その後、両腕の痺れはそのままで首の辺りまで痺れて来たのと、顔のおでこから顎までの中心部が段々痺れて来た事で、こんなに早く症状が変わって来るのはおかしいぞと感じた私は、久し振りの行動でしたが、会員の一人に連絡をとり症状を話してみました。

会員は、母方の御先祖の方々が助けて欲しいと来ている様だと告げ、神様に祈り、御声掛けを三回してみて下さいと、その後再度連絡して欲しいとの話しでした。

私は、不安定なまま、神様に祈り、御声掛けを三回してみました。
すると、両腕の半分の痺れが取れ、痺れの強さが段々軽くなってきました。
再度、会員に連絡をしその事を話すと、まだ何か重苦しい部分があると言われますが、自分にはそこまで何かを察知するものはありません。
会員より、最近何か思い当たる事は無いかと告げられ、思い返してみました。

そう言えば丁度先週末の話ですが会社の上司が急に社内で体調を崩し、辛くなりつつある状態を見た時、自分がお世話になっている整骨院に行ってみてはどうかとアドバイスをした事がありました。上司は迷いながらも、少しでも楽になるなら行ってみたいと返してきました。

アドバイスはしたものの、会社の近くに住む上司とは言え辛そうな状態で車を運転して行ってみてはなどとても言える雰囲気では無く、車通勤している私の車で載せて行き、帰りはまたこっちに乗せてくれば良いなと少し無理をして連れて行った事がありました。
上司は、こんなに楽になるものかと物凄く喜んでくれました。

その日上司を家まで送ったあとに思ったのは、行き帰りまで面倒を見る事にした事は少し過剰だったのではないかと、悲観的になっていました。
もしかすると、その事が関係しているかもと、会員に告げると、自分が悲観的になった事を祈ってみてはどうかと言われ、再度、神様に祈ってみました。

すると、自分の中に湧いて来た思いは、私に気付きを与え上司に何かするようテコ入れをして下さった神々の思いをも悲観するという事は否定するという意味合いにも取れると思った瞬間、涙がぼろぼろと落ち、大切なことに気付かせて頂いた事に感謝しました。

その後、大分状態は改善され、楽になりましたので、再度会員に連絡を取りました。
会員からは、日頃神様に祈り、自分の身体に停滞させない様にする事か肝心ですよと告げられました。思い返してみると、確かに最近全くお声掛けをしていなかったなという気付きでした。

今はとっても楽になり、こうして投稿する文面を書いている私ですが、私のこの体験から、いかに目に見えないところに多くの方々が行き場に迷い、すがる所が無いが故に、近付いて来られる方々の影響を受けて、肉体がある人々の殆どが影響を受けて暮らしているのだなと感じた次第です。

いつの間にか、自分がこうなってしまった。いつの間にか事故に巻き込まれてしまった。
このいつの間にか、を作らない為にも、神社へ行き、神様の元へ肉体があるうちに繋がりを持たせて頂けることが、いかに大事かという事を気付いて頂きたいと思います。

また、何かありましたら書かせて頂きたいと思います。
 

接点

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2021年 7月12日(月)14時07分47秒 zaq31fa8eba.zaq.ne.jp
返信・引用
  愉人です、皆さん、7月です、もう夏ですね、神様の所に行かれましたか。

今回も、会員さんと話をしていた内容から抜粋してお話します、会員さんの話の中には、神様から閃きを戴いて話している内容も有ります、どれが神々の考えなのかは、皆さんが読み取って下さい。

今は、混ぜこぜの時代と言うのか、そのような世界に入って来ている。
良いも悪いも嘘も本当も、全てが混ぜこぜに入って来ているから、規律と言うか、何と言うのか、決まりと言うか、絶対性と言うのが、無くなってしまっている。

目の前の、そこに、在るのが真実であり現実で在るのに、結局、今の宗教は絶対性を設けて、絶対性を守ろうと、人を集めている。

人間が絶対性を、求めているのかも知れない。

宗教は見切っていると言うか、知っている、絶対性と言うものが何か解らないのを、無くなってしまっているのを。

でも、絶対性は、そこに在る、だから、もう表に出ない様になって来た、本当は、表に出ないんじゃ無しに、そこに、在るのが現実なのに。

それが、分からないのが人間です、そこに縛らている。

そこに、在るのが真実で有り、現実で在ると言う所が、絶対で全てで在る事が解らない。

結局、今の宗教みたいに絶対性を設けて人を集めて、行っても、いくら能書きを、立てて行っても人間て、何か駄目なのですよ。

やっぱり人間が冷静と言うのは、逃げる事を考えるのも、冷静な内だから逃げる事を考えられる訳です。
ストレスから逃れようとか、嫌な所から逃れようとするのは、やっぱり冷静な心が有るから出来る事である訳、それが良い悪いなんて言われない訳ですから、自ら命を絶つのもそう、冷静な判断なんです。
間違いでは無い、本人にしたら。
今の人間の場合、反対に冷静さが無くなって、人の事を、関係無しに顧みずに自分の好き勝手に、横暴な事をすると言うのが反面に有るから、人に持って行くと言うのかな、平和では無いし、冷静さが無いと言う事だから、いつ何が起るか分から無いから、そこは止められても、やめられない。

昔は交通事故だった、そこで救われてた人間が救われなくなってきた、今は自ら命を絶つ風になった。
で、次は何か、人に殺められる、子供が親を殺す、こう言う風になって来た、平気で人を殺すような時代になって来た、戦争でも無いのに。

それが普通のニュースで流れても別に何にも無い、それが自然で有る、だから、振り掛かる身の危険って自分には分かって無い訳です。

誰一人、分かって無いから、そう言う風になる、だから、お節介も焼く、お節介を焼くから、そう言う風になる訳です。

じゃあ、放っておけば良い訳ですが、何かが有るから、そう言う原因で有る接点が有るんです。

接点が無かったら何も無いでしょう。

例えば私と会員さんと接点が無ければ何も無いです、在ったとしても、じゃあ僕が会員さんに、「じゃ神様が呼んでいますよって」言う連絡をしなかったら、別に接点は無いですよね、私と会員さん、他の方々とも、そうですね、「高山行って来ます」それだけで済む事です、何の接点も無い事ですよ。
接点は無かったんです、でも接点が在る様にしたのは自分達ですよ、分かりますか、言っている事、接点を作ったのは自分達で有る事を、返事をしたからですよ、返事をしたから接点が出来ている訳で、返事をしなかったら接点は出来ていない訳です。

いくら「神様が呼んでますよって」言われたって、返事をしなかったら接点は無しですよ。

反応するか、しないかだけの問題です。

そう言う事だから宗教等に、集まって行くのか行かないのか、そう言う所に行くのか行かないのか、行って災いを受けるのか受けないのか、それは、そこの接点を作った人が悪いんでしょう。

接点を作るって、あくまでも自分が作る訳ですから、何かにつけて、そこに行かなければ別に何も無い、騙される事も無いし、お金を取られる事も無いし、なぜ行くのって言う話、行かなければ良いのに、仲間外れにされるとか。
でも、それで良いじゃないですか別に、全てが、繋がっているから、そこに行く接点を外せば違う接点が有る訳ですし、後悔する接点を選ぶのか、後悔しない接点を選ぶのかは自分ですよ、行って一人に、なるのも良いです、元々一人なんですから、結局、後悔しなかったら何の問題も無い訳ですよ、人間だから。
実際的に、逆に言ったら後悔しても良い訳なんですよ、人間だからね、だから人間だから、何をしても良いですよ。

ルールの中で生きて居るって言うのは、それは人間同士の仲だからですよ。
日本であれば日本国憲法の中でみんな生きているんですよ。
人間だから良いんですよって、何をしても。

だけど、この世界と言うか神様が居られる世界の人間としては、それじゃ駄目なんですけどね。

私たちの前に、全てが在り、神々が居られる。
神々の傍に居るのが真実で現実で有る事が解っていないのが人間。

私達が神社にお誘いするのも接点を作りたいからです。
誘いの返事を、するのが接点に成ります。

神社に行くのも、神様に逢いに行くのも、接点が無いと行けない訳です。

皆さん、神様が、待っていらしゃいますよ。

 

辿り着くところ

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2021年 7月10日(土)15時40分9秒 i114-184-209-125.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆さんいかがお過ごしでしょうか。
7月に入り、蝉や虫の音を感じられる季節となりました。
心休まる神社に日頃の感謝を伝えに行きましたか、月初めの挨拶はとっても大事な事ですよ。

世の中の動きを見ていますと、これは行くところまで行きそうだなと思ってなりません。
コロナの猛威により、罹るものと罹らないものとに分かれ、ワクチンを打てば安心安全という刹那的な思想のもと、やれ先にと走る人々。

人間が本来持つ自己防衛本能というものは、誰もが持っているものですが、上手く機能していないのが現状と言えます。
例えば何か身体に合わないものを摂取したとき、直ぐに下痢や嘔吐などが起り身体から排出されるようになっています。それと同じようにウィルスについても、身体の防衛反応が作動して、ダメージを最小限に食い止める機能が働くものです。

これらの機能は、普段摂取するものが身体の中で分解され、防衛の手助けをしている訳ですが、口に入れるものが全てその手助けになっているとは限りません。
当然、身体にダメージを与える食物がある事は、ご存知の通りで何を選択して何を口に入れるかは自己判断に任されています。

自己判断というものは、人間が生まれ、育った環境などから培われた様々な経験や体験によって身に着くものですが、自己判断の危険なところは、独り善がりにあります。
独り善がりの人は、人の意見を聞き入れませんから、正に浅知恵からなる結果が伴います。痛い思いをしなければ分からない人には、必要な経験かも知れませんが、ネットの誹謗中傷が横行している事を見る限り、独り善がりの人間がいかに多いか思い知らされます。

自分の思い通りにならないと怒る人々が辿り着くところは、どんな世界か、お解りになられると思います。そういう人々は、自分が思っていなくてもめぐりめぐってあるところに行きついて、違うところに連れて行かれる事になるのです。

私達には、何を選択するのかを任されいています。
原点は、神様のところです。
神様を選択することは、人間が生きていくのに必要な全てを与えらます。
神様を選択することは、選択する全てを守って頂けます。
神様を選択することは、自身の未来を拓かせて頂けるのです。

何を選択するのか、今、試されているのです。
 

スタートライン

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2021年 6月20日(日)16時40分51秒 i114-184-209-125.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  愉人さんが書かれている記事の最後に、人間と神の在り方を全ての人間が知らねば、ならない時が来た。と記されていますが、どのくらいの方々がこの言葉の意味をご理解なされているのでしょうか。

殆どの方がご理解されていないと私は思っています。

以前から我欲に触れた記事は沢山書かせて頂きましたが、やはり、まだまだ、我欲が強い方が多くいらっしゃるのだなと感じています。

欲というものは、人間として生きていく為には必要不可欠な事です。
しかし、欲も強く持ち過ぎると、利己的となり我欲や強欲に変わってゆきます。
我欲が強い人に、休みの日にでも神社に行ってみてはどうですかなどと伝えても、休みの日はやりたい事があるからとか、ゆっくりしたいからとか、行きたい所が他にあるからとなり、神社に行く事よりも自分の欲が最優先となり、人の言う事は聞き入れないでしょう。

最近見かける人の中には、自分の時間を大切にしたいという方がいます。この考えもある種の我欲と考えます。自分の時間をつくるためならと他に犠牲を強いているかも知れません。
この様に自分の我欲を平気でさらけ出す様になって来たのも一つは、自分は1人で生きているんだと錯覚している所にあると思います。
そう思う様になったのも幼い頃から、神社や仏閣などに行く習慣がない事で、人間と神様との繋がりについて希薄である事と、神社や仏閣は正月皆で行くところという認識に留まり、頻繁に行く様な所では無いという思い込みがあるからだと考えられます。

人間はやりたい事をやったら良いんだ、親だって適当にやっているし、自分だって色々とストレスが溜まっているから発散したいしという考え。
では、やりたい事をやれる環境を作っているのは誰でしょう?
ひとたび、自分の環境を侵す何かが発生したらどうなるでしょう、やりたい事をやるなんて悠長な事は言えません。

ただ私達がこの日本で学んできた教育の中には、恐らく親の世代から既に神様観とやらは、学んではいません。神社に行く事が大切だなどと思っているのは、神道系の家系に生まれた人々くらいであり、日本人の中にも、神社にお詣りする大切さというものが薄れているのは事実の様に感じます。

しかも人間が作った宗教なんて、神社にお詣りに行くよりも教祖が建てた所に喜捨をしろというくらいですから、人間と神様との繋がりが何なのか分かっていないという事でしょう。
全てが空想です。教祖の絵空事なのです。
誰も、本当の神様の事を知らないから、知らない事を良い事に見えないものを見えると言われて、分からないままお金だけをむしり取られているだけなのです。
教祖はただただ肥えているだけです。
言ってしまえば、害しかありません。

私もそういうものに関わっている時は、知らない事だらけで、空想話に操られ、今考えると信じられない事を平気でやっていて、触らぬ神に祟りなしとでも言いますか、自分では解決できない様なとんでもない事をやって、結果、自分にとんでもない事が起こったと言えます。

巻き込まないで欲しいですね、ほんとに。
と言いますか、巻き込まれに行ったのかもですがね。

それこそ私が神社の御祭神のところへお詣りに行く様になったのは、当会に関わる様になってからとなります。

当会に関わり出してからというもの、本当に色んな事を体験しました。
やはり一番大きいのが、自分の身に起こったリウマチという病です。
約七年間、私は自分の病を通して、神様との縁を戴いた事で、人間の持つ治癒能力を最大限引き出して戴いて、今こうして元気に皆様に神様のお伝えをさせて頂ける様になっているのです。

神社の御祭神に、素直に、感謝を述べて暮らす事が、本当の人間としての生き方なのだと感じている次第です。こんな素晴らしい体験をさせて頂いたのは、誰にでも出来るんですよと伝える為に体験させて頂いたと思っています。

人間として生まれて来た以上は、人間が人間として本当の生き方に目覚める事が、大切な事であり、神様が望んでいらっしゃる事ではないかと思っています。

自分の行動にストップを掛けているのは、自分自身なんです。
まずは、行こうと思う心が大事です。
実際に行って、静かに手を合わせて頭を下げてみて下さい。
あらゆる事からお守り下さいと深く、深く、頭を下げてみて下さい。
そしてそれを続けて行ってみて下さい。

それが、スタートラインです。
人間と神の在り方を知るとは、神様が望んでいらっしゃる事を行えば、自分の生活環境が変わってゆきますから、どんな時でも神様がそばにおられ、守られていると感じられる生活が送れるという意味なのです。
 

人間が辿り着く所

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2021年 6月 1日(火)21時01分23秒 zaq31fa8eba.zaq.ne.jp
返信・引用
  愉人です、皆さん、6月です、新しい月に成りました、神様の所に行かれましたか。

会員さんとの会話の中から重要だと思う事柄を載せさせて頂きます。
思いの顕現、感情の有り方、人との関わり方、想いの有り方、冷静の価値、人間の感情等の見定めには重要な内容だと思いますので、会話も一部、示します。

本質の神との接し方と(神ノ大元ノ大神様の繋がりを持つ大切さ) 神周士の会では、(神ノ大元ノ大神様)との繋がりを持つ事を、神心の構築と示しています。

神ノ大元ノ大神様、又各神々様、の存在の下、神社、お寺には神ノ大元ノ大神様に繋がる親神様、神々様(守護神様)が居られる。
神々様の御守護の下、人間は生かさせて戴いて居るから、心の中に影響、感情が躍動する。
まず、欲、自己満足が優先されて出て来るから冷静さが無く、我儘な欲が出るから戦争するまでに至ってしまう。

冷静さが有るから平和で有る実態が存在する事が、会話の中から理解出来ます。
生きる意義とは、恨みを持たれようがどうしようが、そこに生かされている、これが神との段取り。

如何に、それを処理出来るかが結局は、その人の人生の楽しみ方になって来るのだと思います。
自己満足と言う、楽しみがあったから、そう言うものは、淘汰されて行くでしょう、違う楽しみ方を会得しろと言う事だと思います。
今迄人間が、そこに快楽を求めていたと、じゃあ、何故そう言う世界が切り捨てられようとしているのか。
その人の人生の楽しみ方、自己満足、そこに依存してしまった現状の世界から、今、元帰りしようとしている訳です。

元々、在るものだから、どう言うのかな、元に戻りましょうって事。
人が辛い苦しい、そういう状況になった時に、どれだけ強く前に生きられるか、本当に、その人間として生きる意義と言うか、意味と言うものを掴めるかどうかと言う事です。

元と言う目的が見定められて無い訳です。

難しいね、我々には有るけれどね、神ノ大元ノ大神様の元へ帰ると言うのが我々の目的であって、神ノ大元ノ大神様の、この伝えと言うのは、やはり後世に残していく、だから書いていた通り、今迄、守ってくれたご先祖様達の、きちんとした言葉、そして、そこに残してくれたもの、そう言うものを、もう一度見直しなさいと。

核心に迫って来たら物凄い表現と言うのは難しいけど、言葉に出すと言うのは難しいけれど、その皆さんが書いてくれた通り、今もコロナの中で生活も出来ない人達って言うのは一杯増えて来ているんだけど、この人達をどうしよう、ああしようと言うのは、我々にとっては何も言えない。
只、一つ言える事、その人が、そう言う状況になった時に、どれだけ強く前に生きられるかって事。
本当に、その人間として生きる意義と言うか、意味と言うものを掴めるかどうかって事ですよね。

神の人間の辿り着くところ
みなさまが本当に心の中からお会い出来る所に行って下さい
波長が合う、心が安らぎを感じる所という意味合い。
貴方自身が心休まる所であれば、氏神様に逢いに行ったらよろしい。
貴方の思いが届けられるような所に行かれては、いかがでしょうか、只、単にお詣りするのは、どこの場所でも良いですよ。
本当に貴方が思う事、貴方が本当に願う事になれば、貴方の波長が合う所に行って、深く深く頭を下げて思いを伝えてみては、いかがですか。



会話の内容も一部、示します。

ここでは紛争の闘いと防衛の差の説明が有りました。
物事が起きなければ?
人は感情の中で過ごしている、自分の感情の中で過ごしているから今は、平和です、平和と言うか何も無いですね?

ある面、自分の思い通りになっていると言う事。
だから、日常と言うのは、その中で、会社に行った、複数の人達と絡み合う、その中で自分が合わないとか、合うとか色んな事が起きて、そこで、ある程度の時間を過ごす、過ごすと言ったら、おかしいんだけど、そこをやり過ごす、で、次に自分の時間が出来る、そこで、どう言う風にするか、例えば自分の発散で言えば、お酒を飲みに行くとか、釣りに行く、まあパチンコに行くとか、今の現代で言うストレスという言葉じゃなくて、別に誰に教わった事も無いけれど自分で逃げて行く、逃げたいから、そう言う風にする、忘れたいから、でも忘れられない人間と言うのは、でも、その中で、いつも冷静に居られるのが人間ですね。
冷静に居られるから平和、今が在るんでしょ?

完璧に冷静ではないと思う、全てはね。
全ては冷静じゃ無いけれど、何か、事を起こすって言う、物事が働かない。
働こうと思っても、そこでストップが掛かります。
制約が有るんですね、その制約って言うのは、神の世界の神が人間にストップを掛けているんです、そうでないと人間の感情で走れば、この世の中、紛争の世界になってしまいますよね。
本来の、どこかで仲良く貿易をやっていれば戦う事も無いし、只、欲って言うものは無くなりますけど、そこに、欲を出して戦って、負けて、その復興の中で本当に十年かそこら辺で出来た日本と言うのは、まず、神の力というか、日本人の力。
その戦争にしたって、日本が欲を出して戦争した訳じゃないからね、防衛の為に第二次世界大戦に参加した。
でもその中にはやはり、石油と言う、一つの資源を欲したと、と言う答えがあった訳よ、石油が無いと何も出来なくなるから、それに依存して、しまった現状の世界。
好む云々じゃ無しに、終わっているからね日本が戦争をするのは、仕掛ける事は、もう無いと思うけど、争いが起きる可能性は十二分に有ると思います。

本土を守るとか、それは争いじゃない、防衛と戦争は違うと言う事。
勘違いしてはいけないのは、戦う為に守る為に、と言う大義名分の言葉の説明には、神の動きがある訳です、防衛は。
日清日露戦争は日本がロシヤ、ソ連から防衛するために中国まで進出して戦っていましたもんね。

生きる意義
私自身はホントに、一人ぼっちで生きているって、何で生きているんだろうなって思うもん、毎日ご飯食べる為に暮らしているのにと、思っているよ。
そんなの皆一緒ですよ、仕事して、誰しも一緒、どんな金持ちであろうが総理大臣であろうが、どんだけ偉い人間であろうが、どんだけホームレスであろうが、毎日ご飯食べて酒飲んで寝るだけ、で、その中の過程で、金を稼ぐ為に身体を動かす、その分野が違うだけであって、やっている事はみな一つ、同じ事、別に変った事はみなしていない。
言ったら職種が違うから、何一つ変わりない、ただ一つ変わりが有るのは、努力次第では、手元に入って来る労働の対価に対しての金額が変わりますよという事だけです。
まあ、それもあんまり載せたくは無いね、恨みを買う稼ぎ方もあるから。
でも、実際はそうなんです

まあね良く分からないけれど、さっきの話に戻るけれど、恨みを持たれる可能性が十二分にある世界だから。
まあ、有るでしょ、有っても、そこで生きていられるって事はね、恨みを持たれようがどうしようが、そこに生かされている、これが神との段取りなんです。
如何に、それを処理出来るかが結局は、その人の人生の楽しみ方になって来るんだろうなと思いますからね。

そこには、守護して下さる神様がいらっしゃるって事やね、そこに一緒に守って下さっている結局
要は今迄人間が、そこに快楽を求めていたと、じゃあ何故そう言う世界が切り捨てられようとしているのかね
やっぱり切り捨てですか、試しじゃ無しに。
でしょうね、それでないと、ここまでしないと思います。
自己満足というか楽しみがあったからねそこに。
だから、そう言うものは、もうこれから淘汰されて行くんでしょうねと言う事ですね。
うん、まあ違う楽しみ方を会得しろと言う事だと思いますけどね。
そうそう、そこを解るのが大変なんですよ
と、言うか本当に、その人間として生きる意義というか、意味というものを掴めるかどうかって事ですよね、只、快楽を求める、楽しさを求めるだけで生きているのであれば、今のコロナに罹ったら最悪の事になりますね。

だから、そこに依存してしまった現状の世界、で、今元帰りしようとしている訳よね、火の光、又、こんな言い方したら宗教みたいに思われたらいかんけれど、元々あるもの、だからどういうのかな、元に戻りましょうって事なのよ、どう説明したら良いのかな
その元という、説明が出来ないから難しいですよ、元が何かが分からないから。
帰りましょうって事よね。
だから、どこへ帰るのかって言う目的が出て無いのよ。
目的な。

元と言う目的が無い訳ですよ。
難しいね、我々には有るけれどね、神ノ大元ノ大神様の元へ帰ると言うのが我々の目的であって、神ノ大元ノ大神様の、この伝えと言うのはやはり後世に残していく、だから書いていた通り、今迄、守ってくれたご先祖様達の、きちんとした言葉、そして、そこに残してくれたもの、そう言うものを、もう一度見直しなさいと、うーん、核心に迫って来たら物凄い表現と言うのは難しいけど、言葉に出すと言うのは難しいけれど、その皆さんが書いてくれた通り、今もコロナの中で生活も出来ない人達って言うのは一杯増えて来ているんだけど、でもこの人達をどうしよう、ああ、しようと言うのは、我々にとっては、只、一つ言える事、その人がそういう状況になった時にどれだけ強く前に生きられるかって事よね
本当に、その人間として生きる意義と言うか、意味と言うものを掴めるかどうかって事ですよね

本質の神との接し方が有りました。
分け隔てって言ったらおかしいけれど、神の中心になった人達と成田山というのは、不動明王という御祭神の中でまた役割が違う、各神々様、だから神ノ大元ノ大神様、各神々様、そこに入る神々様じゃないかなと思うんですよね。
だから神ノ大元ノ大神様、各神々様、この定義の各神々と言うのは、全世界の神々を表すって事よね。
各神社、各寺で名前が付いているけれどそれはただの呼び名であって。
御役で行っている事は、人間が決め付けた御役では無い事を行っているのが、今の現代であるという認識があるんですよ

そこには守護してくれる方々がちゃんといらっしゃる。この思いを伝える事って、簡単じゃないですよ、簡単であればもう宗教戦争が起こっています。
どんな世界に於いても受け入れて貰えます、けど受け入れて貰えないという事はどう言う事かって事なんです。
それをあくまでも敢えて発信しようというのが、神の世界の事なんです。

結局、今迄こうだ!こうだ!と、決め付けていた事が全部違っていたと言う事を教えられている。
今、示されているのは、結局今迄の宗教とか、そう言うので学んで来たことが、結局ハッキリ言ったら人間が勝手に都合の良い様に神様を扱って来た証拠みたいなものですよね。

じゃあこれをどうすれば良いのって言うのは、人間の力では無理なんですよ。
うん、無理、無理、結局、神様が人間に対してどう思っているか。
どこかの神様が人間を作り出して来たと言うか、どこかの神様がこの3次元と言う世界を作ってしまってから、宇宙が生まれ、神も生まれて来て、結局今のような形態になっていて、元々の神である、祖神様の世界とは違う世界が、勝手に出来上がったんじゃないかと言うのが、この頃の考えです。
けどそこには繋がりがあるから、勝手じゃ無いんですよ、全てに於いてね。
連綿としているからね、だから連綿としている中で、3次元と言う、この次元が出来上がってしまっているから
次元という言葉を使うのもおかしな話でね、別に次元と言うものは無いんですよ一つなんですよね、ただ人間が行けない、だけだから、そこに。


 会話をしている中に於いて人間が生きて行くのには、生きる意義を持ち、人間が辿り着く所はどこなのか、どの工程を経て、生きて行けば良いのかを、確立する時が来た事を示した、会話だったと思います、会員の会話の中の言葉には、神々から告げられた言葉が、沢山、示されていました、どれが神様からの言葉かは、皆さんが、これから探さなければならない事だと思います、今回、この会話を掲示板に載せたのは、正に、今、人間と神の在り方を全ての人間が知らねば、ならない時が来たと言う事だと思います。
ですか、その糸口にも届いていない人達が、ほとんどです。

この掲示板をお読みの方、神様がお待ちですよ、心が休まる神社を見つけましょう。
 

接点

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2021年 5月16日(日)17時35分46秒 i114-184-209-125.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  私達の暮らしの中には様々な接点が存在し、その接点により行動が決まっていると言っても過言ではありません。

ただ接点の中には、選択出来るものと出来ないものがあります。
生まれる場所、生活する環境です。
紛争が絶えず起こる国に生まれ、生活環境によっては、兵士となり、戦争という接点の中で亡くなる人、貧困で亡くなる人、医療の不足で亡くなる人、中には強く生き抜く人もいるでしょう。

紛争の無い国に生まれ、生活環境によっては、両親から虐待されて殺される子供、子供から殺される親、自ら命を絶つ人、殺す人、殺される人、事故で死ぬ人、中には何の苦労もなく生活している人もいるでしょう。犯罪を犯す人や巻き込まれる人は、そこに至る経緯というのが必ず存在します。
言えば、様々な選択肢があった筈なのです。最初は何を選んでも選ばなくてもよかったのが、一つの選択がある接点を生み、行動が悲劇を生む事は必ずあります。反対に、自らが首謀者となるケースもあるでしょう。首謀者であっても、首謀者になり得る為の選択と行動があった筈です。

結局は自らで選んでいるという事です。

情報化社会となり、あらゆるところに情報発信がなされています。
それを見に行くのは、自由です。
何を取ろうと自由です。
あなたがどうなろうと自由です。と、言い切ってしまっても良いのですが、人間が人間として生きる為には、正しい選択をしたほうが、自分にとっても周りの人にとっても、地域の為にも、国の為にも、地球の為にも良いのではないでしょうか。

人間が人間として生きるとは、社会のルールに則り例えば日本であれば日本国憲法に則り、生きるという意味です。そんなの関係ないと言われる人は、どうぞご自由にとなります。

正しい選択とは何か、冒頭に選択出来るものと出来ないものがあると書きましたが、生まれる場所というのは、神様の仕組で生まれますので、どこに生まれるかは誰にも分かりません。
ただ、どこに生まれようが、生まれる事自体が、凄い確率であり、奇跡的な事なのです。
この奇跡的な事をやられる神様と人間は繋がっているんです。

以前、人間の身体の中には神様がいると書きましたが、覚えていますでしょうか。
細胞の一つ一つに神様がおられ、一つ一つの細胞の働きを司る神様もおられ、人間の身体を司る神様もおられ、人間を司る神様を司る神様もおられ、という風に一番上の神様まで繋がりがあるという記事です。

でも、繋がっている事は知っていても、神様と接点を持つ方法を知っている人は極僅かしか居ません。
神様と接点を持つ事が出来れば、自分が何かを選択する時、自分に最も適したものを選択させて頂けるのです。神様の事を信じて、進む人間に、その人間の暮らしから外れた行為になる様な選択は無いのです。
接点を持つ方法は、当ホームページに書かれております。
何を読まれ、何と接点を持ち、どう行動するのか、神様の仕組を戴けないのは、貴方自身の我欲により阻まれているだけなのです。

神様との接点は誰であれ、簡単にできるようになっているのですが、難しくしているのは、人間なのです。
 

五月

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2021年 5月 1日(土)11時53分50秒 i114-184-209-125.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆さん、五月になりました。
神社へはもう行かれましたか。
今日の神社の様子を見ていますと、先月の一日とは大分人の多さが違っていて家族連れなどの参拝者が多く居られました。
今日からGWになった方が多いからですかね。

家族で来られるように段取りをして下さった神様からの贈り物かも知れませんね。

一日が平日だった場合、私は普段より三十分早く行動するようにしていて、会社に行く前に参拝ができるように動いています。
何しろ一日に神社に行かなければその月が始まらないというくらいの思いに今は、変わっていまして、行っていなかった時の自分の暮らしや生活環境を考えてみますと、全く比べ物にならないというのが、私の思いだからです。

神社に行き初めて一番大きいには、自分の思いの変化だと思いますが、そういう思いに変わっていったのは、毎月御祭神に、先月の感謝のお礼を言って、今月もよろしくお願いしますという気持ちを御祭神に伝えて来た事によるものです。

例え病気になっても、改善の道を開いて戴けて、症状の変化も見せて戴ける。
仕事場においても、後々必要になる技術を事前に学ぶ機会を与えて下さり、次にその技術が活かせる場へと移動させて戴ける。
このような事は、神社に行く前には無かった事でした。

自分に今必要なものを全部戴いている、そういう気持ちです。

当会で掲げている、人間が神々と集い、交信ができる世界、即ち神々と集い合う世界、ここに近付くための第一歩として、神社へ行くとどうなるのかを伝えています。
行動を起こした方から順番に、自分がどうなって行くのか、それを証明する指標として、私自身が体験をさせて頂いているのではないかと思っています。

私の変化はこれからも書かせて頂きますが、皆さんの中からも第一歩を行動なされて、自分の世界が変わっていく事を体験して頂きたいと思っています。

神社へ行く事は、大切ですよ。
 

定義

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2021年 4月18日(日)23時09分34秒 zaq31fa8eba.zaq.ne.jp
返信・引用
  愉人です、皆さん、前回の続きで会員の方と話をした時の内容を掲載させて頂きます。

この思いを伝える事って、簡単じゃないですよ、簡単であれば、どんな世界に於いても受け入れて貰えます、けど受け入れて貰えないと言う事は、どう言う事かって事なんです。
それを、あくまでも敢えて発信しようと言うのが、神の世界の事なんです、残さなければならないと、この時代にね、残して行こう。
そこは皆さんの、その経験と知識とで。

いやいや、今迄、言った経験と知識が、全部ひっくり返って来ている、今日この頃ですは。

でも、それが当たっているんでしょ?逆に言えば。

結局、今迄こうだ!こうだ!って決め付けていた事が全部違っているよ、と、言う事を教えられているからね。
それを、今、示されている訳ですよ。
結局、今迄の宗教とか、そう言うので学んで来たことが、結局ハッキリ言ったら人間が勝手に都合の良い様に神様を扱って来た証拠みたいなものですよね。

じゃあ、これをどうすれば良いのかって言うのは、人間の力では無理なんですよ。

無理、無理、結局、神様が人間に対しての思いに、纏りがついて無いと僕は思ったから。
必要が有って、人間を作ったんでは無いなって事が、この頃、分かって来たんですよ。
まあ言葉は悪いけれど、勝手に人間が現れて来たと言うか、どこかの神様が人間を作り出して来たと言うか、どこかの神様がこの3次元という世界を作ってしまってから、宇宙が生まれ、何やかんや生まれて、神も生まれて来て、結局、今のような形態になって行って、元々の神で在る、親神様の世界とは違う世界が、勝手に出来上がったんじゃないかと言うのが、この頃の疑問なんです。

けれど、そこには繋がりが在るから、勝手じゃ無いんですよ、全てに於いてね。

連綿としているからね。

だから連綿としている中で、3次元と言うこの次元が出来上がってしまっているから。

まあまあ、次元という言葉を使うのも、おかしな話でね、別に次元と言うものは無いんですよ一つなんですよね、只、人間が行けないだけだから、そこには。

だから物質と言うものが現れた世界が、やっぱり出来上がって来たのかなと思うんだけど。

物質と言うのは、地球が出来ている時には、もう物質は出来ているから。

いやだから物質と言うのはエネルギーが発生した時点から物質だから。

だから、もう、そこに、何故それが出来たかという解明なんて、まず無理!

解明しようとする人達のほうが愚か、そんな事は無理、想像でしか無い訳。
我々が今、何を発信しないといけないのかって事よね。
人間のあり方、神様と、どうお付き合いするかって言う人間のあり方、神と人間のあり方かな、一つのね、如何に神と付き合うか、付き合う事が出来るか、まずこれを検討してみて下さい。
今日、私が喋った事と言うのは、僕の頭の中には一切残ってませんからね。

今の言葉を私は叩き込まないといけないと必死なのに。

御免なさいね、これはもう宿命ですは。

そうですね、役割が分担、出来ているんだから、良いじゃないですかね、これが一人でやっていたら絶対破裂してますよ、分担出来ているから何とか人間生活が送れているんじゃないの?
だって私自身ホントに、一人ぼっちで生きているって、何で生きているんだろうなって思うもん、毎日、ご飯食べる為に暮らしているのにと、思っているよ。

そんなの皆一緒ですよ、仕事して、誰しも一緒、どんな金持ちであろうが総理大臣であろうが、どんだけ偉い人間であろうが、どんだけホームレスであろうが、毎日ご飯食べて酒飲んで寝るだけ、で、その中の過程で、金を稼ぐ為に身体を動かす、その分野が違うだけであって、やっている事はみな一つ、同じ事、これも書いてね、別に変った事は、皆してない。
言ったら職種が違うから、何一つ変わりない、ただ一つ変わりが有るのは、努力次第では、手元に入って来る労働の対価に対しての金額が変わりますよという事だけね

まあ、それもあんまり出したくは無いね、恨みを買う稼ぎ方も有るから。

でも、実際はそうなんです

良く分からないけれど、さっきの話に戻るけれど、恨みを持たれる可能性が十二分に有る世界だから。

まあ、有るでしょ、あってもそこで生きて居られるって事はね、恨みを持たれようがどうしようが、そこに生かされている、これが神との段取りなんです。

そうそう如何にそれを処理出来るかが、結局はその人の人生の楽しみ方になって来るんだろうなと思うからね。

だから、そこには、守護して下さる神様がいらっしゃるって事やね、そこに一緒に守って下さっている結局は。

若しくは一緒に神様が楽しんでいる可能性も有るのではと、この頃思っているから。


会員との話は一時、終わりますが、最大の定義として、今迄、人間が勝手に都合の良い様に神様を扱って来た事の改めと、本当の、神と人間のあり方、神様と、どう言う、お付き合いするか、如何に神と付き合うか、付き合う事が出来るかの話が残りました。

神様に祈る、深く深く頭を下げて思いを伝える、入り口的な話を、して来ましたが、本当に、守護して下さる神様が、いらっしゃるって事、いつも一緒に守って下さっている事を、感じましょう。

結局は、心が入り込む、心が安らぎを感じる所と、言う意味合いで、貴方の思いが届けられるような所に行かれては如何でしょうか、どこの場所でも良いです。

本当に貴方が思う事、貴方が本当に願う事になれば、貴方の波長が合う所に行って、深く深く頭を下げて思いを伝えてみては如何ですか。

又、会員との楽しい話を載せて行きますので宜しく拝読をお願いします。
 

神様の段取り

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2021年 4月 4日(日)17時49分44秒 i114-184-209-125.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  現在勤めている会社に至るまでの経緯は、年末に書かせて頂きましたが、入社後に体験した事で、これは神様が段取りをなされた事ではなかろうかと感じた事柄がありましたので、書かせて頂きたいと思います。

年末からバタバタ応援する事になった仕事は、現地に何度も調査に行き調査した内容をまとめていくというものでした。21日に初めて現地に行き、お昼過ぎからの調査を再開し始めた時でした。懐かしい人が現地に現れ、私の方から声を掛けると、先方もあらあら、今日はこちらの会社のお手伝いですか?と聞かれましたので、いえいえ、この会社に入社したてで、今日初日ですと答えました。先方とは、10年以上前に数年に渡り一緒に仕事をさせて頂いた事のある方でした。現在は、当時よりも昇進し、係長という立場になっていて、懐かしく少し立ち話をしました。社長は、それを見て、知り合い?と聞かれましたので、はい以前に何度かと答えました。

応援する事になった仕事を発注する部署の係長だった訳ですが、私が業務に参加した事は、その部署内にも広がった様で、それまで対応が悪く喧々諤々な打合せだと、社内の人達から聞いていたのが、私が参加する様になってからは笑いが出る様な打合せになって行きました。

私は、その打合せの状況の変化と現地で先方とお会いしたという事実から、この業務は、私が入るべくして神様が段取りをなされたものじゃなかろうかでした。

そういう仕事振りを社長が見られての事か、その後に言われましたのが、貴方を部長待遇として迎えたいというお話でした。
社員を指導する立場としても期待していますと言われ、業務の残作業は、担当者の状況を確認しながら進める事になりました。

その業務は、納期が何回かに別れており2月中旬までを第1回目として、若い方と上司の二人体制で進めていました。若い方は入社3年目で上司と2人の二人三脚で殆どの業務にあたって来たと聞いていたので、偶々業務内容の多い物件で、人手不足だったのかと思っていました。
納期の数日前でしたが、若い方が受け持つ部分が終わりそうにないと告げて来ました。3人で内容を確認すると、数日頑張れば若い方1人で何とかなる内容だった為、そのまま引き続き続行してもらいました。そして、前日になって、状況を確認したところ、まだまだ全然終りが見えず、3人で入っても終わるかどうかという状態で愕然としました。

上司は、なぜこうなるまでほおっておいたんだと別室で随分と指導していた様でしたが、このままでは、納期に間に合わないかも知れないと、3人で作業にあたりました。
状態の重さは、見れば見るほど拡大していき、とてもじゃないが、貫徹は免れない状態だと、上司と私は程なくして気付きました。貫徹なんて、何十年振りであろうか、と夜通しこうこうと明るい事務所で貫徹となり、明くる日の夕方に先方へ納品となりました。

ただ、その業務は後日、第2回目の納期を言われ再度チェック修正が届き、対応する事となりました。
3月初旬の2回目の納品直前でした。再三に渡り出来なければ応援するよという問いに、大丈夫です、出来ます。と繰り返したあげく、前回と全く同じ状態を上司と私は若い方から見せられる事となり、2回目の貫徹に突入しました。

こんなに短い間に貫徹を2回もする事になろうとは・・、ですが、若い方が発する私に対する受け答え方が貫徹する前と後とでは、明らかに違うというのが、私を会社の部長として、若い方の上司として認識して貰う為には必要な事だったのだと思いました。

それに加え、私が受け持つ部位と上司が受け持つ部位の納品が近付いた頃、上司が原因不明の体調不良により数日間会社に出られなくなり、私が二部位をまとめ上げる事となりました。この事で、上司は、私に対して自分が動けず困っている時に、助けて貰ったという気持ちが強くなり、その後の上司と自分との関係がとてもスムーズになった事は言うまでもありません。

そうなる様に段取りをして下さったのは、神様だと思いましたので、そういう時は、心の中で、神様ありがとうございます。と唱える様になりました。

社長との係わりはどうだったかと言いますと、以前投稿した時に書きましたが、入社した会社は1年ほど前に同系の会社を退社する際に、誘われた事があったのですが、退社する事になった会社での業務がとてもハードで身体的にも不調で気分的にもかなり落ち込んでいて、唯一その会社で学んだあるワークが自分に合っているなと思っていたので、そのワークが出来る仕事場を探し就職を考え、そのワークが出来る会社への再就職を考えていると今の会社の社長にも正直に告げてお断りをしていました。

しかし、そのワークの会社もコロナの影響で退職する事となり、今の会社に入社した訳ですが、入社すると、社長から、貴方がやりたいと言っていたワークが、何個か入っているから、そちらにも従事して欲しいと言われ、私の為にワーク用のマシーンを購入してくれたのです。
その出来栄えを見て、社長はこんな素晴らしい出来のワークが出来る人が社内に居る事が嬉しいと、目を丸くして感動して下さいます。

今迄、何十年もあった業務の中で、そのワークが入って来たのは、私が入る事が決まってからと言いますから、神様の段取りの凄さは、本当にきめ細やかだと感じました。

この様にして、私が携わる環境を整えて下さる段取りを神様は、ご用意して、迎えて下さっている事が、少しずつ分かり出して来た事が、私自身もとても嬉しく思っています。
と、ここまでは人間関係に於いてのお話でしたが、実は、仕事の面でも神様の段取りを気付かせて頂ける事が起こっていますので、書いてみます。

仕事をしている時に、フッとある部分が無性に気になり、調べて、自分なりに理解して満足する訳ですが、そうすると必ず次の日かその直後に、気になって調べた事柄が社内で話題になり、スムーズに話に入って行けるという体験が頻発しています。
社内で話題に上がって話をしていると、あれ?昨日その記事見てたぞとなる訳です。

いかがですか、今書いた事は誰にでも起こり得る事なんです。
あなたがホッとする神社へ神様にあいに行ってみて下さい。環境を整えて下さる神様の段取りを多くの方に体感して欲しいと思います。
 

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