|
新しき月を迎えました、神社には、ご挨拶に行かれましたか。
私は、高山に行く以外には、住んでいる所と仕事をしている職場の近くの神社には、月替わりの挨拶に、行かさせて頂いております。
神社には 私共の御守護をして戴いております神々様が宿られて居られます。
神社に居られます神様で、私の住んでいる所の神様を、氏神様と申し上げております。
氏神様は、人間が生まれてから、死んで、肉体を離れた時にも、次の世界に行く為に、導いて下さいます。
お示し戴いております中に、神々には個人的な名前は有りませんが、土地の呼び名、地名等の名称を付けて、お呼びしても良いと伺っております。
何々県、何々市、もしくわ、市内であれば、何々町で、大体の土地と場所が分かると思いますので、何々町の○○神社、御祭神の皆様とか、そういう呼び名で神社に祀られている神様を、表して、お呼びしても良いと示されています。
限定した地名を入れた呼び名は必要だと思います。
なぜかと言えば、今、現在、何処の土地の氏神の下で、氏子として生活しているのか、立て分けを、はっきりする為には、何々町、○○神社の、御祭神の皆様と、ご挨拶する事が 大切で有ります。
私自身、肉体を離れた時に 面倒を見て戴くのが氏神様でございます。
私が、どこどこの氏子で有るかと言う、立て分けをする為にも何々町、○○神社の、御祭神の皆様と言う、呼び方を普段からして、自分は、その神社の氏子で有ると言う事を表明する事が必要だと思います。
そして、一番大事な事は、地名が付いた神社の御祭神で、ある限り、そこの土地に住んでいる、人間達の御守護を、されておられるのです。
だからこそ、感謝をするにしても、方向性がしっかりとした、お礼を、しなければ意味がないと思います。
まずは、神ノ大元ノ大神様に、神ノ大元ノ大神様、又、各神々様に、そして、地名を限定し、どの神様にお礼を、しているのかを示す為にも地名入りの神社名を示す必要が有ります。
当然、感謝だけでは無く、お願いをする時にも、地名入りの神社名を示す必要が有ります。
神様に、お願いをすると言う事は感謝も一緒に行っている事にも通じます。
宗教界において一部の宗教活動をなさっている所では、教えとして神様や、ご先祖様に お願い事をしてはいけないと指導している所が有ります 。
我々の神様に対する祈りの中には、全てを戴いて、おりますと言う、 言葉が有る通り 何一つとして、人間個人が行なう事は出来ない、全てに於いて、神様に、お仕組み戴いて、動いて戴かなければ、人間は活動が出来ず生命の維持も難しものです。
なればこそ一日の生活を、安全に幸せに過ごさせて戴く為には、全てに於いて、神様に、 お世話に、ならなければならないので有ります。
日々、神様に、お願いを、しなければ命を守り、生活が出来ない事でも有ります。
神様に、お願いをして、棚ぼた式に物事を仕組んで戴く場合も有りますが。
一般的には、願っている事を成就する為の努力を許されなければ、目的には達せられない事も有ります。
物事を願い望むのであれば、まず、神に願いを伝える事を行ない、努力する事をお許し戴いて、目的に進ませて頂く努力の仕組みを、戴かなければなりません。
神様にお願いすると言う事の大半は、目的に至るまでの努力をする事の、お許しを賜る事と、御守護を願う事であります。
願い事を 成就する為には 努力が必要である その努力が許されるように日々、お願いをさせて頂く、目的に進んで行く、この一つ一つの段階の、お仕組みを戴く事が必要である。
又、その一つ一つの段階を許される事の感謝も忘れずに行う事。
神様にお願いをし、成就する為の、お仕組みを戴く、お仕組みだけでは、なしに、それに係る神々の、ご協力を願う事にもなり、日々の努力と行い、最終的には、願いを成就させて頂ける。
又、神様に、お願いしている時には、肉体に宿られている神様も活動して頂け、私達の願いを伝えて戴く事、ご協力を願う事にも活動をして頂いております。
宿られている神様が居られなければ、願いを伝える事、願い方の指導もして頂けない事、活動する時のアドバイスなど願い事を成就する為に活動して戴いております。
まさに 日々全てに於いて、神々様の関りがないと、生活が出来ない、同じく人間が生きて行く為に、願いを出せば、その願いを叶える為に神々が人間に仕組みを、おこして戴ける。
確かに 棚ぼた式に、直ぐに物品等を分け与えて戴ける願いの事柄もあるが、本来ならば、願いを出せば、その願いが叶うまでの道筋、仕組み、又、それに至る神々のお仕組みが許されて初めて成就して行く。
人間が生きて行く為には空気が必要で有り 。
又、肉体を形成する為の食料も必要となってくる。
これら全てが、神様からの、お仕組みが有るからこそ、与えて戴いているのである。
願いを、させて頂くと言う事は、その全ての生活に於いての、お仕組みを、お願いする事になり、その仕組みが起こる事を 願う事である。
又、願い事を成就した見本として、私どもの会員の九代さんが、体調が悪くなり不治の病とも言われ、膝の軟骨の異常が起き正座も出来ないなど、膝が曲がらない状態に成った時、五体満足を、お願いしたと思います。
それから長い年月をかけて、自分なりの治療、自分なりの養生で、今現在は、不治の病と言われていた事を克服しました。
これも全て神様のお仕組みと、当人の努力の結果だと思われます。
この仕組みと努力の報われる仕組みを、与えて戴く為にも、願いを忘れずに、思いを繋げる事。
又、思いを願うと言う事は 感謝を、あらわす事でも有り重要な事です。
神ノ大元ノ大神様、全てを戴いております、神(まこと)に、神(まこと)に、ありがとうございます。
|
|