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高山集いの会、ご報告

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年12月15日(土)11時41分15秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  12月8、9、10日の2泊3日で集いの会が行われました。
今回は高山と伊勢で集いの会が開かれ、参加させて頂きました。
高山では、今期三回目という寒気と雪の中にもかかわらず、親神様や沢山の神々様にもお会いできまして、多くのありがたいお話しや叱咤激励も賜りました。

御出になる神々様がみな、今宵の直会が楽しみじゃ、楽しみじゃと口を揃えて仰るので、顔が硬直し少しビビッていましたが、直会では何とも素晴らしい今迄聞いた事も見た事も無い、神様だけが使用できるという秘技をご披露戴きました。
聞いているだけで、あらゆる次元に届くが如く拡がりを感じながら感動して心が洗われる様な体験をさせて頂きました。

また高山から伊勢へと参拝の御許しも賜り、伊勢の夜も直会が開かれました。高山の直会で披露された秘技も再度拝見させて戴き、やはり凄いパワーと隅々まで拡がって行くような、そんなイメージがありました。
神々だけが使えるもので、決して真似をしてはならぬと仰せでした。
貴重なものを御見せ戴き、神に、神に、ありがとうございました。

伊勢神宮へは、参拝する前に、二見が浦にある二見興玉神社へ参り、古来より伊勢神宮をお詣りする際は二見が浦で身を清めたと言いますので、その後下宮、本宮へと参りました。
二見が浦では、海沿いという事もあり、季節的に冷たい風が吹いていて私の関節も悲鳴を上げ始めましたので、伊勢神宮に行く前に、旅館に帰りチェックアウトまでの少しの間、腰を下ろし小休憩を取りました。

下宮での参拝が終わり、本宮へ行く道中、駐車場までの渋滞時間もありがたく、きっとこの時間帯も自分の関節や体調の具合を少しでも回復させる為に用意して下さったんだろうなあと、感謝しました。

本宮では、会員の皆さんが私の身体を気遣い、時折自分の方へ目を配り状態を確認していました。本宮の隅々までの参拝こそ出来ませんでしたが、やり遂げたという何かしらの達成感があり、今度は元気になって来たいなと思いました。

今回の長い道中の中で、自分の身体に関する話が一つあったので書かせて頂きたいと思います。会員と色んな話をするうちに、我が家のお墓の話しになり、十一年前に他界した兄はそこのお墓に入っているのかと聞かれました。
実は、兄は実家のそばにあるお寺の納骨堂に入っていて、母と兄嫁が話をし最も訪れやすい場所という理由で、納骨されています。

私自身、骨には執着がある以外誰も居ないという認識が以前からあり、亡くなった直後に某会の人からお兄さんは今修行に励んでいますよと、聞いた事もあり、骨には何もついていないと思い込み、兄の納骨の件は、母と兄嫁に任せていていました。

道中の話しに戻りますが、会員からは○○家の長男なのだから、○○家の墓に入るのは当たり前の事ではないのかと言われましたが、その時に考えを巡らせていたのは、母と父方の親兄弟との仲や色んな事を任せっきりになっていて、自分が跡取りという感覚をしっかりと根付かせてはいなかったなと気付かされました。
会員からは、納骨堂とお墓へ分骨したら良いんじゃないかと言われ、その話をし出した神様より、貴方の代できちんとしなさい、と仰せになられました。

正月に両親に話し、来年一月一杯位できちんとしたいと思います。
と答えたら、貴方の今の身体の状態もそこが関係していますよ、と仰せになられました。
会員曰く、全ての原因では無いかも知れないが、きちんとすべきではないかと。

この話のやり取りを知らなかった会員に、こういう話しがあって兄の骨を分骨する事にしたんですと言うと、その会員から、こう言われました。
お兄さんの執着がそこの骨にあるから動けないだけでしょ?執着を無くして神様に祈ればどこへでもお兄さん行ける様になるのではないの?

本人が自分が残したものという認識を改める必要があるのではないかと思いました。
身の周りの全ては神様から与えられているものであり、生きている人間だった時に幸せを感じる為に用意して下さった妻や子供、そして環境です。
でも肉体を無くしたら、人間だった時の名前など必要の無い世界、神様からくだされる意図を繋げていく役目を担う事だと思います、生まれた所に戻ることとは神の世界に帰ること。肉体を無くしたら神の世界に帰ることなのです。

自分の周りの環境も物質的に何かを動かさなければいけない事は、人間にしか出来ないですが、何をどう動かすかを神様から聞かせて戴けるのは、極僅かな者だけなのだと、とてもありがたく、現在の環境に感謝致しております。

この件に関しては、またご報告させて頂きたいなと思っています。

今回の集いの会は、大収穫の集いの会でありました。
神様からこれまでは、そなた達に期待などしておらぬと何度も何度も仰せでしたが、今回の集いの会で仰せになられた事は、ご期待して戴いているからこそ仰られたのではないかと思う事柄がとても多く感じられ、身の引き締まる思いでありました。

余談ですが、源泉かけ流しのいいお湯に浸かっている時に、いそいそと周りの雪をかき集め、人に投げつけている人がいましたね、その雪は鑑賞するものでかき集めて丸めて投げるもんじゃありませんよ。しかもニヤニヤしながら投げない様に。

来年は今年よりも色んな事が起こるでしょう。
一日でも早く、氏神様の元に参られ、神様との繋がりを持たせて戴ける人へとなれる様に、多くの方が行動される事を願っています。
 

高山集いの会を終えて

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2018年12月12日(水)11時06分39秒 zaqd37c3a05.zaq.ne.jp
返信・引用
  こんにちは愉人です、高山での集いの会に参加させて頂きました。
集いの会の内容も心に響く事柄が多くありましたが、今回感じた神社の違い体感したことを書かして頂きました。

12月8.9.10日に年末恒例の高山での集いの会に行ってまいりました。
今回は高山からの帰りに、伊勢に一泊して伊勢神宮にも行くことになりました。
都合3日かけての集いの会になりました。

高山では親神様の神社だけでなく、数カ所の神社にも挨拶に行くことが出来ました、その中で私が希望した2カ所の神社にも行かして戴けました。

伊勢でも神宮の外宮・内宮の他に数カ所、回らせて戴きましたが、高山での神社参拝と伊勢での参拝とでは、何か本質的な雰囲気、空気からして違うものを感じました、感じたと言うより体感したと言えるぐらいに、心に響く感性ではなく、物理的に匹敵出来る程の差を感じました。

高山では雪の降り始めに合い、白く浄め始まるが如くの空気が漂い、神様の皆様方が大手を振って、我々を、お迎えくださっているのを感じる位の雰囲気がありました。

神社に行けば荘厳さを感じます、伊勢の神社の大きさには較べようも有りませんが、存在感と空間を圧迫している迫力の強さ凄さを感じましたが、伊勢の神社では建物の壮大さ美しさには凄いものがありましたが、目に見えない荘厳さ迫力が感じられませんでした。
神々は居られると思いますが、高山のように出迎えて戴くという空気ではなく、伊勢では神々が空高く上から見下ろしているだけという感じがしました。

伊勢で思った事は此処、伊勢神宮は宗教であり、お参りに行くのも宗教活動の一つでしかないような状態。

本来、神々の皆様に御守護の御礼あいさつに行き、神の皆様と繋がりを保つが如くの幸せな時を過ごす時間、空間が、神社に挨拶に行く意義であり姿だと思うのです。

人間を集め権力を求め欲得を集めんが為の活動が宗教であり、伊勢を筆頭に観光地化している神社の神々は、何を思い、何を見ておられるのか創造できません。
宗教ではなく、人間本来の神様との関係、恐れ多い言葉ではありますが、神々との付き合い方を、考え直さなければならない時が来ています。

なぜならば、私達は2泊した各旅館で2回直会を行い、その都度神々の出席も戴き、叱咤激励されながらも、我々人間に対してお付き合い下さいました。
これは、これからの時代の、お付き合いの一つの形で有ります。

氏神様に挨拶に行く、御礼を言う、その時に背筋に何か通った感じ、温ったかいものが走ったとか、その時、氏神様からのメッセージを戴いているのでないのですか、そんな事柄一つから氏神様、神々との繋がりが出来るのでないのですか。
まずは氏神様への挨拶が大切ですよ。

もうすぐ新年を迎えますが、初詣に出かける時には氏神様に挨拶してから他の神社に参りましょう。
いつも傍で御守り戴ける神様と観光地化した神社で、神々が空高く上から見下ろしているだけの神様、どちらの神様との繋がりが大事か、すぐにお解かりだと思いますが、氏神様には、ご挨拶に行かれますよう、お薦めいたします。
来る年も何が起こるか分からない世の中になると思いますので何卒、氏神様との繋がりをお持ちください。

今回の集いの会では信仰、神を崇め奉ると言う事の思いと、宗教とは違うと言う事を特に実感した集いの会でした。

 

祈りのコツ

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年12月 2日(日)11時37分48秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
十二月に入り寒くなるどころか、日中汗ばむ気候で今年はやはり暖冬の様ですね。昨日は十二月一日月初めでしたが、氏神様の所へはご挨拶に行かれましたか?今年最後の月ですよ、是非神社へ足を運ばれてみて下さい、清々しい気持ちになりますよ。

今日は、年末年始に神社や色んな場所で祈りやご挨拶を行なう機会が増える時期でしょうから、それに合わせて祈りのコツというお題目で話を進めていきたいと思います。
皆様は神社や自宅の神棚又はお仏壇を前に、手を合わせてどの様に祈っておられるのでしょうか。当HPにも祈りの言葉は掲載しておりますが、ただ単に言葉を覚えて復唱するだけでは、とても勿体ない事だと思います。なぜなら当HPに掲載している祈りの言葉は、発する方の思いによっては、神ノ大元ノ大神様から連綿と続く神々様まで思いが通る言葉だからです。

ではこれから私が日頃どの様に行っているのか、書いてみたいと思います。
当会のご神示で、御使いの神々様から仰られた言葉に、神様の御前ではひざまずき、深く、深く、頭を下げようぞ、思いを、思いを深く、深く告げようぞ、邪神な思いは届かぬと思え。とあります。

このご神示により、まずひざまずきます。そして手のひらを床に置いて頭を深く、深くお下げします。この時に、神ノ大元ノ大神様のイメージをします。自分を包み込み宇宙から地球から全ての広い広い世界を思い浮かべます。
そして神々の世界を思い浮かべます。神々の世界は、あくまでも想像ですが、私の場合は物凄い分厚い層に神々様がいらっしゃり、でかい丸い世界を想像します。そしてそこから無数に伸びるものがあり、無数に伸びるものから自分が繋がっていると想像します。

そして、告げたい思いがある場合には、それを御伝えします。
予め、どういう風にお伝えしようか考えておいた方が良いかも知れません。

普段の祈りならば、イメージを想像して心静かにします。

今は、言葉にしていますので、ゆっくり時間を掛けて想像している様に感じるかも知れませんが、この想像は、日頃祈る時には書いている内容を一瞬で、神ノ大元ノ大神様から連綿と続いている神々様が居られ、ご先祖が居られ自分まで続いていると想像しています。
最初はゆっくりでも良いと思いますので、私の想像を参考にしてみて下さい。

私のこの想像は、神社であれ、神棚であれ行わせて頂いております。
そうする事で、私には御使いの神々様からのお返事が戴けております。
お返事と言いましても、具体的な言葉は全く分かりません。宜しいでしょうか?という問いに対して、自分が頷いて、良いという返答だと感じているものです。

祈り方なんて好き好きでやれば良いじゃないかと思われるかも知れませんが、当HPに掲載している方法は神様から直々に、この様に祈りなさいと戴いた世界中ここにしかない祈り方です。それを実践するかしないかだけのお話ですから、やるかやらないかはご自分で判断なされて下さい。

祈りが通じて初めて、神々と集い合う世界に近づきます。
祈りが通じなければ、祈っても意味が無いという事です。

祈りが通じるとどうなるのか、少し話しますと、自分が行う行動や何かを選ぶものを神々様が自然と誘導して下さり、きめ細やかな仕組を起こして下さいます。
周りの環境が変わっていきます。これは、以前掲示板にも書かせて頂きましたが、今の自分の就職先にしてもそうです。

一年半病気で療養していた者が、体調が戻っていき、フッとある社長さんに電話を掛けると、とんとん拍子に話が進んでいってその会社に入社する事になり、仕事環境がとても良いところに身を置ける様になった事。
こられの事は、日頃神様に祈りが通じる祈り方を続けてきた事が大きな要因だと思います。誰にも起こり得る事なんですね、きちんと祈りの言葉を言って、自分なりに想像を行ない、本当に自分の存在というものが神様から連綿と続いている有難い存在なのだと思う事が大切で重要だと思います。

祈りのコツとは、素直に実践した者には、自然に身に着けられるものだと思っています。
多くの方々が実践する事を願っています。
体験談も募集しますので、実践してどうだったのか教えて下さいね。

この記事を読まれ何か感じた方、又はご意見感想等お待ちしております。


また何かありましたら書かせて頂きます。
 

人間に与える影響

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年11月25日(日)11時18分29秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
三連休の方もいらっしゃると思いますが、今年も残り一ヵ月となって参りました。今年は、神社への参拝があまり出来なかったという方々は、是非来年からは、初詣だけでは無く、月初めのご挨拶も行かれてみてはいかがでしょうか。

今日は、人間に与える影響というお題目で話を進めていきたいと思います。
先日ニュースでインドネシア沿岸にクジラが打ち上げられており、胃の中から6kg程のプラスチックゴミが見付かったと報じられていました。死因は分からないとの事でしたが、このニュースを見た時にとても悲しい気持ちになり心を打たれたのを覚えています。

クジラや海洋生物の殆どは、人間の様にこれは食べられる物、これは食べられない物という風に選別は出来ません。海に漂っている物の中に身体に害を及ぼすものがあるなどと思ってもいない事でしょう。
どこかのコーヒー店では、ストローをプラスチック製から紙製に変えていっており、少しの人間の意識からこられの事は防げるのではないかと進めているのではないかと思います。

しかしながら、世界で輸出入がこれだけ頻繁に行われていて、各国に大量の物流が大量に流れ流されている今、輸出したものの処分法について先進国がやはり先頭になりゴミのリサイクル方や分別の方法についても同時に行って行くべきではないかと感じます。

地球の海洋と陸の割合は概ね、7:3と言われており、海が大半を占めています。その大切な海に暮らす様々な生物は、人間が排出した汚染物質にさらされている訳ですが、実は汚染物質を体内に入れた魚を我々は食している可能性があるんです。目に見えない程のプラスチック片なら、魚を食べる人であれば、既に自分の体内にプラスチック片を入れてしまった方々もいるかも知れません。

以前もお話ししましたが、人間が暮らす上で便利と思い開発されたものにより、巡り巡って人間が苦しむ事、これらの事柄は世の中本当に多いと思います。自分さえ良ければ良いという考えでは、この先立ち行かなくなる事でしょう。
私達人間は、全員が地球で育ったものの恩恵で生かされていて、美味しいと感じる味覚を持ち合わせ、沢山の素晴らしい食物が開発されました。

人間にとって必要な物は全て神々様がご用意なさり、それを改良・開発して来たのが人間ですが、人間の中にも神々様が入っているので、自然界の神々と人間の中に入っている神々とが考えて、色々な物が想像されました。
それが人間の中にある我欲で暴走し只々人間にとって便利という事で、物事が進んで行き、神々が手を入れなくなった事により色んな民族問題や食の問題、汚染が進行しているのではないかと思われます。
これから出て来るであろう、色んな問題により人間に与える影響は計り知れません。

これらを回避する術は、神々と手と手を繋ぎ、暮らす事だと考えています。人間として本当に素晴らしい暮らしやすい世界になるのではないでしょうか。当HPで掲げている神々と集い合う世界が叶う訳です。
その為には、再三お話ししておりますが、一人一人が目覚めなければなりません。
人間だけでは既に解決できない所まで来ていると思っているのですが、いかが思われますでしょうか。

海洋汚染にしろ土壌汚染にしろ原発の放射能漏れにしろ、地球にもたらされている問題は山積しています。

今こそ、神社へ行き、一人一人が氏神様に感謝する生活を送っていき、一人一人が浄化の礎になる事を望んでおられるのではないでしょうか。
神々と集い合う世界を構築する事が最も重要な事だと思います。

この記事を読まれ何か感じた方、又はご意見感想等お待ちしております。


また何かありましたら書かせて頂きます。
 

神様から与えられた空間

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年11月18日(日)10時33分9秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
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  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
今年は気候の具合から山々の紅葉が遅れているそうです。これから紅葉を見に行かれるならば、その近くの神社に行き、見に来させて頂きましたとご挨拶に行かれたらいかがでしょうか。ご自分の住む氏神様に事前にご報告を行えば、更に歓迎して下さいますよ。

今日は、先週体験した神様から与えられた空間というお題目で話を進めていきたいと思います。
先週の日曜日から火曜日まで、会社の研修で京都に行っていました。
行く数日前、会員の一人が京都ならどこかで会えるかもという連絡が入っていましたので、どこら辺で合流出来るか考えてみました。

会社全員の多数決で決まった観光場所に、伏見稲荷大社がありましたので、そこで待ち合わせる事にしました。当日、研修はとても順調に会社が決めた順路を巡り、いよいよ次は伏見稲荷大社になった時でした、あまりにも順調だった事もあり、旅行幹事の発案で次の順路である伏見稲荷大社で時間調整を取って、多めに滞在してはどうかとありました。

それを聞いた会社の代表は、伏見稲荷大社はお参りをしたら終わりなのだから、その次に行く予定の見学先を多めに取ったほうが良いのではないのかと、反論がありました。すると、その意見に対し、専務や周りの上司が今はシーズンで人が多く、中々前にも進めないので、時間は結構掛かると思いますよと、話したところ、渋々代表も意見を引っ込めました。

予定の滞在では、14:40~15:30でしたのが、実際は14:50~16:00までとなり、約20分程の余裕が出来ました。皆着くや否やバラバラの行動となり、それぞれが参拝する事になりました。とにかく凄い観光客のバスやら人やらで、交通マヒの状態の中私は、てくてく一人で進んで行き会員の方とどこで合流出来るかと思っていました。会員からは既に到着したというお知らせが届いていたからです。

手水屋の付近まで来ました、お参りの前に用を足しておこうと付近の公衆トイレに入りました。手を拭きながら出口から出ると、真直ぐ正面の15メートル先に会員を発見したんです、びっくりしながらも近づき会える事が叶いました。
今年の3月振りなので8か月振りの再会です。

一緒に伏見稲荷大社にご挨拶をしました。とても歓迎しているとの反応があったそうです。その後、お茶でもしようと、付近の喫茶店に行ってみましたが閉店していましたので、販売機の飲み物を片手に、会員の車中で色々と話す事にしました。
今回、なぜ京都に足を踏み入れたのか、その理由と、会員と会えたのか、その理由について、御使いの神様に伺う事が出来ました。

とても有難いお話を賜り、自分が行ってきた事は間違いでは無かったと気付かせて頂きました。色々と話を進めて行くうちに気付いたのですが、カミアマネシモノの会の集いの会を行う為に出会いが出来ていたのだと。
そしてこれは、本当に二人ともにびっくりした事ですが、とても長い時間話をしていた様に思い、フッと時間を見るのですが、さっきから時間が動ていないぞと共に思っていました。話ながら何度も車内時計を見ますが時間が止まっている様に感じます。とても不思議な感覚でした。そして気が付いたのは、正にそここそ、神様から与えられた空間であり、集いの会を行う時間を沢山取って戴いたのではないかと思いました。

会員の方は、仕事の休みが固定されておらずいつもは月曜日の休みが多いのですが、その日に限り、日曜日が休みだった事と自分の研修日程で日曜日が伏見稲荷大社だった事、会社の代表が幹事の発案を却下出来なかった事も、自分が会社の誰かと一緒では無く、一人で伏見稲荷大社に行った事も、さかのぼれば、会社の多数決で伏見稲荷大社に行く事になった事も全て、神様が私と会員を会わせ集いの会を開かせる為に仕組まれた事に気付かせて頂きました。

本当にきめ細やかな御仕組を賜り、有難い御言葉も賜り、ありがとうございました。
来月は今年最後の高山集いの会が開催されます。
親神様や神々の皆様とお会い出来ます事楽しみでございます。

この度は貴重な体験をさせて戴きまして、神に、神に、ありがとうございました。


また何かありましたら書かせて頂きます。
 

肝試しと称する行為

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年11月10日(土)16時58分38秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
秋晴れが続いていますが、来週からは寒気が入って来る様で、いよいよ寒くなりそうですね。空気がとても澄んでいて心地よい季節なので紅葉など行かれて、日頃の感謝の意を神社へご報告に行かれてはいかがでしょうか。

今日は、肝試しと称する行為というお題で話を進めて行きたいと思います。
最近ではあまりメディアでも取り上げられなくなって来ましたが、以前は、どこどこにある心霊スポットを色々と紹介して、現地に直接タレントなどが赴き体験するという番組が流行っていた時期があったと記憶しています。

当時の話で時々聞いた話では、その現地に行ったスタッフなどが次々と原因不明の体調不良になった事があるとか、この様な話を聞くとやはりその現地には何かがあるとか、心霊現象だとか、話題になり更に多くの人々が訪れる様になる事と思います。

以前当会員と今の話しと同じ様な話題になった事があり、雑談をしていました。ある会員さん曰く、突然何の許しも得ずして乗り込んで行くからああいう目に遭うんだというもの。
それを聞いた時、それは一理あるなと感じました。

なぜ一理あるなと感じたかというと、私達は神社で挨拶をする事を勧めている訳ですが、神社で挨拶をするという意味の幾つかに、挨拶をする事で日頃守って戴いている事への感謝や、これから行く先々でお守り戴ける様挨拶する事などがあります、例えば行く場所が特定されているのであれば、その場所をお守りしている各御祭神の皆様にも挨拶をした方が良いと書かせて頂いているからです。

もし何月何日に行くという事が決まっているのであれば、そこへ行く全員がそれぞれの氏神様に、どこそこの神社に何々の件でご挨拶に行かせて頂きますとご報告して、現地の傍の神社ではそこに祀られている御祭神の皆様に、何々の件でご挨拶に参りましたと挨拶して、現地へいついつ行かせて頂きますので、現地を守る各御祭神の皆様にもよろしくお伝え下さいという挨拶が出来ていれば、違った結果になっていたかもしれないという事です。

であれば挨拶をすればどこへでも行って良いのかとなります、日本に限らず世界中で、何々スポットと言われる曰く付きの場所があるでしょうが、基本的にはそっとしておくべきかも知れません。

行く、行かないかは、ご自身で考えてみて下さい。

立場上色々な話しが私達には飛び込んで来ますが、これらの全ては後ろで神々様が色々とお考えになり、起こっている事です。知っていれば防ぐ事が出来る事もある事を忘れないで欲しいと思います。
起こしている方々が、邪まな気持ちで行っているにしても、きちんとした挨拶をきちんとした礼儀で行えば神様は守って下さり、どんな邪まなものからも守って下さいます。

自分も何か経験があるとい方は是非投稿してみて下さい。
宜しくお願いします。


また何かありましたら書かせて頂きます。
 

人間と神社の係わり

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年11月 4日(日)15時04分24秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
愉人さんの投稿で氏神様への挨拶がいかに大切なのかがとても分かり易く書かれています。人間にとって氏神様に挨拶をするという事は、自然の摂理として捉えて頂き、実践して頂きたいなと思います。

今日は、神社と人間の係わりというお題目で話を進めて行きたいと思います。
神社という形式がいつ頃出来たのか、これは以前御使いの神様にお伺い致しましたが、遥か昔という事で詳しい時代は分からないと仰せでした。

色々と諸説ある様ですが、今有力な手掛かりの一つに、人間が地球上に現れ暮らし始めた頃、親を亡くした子孫が親に感謝をする対象として、祀ったのが起源ではないか言われている事です。

最も古い時代の地球に存在していたであろう者と言えば、今でいう所の○○のミコトと命名された方々では無いでしょうか、この方々が実は人間として生き亡くなられていたとしたら、その方々の子孫が祀り、代々その子孫が代わる代わる祀って行き、今の御祭神として祀られていたとしても何らおかしい事では無いと思いますがいかがでしょうか。

斬新な発想と思われるかも知れませんが、こういう事を唱えている方は結構いる様です。

それから今の認識とずれていると思われる所は、最初に住み始めた人間は、今の人間と違い、肉体を持った神だった可能性があるという事です。神代の時代があったとして、その時代に亡くなった人を祀ったのが神社の起源であるならば、遥か昔の事であり、今の人間が知る術は無いと思われます。

そうなると人間と神社との係わりは、とても長い間から続いていると言えます。親が居たから今の自分が生かされている、自分の存在は親が居ればこそ、親に対する感謝を思う時、親自体も遥か昔の神が居たから生かされていたという、神に対する感謝の思いが芽生えても決しておかしくはないでしょう。

人間と神社とは、本当はとても深い繋がりで係わっていたのかも知れません、残念な事に今に至る継承がなされていないのが現状です。

それから、神様には実は御名が無く、祀られている名称が○○のミコトと言われていたとしても、本当に祀られているのは、亡くなられた者では無く、御役で降りて来ている神様である事はお間違えの無い様お願いします。


当会では、人間が集まり生活をしていれば御役で神が社に降りて来られると言われています。今の時代に肉体を持った神は居ませんが人間の身体には無数の神々が存在します。
神社に行き、神々と繋がる事が叶えば、人間が神様と繋がり、遥か昔の肉体を持った神が暮らしていた時代と同じ様な暮らしが叶うかも知れません。

そんな素晴らしい世界はいつ訪れるのでしょうか、待ち遠しいですね。

その為には、いつもお話している通り、一人一人が目覚めなければなりません。しかしそれは一人二人では到底達成できません、日本だけでも無理です、世界中の人々が目覚めなければならないんです。

自分は一人では無い、いつも神々と一緒に行動し生かされている。
この事を日頃の生活の中でも意識して、神社に行かれる時には、全ての事に感謝して、ご挨拶をしてみて下さい。

一人でも多くの方が神社に行かれて、氏神様に感謝のご挨拶をする事を願っています。

また何かありましたら書かせて頂きます。
 

氏神様に挨拶

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2018年11月 1日(木)16時43分12秒 zaqd37c3a05.zaq.ne.jp
返信・引用
   掲示板をご覧の皆様、御無沙汰しています、愉人です。
何時も拝読して頂いてありがとうございます、この頃は投稿が留まっております、ごめんなさい。
九代さんの投稿に魅了されて、一読者として毎週拝読していました。

特に氏神様に挨拶に行く事の大切さを強調、表現しておられる事を、私も伝えたいと思います。
日々人間が、自分自身一人の人間が肉体を持って生活する為には、どれほどの数の神々と、どれほどの神々の力が、必要か。

人間が二人並べば、人間と人間の、あいだの空間には、数えきれない数の神々が居られます。
肉体の細胞に居られる神々、人間を守護、指導する神々、人間が生活する空間の自然を司る神々等。
数えられない位の神々が、人間の目には見えませんが、一人の人間の周りに存在しています。

どっぷりと、神々の中に漬かって居るのが人間なのです、神々が居なければ、生活・生存出来無いのが人間なのです。

人間が神々と繋がって居れば、日々、神々に対する感謝の想いと、挨拶が出来るのですが、繋がって居る人は、とても少ない状態です。
神々に対する感謝と御礼、お願い、挨拶を、するのに一番身近に、神様が設けてくれて居るのが氏神様の社です。

九代さんが毎回書かれている、神様への挨拶の大切さを、私も伝えたくて投稿しました。

本日より、新しい月を迎えさせて頂きました、皆さん、氏神様に挨拶に、行かれては如何ですか。
 

天国と地獄

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年10月28日(日)17時15分38秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
朝夕の気温が大分冷え込んで来ましたね。
寒い日の早朝の神社も清々しく気持ちの良いものです、是非参拝してみて下さい。

今回は、天国と地獄というお題目で、話を進めて行きたいと思います。
皆さんは天国と地獄というものが本当に存在するのかどうか、考えた事はありますか?
小さい頃見せられた絵に地獄絵図や極楽絵図などがありませんでしたか、あれは人間が人間世界で生きる為の指針とし又は方向性を修正する核として、善い行いをすれば天国に行けますよ、悪い行いをすれば地獄に行きますよという風に子供の頃植え付けられたものと捉える方も居られるのはないでしょうか。

ただ、善い行いと悪い行いがどの様なものか実際分かっていると言える方がどの位居るのでしょうか。行いには色んな状況が考えられます、人間の欲・因縁・我・身勝手、憎しみ、嫉妬等です。人間の尺度で考えれば、人を殺す事が悪い行いで人を助ける事が善い行いと捉えがちですが、本当に殺す事が悪い行いで人を助ける事が善い行いなのでしょうか、目に見えているものだけが真実とは言えないかも知れないというのが、次の様なケースです。

例えば、人を何人か殺したのに刑務所という所で保護され、朝昼晩の食事を与えられ、数十年かの刑期を終えて普通に生活をしている。同じ様な事をして死刑にされる。又は何人もの人を殺しておいて捕まらずに、普通に生活をしている。同じ事の様に見えるのに、なぜこんなに差が出るのでしょうか。

人知では到底考えられない事が、沢山この人間世界では起きています。この不可解な事はやはり神々が係わっていて、何かしらの発動があったと思わざるを得ません。

それは、生きている時に出来た因縁なのか、生まれる前の世界で起こった事の延長なのか、宗教家であれば、輪廻転生の中で過去世に因縁があって今世でそれが果たされたと言われるのかも知れませんが、実際の所は細かく解説など出来ないでしょうから、誰にも納得されない事柄でしょう。

当会のご神示では、地獄というものはあるとお聞きしております。
しかも、亡くなった方の意思で地獄を選んで行っているのだそうです。自分は生きている時に悪い行いを沢山して来たから、地獄行きは間違いないと言って行くのかどうかは分かりませんが、死んだら、天国行きか地獄行きかは、向こうで振り分けられていると思い込んでいましたのに、まさか自分で選んでいたなどと言葉が出るとは考えておらず、このご神示を聞いた時に心理的な衝撃があったのを覚えています。

では、いくら悪い行いをしてきていても、天国を選べば、地獄に行かなくても良いのか?になって来ますが、そこまで深い所は、もはや神の領域なので分かりませんが自ら命を絶ったものについては、こう仰っています。
苦しみ苦しみの世となろうに
と。想像だにしない様なとんでもなく苦しい世界なのでしょう。

人間は死んだらどうなるのでしょうか。
誰かが迎えに来るのでしょうか。
輪廻転生で何百年か後の世界に生まれ変わるのでしょうか。
先祖や先に死んだ家族とは会えるのでしょうか。
残念ながらこれらは、死んでからしか知る由もありません。

その時に、地獄を選ばない様な生き方をして行きたいなと思います。
皆様も是非その様な生き方をなされて下さい。

もっと詳しく色々聞きたいとか、この記事で何かご意見等ございましたら、どうぞ掲示板又は下記管理者までメールをお願い致します。
また何かありましたら書かせて頂きます。
 

どこかにすがる思い

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2018年10月21日(日)16時46分18秒 i114-190-59-62.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆様いかがお過ごしでしょうか。
この掲示板を見て下さっている方がどの位いらっしゃるかは分かりませんが、こちらでお勧めするものは是非実践して頂きたなと思います。

今回は、どこかにすがる思いというお題目で、話を進めて行きたいと思います。
当会の記事やHPには、神という固有名詞を出していますので、読まれた方は宗教的な事を書いているのかと思っている人も居るかも知れませんが、当会が伝えたいと思っている事は、宗教的な事柄では無く、まずは神の御名を広める事、そして一人一人が目覚めて、神社に行く事が生活の一部となり、神々と集い合う生活が送れる様になれれば、もっと過ごし易い世の中になる事を広める為に色々な思いをHPや掲示板などで伝えているものです。

なので、一般的に宗教団体が行っている人集めとか悩みを聞いて、その悩みの問題解決の為に喜捨して何かを祓う等は一切行っておりません。

宗教であれば教祖が居て、教祖が出す教えを広めて人々を集め幸せを広めるという活動をしているのでしょうが、教えを出す以上は教祖はどこかの神と繋がっている必要があります。
しかし信者になる方々は、どこの神と繋がっているのかなど、考えないと思います。
教祖というのは、神と繋がる力いわゆる霊能力があり、幼き頃より神童と呼ばれていた等とプロフィールに書かれていたりするものです。

自分には悩みがある、その悩みの原因はどこから来るのか教祖に見てもらい、どこそこに悩みの種があるからそれを、この位の金額を出して祓って貰いましょうとか、祓いましたと言われれば、悩みが解消されたと思わされ教祖の教えを信じる様になる。その様な事が多かれ少なかれ行われているのが宗教だと認識しております。

果たして、悩みの種は本当に解消されたのでしょうか。
それは神のみぞ知る事であります。教祖が繋がっているという神と、悩みの原因の根本を起こしている神とは次元が違う所での話になると思われるので、安易に信用する事はとても危険だと言えます。

どこかで聞いた事が無いでしょうか、今この世に出ている宗教と言われているものを動かしている神は、蛇の神様であると。大蛇から操られた教祖であれば、小さい蛇に憑りつかれた人の病気とか、悩みが解消され易いと言われています。言ってみれば、大蛇から命令されて、離れろと言われれば力の及ばない蛇は退散するしか無い訳です。

そのカラクリに殆どの方が気付かずに、病気が治ったとか悩みが解消されたと大蛇が集める宗教にはまって行き、いつの間にか沢山の金を取られ家庭を崩壊させるまでに追いやられる。この様な事は実際に起こっている事かも知れません。

こういう事であれば益々人間から見て、教祖がどの神と繋がっているかなど誰にも分からないんですね、苦しい状態を楽にさせて貰えれば、楽にしてくれた人の言う事を聞く様になる、これは自然の成り行きの様に巧みに操られた結果なんですね。

はっきり言えば、蛇の霊であれ動物霊であれ、目に見えないものからのアプローチなので、人間としては行動の結果からしか判断が出来ないのが今の状態だと言えます。
ただ私の経験上の話をさせて頂くと、蛇の霊に操られている人間の顔は、やはり蛇の様な顔つきになっており、金と欲にまみれた生き方をしています。

そこに早く気付き、自分の生活環境が破壊される前に脱退しなければいけないのではないかと思います。

そもそも人間が作った宗教にすがる事自体に問題があるのではないかと、今は私も思います。しかしながら、戦後に生まれた殆どの人が、神社のあるべき姿を忘れ、または知らずに、祭りを行う場所であったり結婚式を行う場所であったり、初詣を行う場所であったりと、人が自分達の欲を果たす場所とした認識になってしまっている事を改める必要があるのではないでしょうか。

ニュースでも報じられておりますが、祭りの時に死者や怪我人が出ている所がある様です、神様が守って下さっていて開催されている祭りであれば、死者など出る筈がないと思うのですがいかがでしょうか、本来祭りの趣旨は自分達が楽しむものでは無く、五穀豊穣又は来年の豊漁を願い、収穫したものを神様に捧げものをする。そして少しばかりの御下がりもので関係者で祝うという事だったと思うのですが、最近では、どんどんエスカレートして、ただ単に参加者の欲を満たす為だけに行われている様に思ってなりません。

人間が勝手にやっているから、死者が出たり喧嘩が横行しているのではないかと思います。

本来の神社の姿を今こそ正し、一人一人が目覚めて挨拶に行く、氏神様が最も待ち望んでいらっしゃる事だと思います。騒々しい祭りや冠婚葬祭では無いんですね。
当会では、一人でも多くの人が神社に赴き、日頃の感謝を氏神様に伝え挨拶をする事を望んでいます。これを実践する事で、神様から自分の周りの環境を整えて頂き、周りの人も神社に行き、整えて頂くという人のあるべき姿を広げていければ神々と集い合う世界が構築されて、生きやすい世の中になるのではないかと思っております。
現在、何かの宗教に関わっている方であれ、氏神様は訪れる方全員を受け入れて下さいます。
神社には神様がおわします。


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