【重要】teacup. byGMOのサービス終了について
 <思いやりのあるコミュニティ宣言>
 teacup.掲示板は、皆様の権利を守りながら、思いやり、温かみのあるコミュニティづくりを応援します。
 いつもご協力いただきありがとうございます。

 投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. 足あと帳(0)
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す  スレッド作成

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


宿る神様に感謝

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2022年 5月 9日(月)19時44分26秒 zaq31fa8f1d.rev.zaq.ne.jp
返信・引用
  人間に 宿る 神様に 如何にして 感謝を示せるかを日々考えております。
又、 日々、 宿る神様に、どれだけの事を、して戴いているのかも考えている今日です。

まず、頭に浮かんだのが、日々ご先祖様に接する時にも、宿る神様に仲介をして戴いてる事が第一に来ます。

死して、肉体を離れた時、ご先祖の皆様が、お迎えに来て頂けると言う事柄が有ると聞いた事がございます。
ご先祖様との付き合い方、繋がり方も、宿る神様の、働きの一つで有ると思います。

肉体を離れ死んだ時に、お世話になるのは、氏神様だけでは無く、ご先祖の皆様とも 付き合いが発生します。
ご先祖様との付き合い、又 、その後ろに居られる神々との付き合いも、宿る神様が動かれて、仕組んでいると思います。

昨今 事故等で、亡くなられた方々は、ご先祖の皆様、又、神々との、お付き合いが出来ているのか 疑問が涌いて出ている今日です。

本来ならば、御守護を戴くならば 、事故に遭う前にストップを掛けて戴けるはずですが。  宿る神様から、見放された者は、やはり事故に遭遇してしまうのでしょう。
死んで 肉体を離れた時より発生する、神々様、ご先祖の皆様方との接し方も変わってくるのだと思います。

当然のごとく他人である人々との付き合いの中においても、その対する人間の後ろに居られる、ご先祖様の皆様方、又、神々の皆様方、その方達との付き合い、折り合い等も 宿る神様が 仕切られていると思います。

日々 、接する 人々との関係において、対、人間だけでは無く、その後ろに居られる、ご先祖の皆々様、又、神々の皆様方、その方々との付き合い方、それらも仕切られているのが 宿る神様だと思います。

当然、男女の恋愛関係等も、対、人間だけでは無く、後ろに居られる、ご先祖の皆々様方、又、神々の皆様 との接し方、付き合い方も、大事になってくると思います。

24時間、宿る神様の仕組みの下で、日々生活させて戴いております、その一日の中で閃きと言うか、何者かの知らせの様に、脳の中に思い的な発想を戴く時も有ります。

人々との付き合いの中で、他人の方が行った事柄において、後ろに居られる方々からの情報を、宿る神様が収集して私共に、虫の知らせ的に伝えて戴く事もあります。

例えば簡単な事柄では、仕事場において、私に係わりが有る方々が、行う失敗等を先に察知すると言うか、扉の鍵の施錠忘れ、室内の照明の消し忘れ等、その場に行く前に 閃きとして、知らせて戴く事もあります。

こんな些細な事柄から、命に係わる事までを見守って戴いている、神様の仕組みですが
人間に自己の我が優先した時、心に思いに、宿る神様の知らせが届かない事が有ります。
これも宿る神様の仕組みかと思います。

いかに日々、宿る神様に繋がる為に、感謝の思いを伝える事が重要です。
感謝の思いを伝える為には、努力が必要です、一つ一つの、お仕組みを戴くたびに感謝が必要で有ります。

私達に行って戴だいている事柄は、沢山有ります。
今後も、こういう事をして戴いたと言う事柄が有れば、書きこんで行きたいと思っております。
行って戴ける事を思い、表現する事が感謝の表れだと思いますので、どんどん書き込んで行きたいと思っております。

神ノ大元ノ大神様、全てを戴いております、神(まこと)に、神(まこと)に、ありがとうございます。
神ノ大元ノ大神様、又、各神々様、神(まこと)に、神(まこと)に、ありがとうございます。


 

人間が生きるために必要なもの

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2022年 5月 5日(木)12時32分59秒 i125-201-232-232.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  私達の暮らしは、ある一定の決まり事によって守られ生活していますが、これは社会の規則や規律・秩序にのみ関係しているのではなく、自然の仕組の中で守られている事を忘れてはいけません。

例えば寝ている時は、誰にも意識がありませんから、危険な事が起こったとしても、本来ならば気付く事はありません。
何か物音がすれば眠りから覚める訳ですが、目を覚まさせているのは、人間がその物音に気付く前に、気付かせる存在があったからなのです。

気付かせる存在とは、人間に宿る神々様であり、人間を守るのは御祭神なのです。

人間自身が、全ての物事に対して自己防衛をして、様々な困難から抜け出せる事など不可能なのです。ただ、眠っている時は、自我が無いので、神々が人間に気付かせる事が出来る訳です。

起きている時は、我が強過ぎて、神々が係われないから、危険な所にも進んでいく事になるのです。
となれば、自我が強過ぎず生きて行ければ、宿る神々との係わりができ、災いから遠ざけて頂ける訳ですから、それを実践しない手はありません。

自我が強くなるのは、自分勝手に物事を考えて、行動しているからです。
ただし自我の全てを否定している訳ではありません、自我の中にも良い所はあります。
まずは、自分が自我を強くさせないために次の事をしてみてください。
例えば朝起きて、自分に宿る神様に何でも良いので、何か感謝の言葉を伝える。
心の中の声では無くて、言葉にして発する事が大事です。

朝でなく、何か自分に良い事があった時でも構いません、宿る神様の段取りがあったからこそ、良い事の恩恵にあずかる事が出来たのです。
宿る神様のお陰なので、宿る神様!ありがとうございます、と。

サンキュー!やシエシエではなく、やはりここは、きちんと日本語のありがとうございます。で発してください。

宿る神様に感謝の言葉を伝える事で、知らず知らずのうちに自分が取る行動に変化が出て来ます。これは、私の体験でもあります通り、宿る神様と連携して、自分の身体の状態に合致した仕事場を与えられ、実際に三か所の仕事場を変えて頂きましたので、立証済みです。

毎日の実践で、何か自分に変化の兆しがあったら、次は守って戴いている御祭神に対して、実際に神社へ行って、お詣りをしてみてください。

自然の仕組の中で生かされる存在になるには、宿る神様と御祭神に感謝を述べる事が第一段階です。

無理はせず、自分のできるところからが大切です。
長く続けるのが大事なのです。

皆さんは、人間が生きるために必要なものは、全て持っているとお思いでしょうが、生きるために必要なものとは、生きる為の知恵を授けて下さる存在と一緒になるという意味なのです。
 

宿る神様

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2022年 4月23日(土)16時10分48秒 zaq31fa8f1d.rev.zaq.ne.jp
返信・引用
  なぜ 、宿る神様を 大切に、 しなければ ならないのか 記させて頂きます 。

宿る神様が居なければ、氏神様とも連携が取れず、御守護を含め、あらゆる仕組みが成功しなくなる。

元来の姿で在る、自分自身が、宿る神と通じ合えば、自然と大神様、神々の方々と繋がり通じる事を忘れている。

大神様、神々の方々との繋がり、通じる事を行わないのは、宿る神様を蔑ろにしている事で有り、又、自分自身を自分自身で汚している事にも通じる。

特に御守護を戴く時は前回も話しましたが、ストップを掛けてくださる事が御守護であると記しました。
危険な状況に置かれたら、止まる時、又は 引き返す時ストップを掛けるのは、自分がするのではなく、自分自身の肉体に居る、宿っている神様の、お力で、ストップを掛けさせて頂ける、もしくは、 掛けて戴ける。

宿る神様から、見放された者は、何を、しだすか分からない、人を傷つけたり、又は、自ら自分の命を絶ったりする。

見放された者は、糸の切れた凧と一緒で、必ず堕ちて行く、上がるんだけれど、糸が切れたら堕ちて行くしかない。
そうならない為に、どうしたら良いのか。

神様に、お願いすると言う事の大半は、目的に至るまでの努力をする事の、お許しを賜る事と、御守護を願う事であり。

御守護の、お願いをする際には、あらゆる事からお守りくださいと唱えますが。
あらゆる事と言うのは、自分の行動、人間の行動の事であり、いつも、その行動に寄り添って戴いているのが自分自身に宿る神様です。

神様に、お願いをし、成就する為の、お仕組みを戴く、お仕組みだけでは無しに、それに係る神々のご協力を願う事にもなり、日々の努力と行い、最終的には、願いを成就させて頂ける。
その係る神々に、ご協力を願う事にも、宿る神様に行って戴いている。

なればこそ 一日の生活を安全に幸せに、過ごさせて戴く為に、全てに於いて、神様に、 お世話に、ならなければならないので有ります。

日々、 神様に、お願いを、しなければ命を護り、生活が出来ない事でも有ります。

だから、いかに御守護のストップを掛けて、くださる神様に感謝しなければならないのか。

いかに、自分の肉体の中に宿る神様に、どう感謝出来るかが、大事に、なってきます。


神ノ大元ノ大神様、全てを戴いております、神(まこと)に、神(まこと)に、ありがとうございます。
神ノ大元ノ大神様、又、各神々様、神(まこと)に、神(まこと)に、ありがとうございます。

肉体に宿る神様、日々、神(まこと)に、神(まこと)に、ありがとうございます。

 

最近思う事

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2022年 4月19日(火)22時51分10秒 i125-201-232-232.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  例えば、車を運転している時、自分の前に突然割り込んで来た人がいると、くっそーあぶねーなあと思います。自分はああいう事はしまいと思う反面、自信がイライラしている時は、強めにアクセルを踏んだりしています。でもそんな時でも目に入った信号が黄色の時は、咄嗟に急ブレーキで止まったりします。
瞬間的に、左右前後をを確認している自分がいるんですが、自分は苛ついていてそんな余裕は無いはずなのにです。

また、違う場面で言えば、仕事で打合せのアポイントを取ります。出向くと、思わぬ展開になって、沢山の収穫があります。自分としては、やっぱりそういう展開?と思い、同席された人からすると、良かったね、あんな話まで出来てとなります。

最初に書いた、急ブレーキについては、私に宿る神様が大変な事にならぬ様そうして下さっていると感じます。逆に目が血走る程にイライラしていたら、どうなっていたでしょう。誰の声も聞こえず、身勝手な衝動にかられ、人に危害を加える事態に発展するかも知れません。現に、数年前から社会問題になっている煽り運転などでは、相手の行動が気に入らず、危険な運転をし続け、最悪相手が亡くなる事態になっています。

さて皆さん、ここで聞きたい事があるでしょう。
なぜ、人間の身体には神様が宿っているのに、そんな事態になってしまうの?
と。それを言い出すと、なぜ人間の世界が幸せにならないの?まで発展してしまいそうですね。

でも両方の問いの答えは、実は同じ理由です。

人間には、神様でもどうにもできない事があるのです。
それは、人間が持つ、我、です。
我が強い人は、人の意見を聞かず、自分の思いを突き通そうとしますよね。思いで終わっていればそれほど害はありませんが、行動として心に強く殺意を抱く場合、その強い思いは、その人自身の我欲の暴走であり、誰にも、いえ、神にも止められない状態と言えるのです。

ですから、人が強い我欲で殺意を持った時、その人の身体には、もはや神は宿ってはいないのです。人間の本能で行動する事になる訳です。

その様な場面の人間の本能とは、どの様なものでしょう。結果を知る限り、想像を絶するものではないでしょうか。

もう、人でもなく獣と言えるでしょう。

ニュースで、捕まった人が、何をしたか覚えてないと言われるのは、本能のままに動いているからです。

二つ目の、なぜ人間の世界が幸せにならないのか。
上に書いた事と同じですよね。我欲の強い人間が沢山いるからです。

人間が生きて行く為には、いかに小さな動植物にしたって、いなければならないのです。植物にしたって、元気にしてる?と声を掛ければ活き活きとしてきます。
人間同士が、仲良くする事は、自然にとっても良い事だし、環境にも優しいですよね。
しかめっ面でにらみ合い続けるのは、本来苦手な動物だと思いますがね。

人間がいかにして生まれ、生かされているのか、今一度考える時ではないでしょうか。
自分の中に宿る神様に日頃から感謝して、神が宿る人間として生きていって欲しいと願っています。

人間は地球の支配者では無いんです。
自然の中にこそ、人間が生かされる場所があるのです。

 

願い事

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2022年 3月 5日(土)15時56分28秒 zaq31fa8f1d.rev.zaq.ne.jp
返信・引用
  新しき月を迎えました、神社には、ご挨拶に行かれましたか。

私は、高山に行く以外には、住んでいる所と仕事をしている職場の近くの神社には、月替わりの挨拶に、行かさせて頂いております。

神社には 私共の御守護をして戴いております神々様が宿られて居られます。

神社に居られます神様で、私の住んでいる所の神様を、氏神様と申し上げております。

氏神様は、人間が生まれてから、死んで、肉体を離れた時にも、次の世界に行く為に、導いて下さいます。

お示し戴いております中に、神々には個人的な名前は有りませんが、土地の呼び名、地名等の名称を付けて、お呼びしても良いと伺っております。

何々県、何々市、もしくわ、市内であれば、何々町で、大体の土地と場所が分かると思いますので、何々町の○○神社、御祭神の皆様とか、そういう呼び名で神社に祀られている神様を、表して、お呼びしても良いと示されています。

限定した地名を入れた呼び名は必要だと思います。
なぜかと言えば、今、現在、何処の土地の氏神の下で、氏子として生活しているのか、立て分けを、はっきりする為には、何々町、○○神社の、御祭神の皆様と、ご挨拶する事が 大切で有ります。

私自身、肉体を離れた時に 面倒を見て戴くのが氏神様でございます。
私が、どこどこの氏子で有るかと言う、立て分けをする為にも何々町、○○神社の、御祭神の皆様と言う、呼び方を普段からして、自分は、その神社の氏子で有ると言う事を表明する事が必要だと思います。

そして、一番大事な事は、地名が付いた神社の御祭神で、ある限り、そこの土地に住んでいる、人間達の御守護を、されておられるのです。

だからこそ、感謝をするにしても、方向性がしっかりとした、お礼を、しなければ意味がないと思います。

まずは、神ノ大元ノ大神様に、神ノ大元ノ大神様、又、各神々様に、そして、地名を限定し、どの神様にお礼を、しているのかを示す為にも地名入りの神社名を示す必要が有ります。
当然、感謝だけでは無く、お願いをする時にも、地名入りの神社名を示す必要が有ります。

神様に、お願いをすると言う事は感謝も一緒に行っている事にも通じます。

宗教界において一部の宗教活動をなさっている所では、教えとして神様や、ご先祖様に お願い事をしてはいけないと指導している所が有ります 。

我々の神様に対する祈りの中には、全てを戴いて、おりますと言う、 言葉が有る通り 何一つとして、人間個人が行なう事は出来ない、全てに於いて、神様に、お仕組み戴いて、動いて戴かなければ、人間は活動が出来ず生命の維持も難しものです。

なればこそ一日の生活を、安全に幸せに過ごさせて戴く為には、全てに於いて、神様に、 お世話に、ならなければならないので有ります。
日々、神様に、お願いを、しなければ命を守り、生活が出来ない事でも有ります。

神様に、お願いをして、棚ぼた式に物事を仕組んで戴く場合も有りますが。

一般的には、願っている事を成就する為の努力を許されなければ、目的には達せられない事も有ります。

物事を願い望むのであれば、まず、神に願いを伝える事を行ない、努力する事をお許し戴いて、目的に進ませて頂く努力の仕組みを、戴かなければなりません。

神様にお願いすると言う事の大半は、目的に至るまでの努力をする事の、お許しを賜る事と、御守護を願う事であります。

願い事を 成就する為には 努力が必要である その努力が許されるように日々、お願いをさせて頂く、目的に進んで行く、この一つ一つの段階の、お仕組みを戴く事が必要である。
又、その一つ一つの段階を許される事の感謝も忘れずに行う事。

神様にお願いをし、成就する為の、お仕組みを戴く、お仕組みだけでは、なしに、それに係る神々の、ご協力を願う事にもなり、日々の努力と行い、最終的には、願いを成就させて頂ける。

又、神様に、お願いしている時には、肉体に宿られている神様も活動して頂け、私達の願いを伝えて戴く事、ご協力を願う事にも活動をして頂いております。
宿られている神様が居られなければ、願いを伝える事、願い方の指導もして頂けない事、活動する時のアドバイスなど願い事を成就する為に活動して戴いております。

まさに 日々全てに於いて、神々様の関りがないと、生活が出来ない、同じく人間が生きて行く為に、願いを出せば、その願いを叶える為に神々が人間に仕組みを、おこして戴ける。

確かに 棚ぼた式に、直ぐに物品等を分け与えて戴ける願いの事柄もあるが、本来ならば、願いを出せば、その願いが叶うまでの道筋、仕組み、又、それに至る神々のお仕組みが許されて初めて成就して行く。

人間が生きて行く為には空気が必要で有り 。
又、肉体を形成する為の食料も必要となってくる。
これら全てが、神様からの、お仕組みが有るからこそ、与えて戴いているのである。
願いを、させて頂くと言う事は、その全ての生活に於いての、お仕組みを、お願いする事になり、その仕組みが起こる事を 願う事である。

又、願い事を成就した見本として、私どもの会員の九代さんが、体調が悪くなり不治の病とも言われ、膝の軟骨の異常が起き正座も出来ないなど、膝が曲がらない状態に成った時、五体満足を、お願いしたと思います。
それから長い年月をかけて、自分なりの治療、自分なりの養生で、今現在は、不治の病と言われていた事を克服しました。

これも全て神様のお仕組みと、当人の努力の結果だと思われます。
この仕組みと努力の報われる仕組みを、与えて戴く為にも、願いを忘れずに、思いを繋げる事。
又、思いを願うと言う事は 感謝を、あらわす事でも有り重要な事です。

神ノ大元ノ大神様、全てを戴いております、神(まこと)に、神(まこと)に、ありがとうございます。

 

お願い事の大切さ

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2022年 2月19日(土)17時06分29秒 i125-201-232-232.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用 編集済
  神社に行った際唱える言葉の中に、お願い申し上げますとか、お願い致しますというものがあります。
今年の抱負や自分の将来について、ああなりたい、こうなりたいので宜しくお願いしますという風に、言葉は続くものです。

誰かにものを伝えたい時であれば、何々をしたい。という言い回しでしょうが、神社などで祈る時は、何々をさせて頂きたいので、どうぞ宜しくお願いします。という風に自然に言葉が変換されるのではないでしょうか。

神社の様な神聖な場所ならではの言い回しとでも言いましょうか。
神殿へ詣り、今日来ました!よろしくどうぞ!などの言葉遣いは殆どされない様に、畏まる場所で使用する言葉遣いはどういうものかを自然と学んでいると思います。
また、目に見えるものだけを信じて生きている訳ではないので、神社にも行くのではないでしょうか。

私が最近よく口にする言葉で、目に見えない悩みは、目に見えない方々にお願いする事が最良というもの。意味はお解りでしょうか。
目に見えない悩みの最たるものとは、病気です。
私は、関節リウマチとなり、月々神社でのお詣り時、日頃の感謝と共に、今ある私の状態を良い状態にならせて頂きたくお願い申し上げます。と祈って来ました。

今ある状態など、自分にしか分からない事ではないかと思うかも知れませんが、自分の状態を知っているのは、自分ですが、もっと深い所でご存知なのは、自分に宿る神様なのです。自分の状態が、なぜ起こり、どう行動すればどうなるかまでをご存知だと思っています。

なので、私が物質的に神社へお詣りする事で宿る神様から御祭神へと思いが届けられるのです。
私と宿る神様とは連動していますので、日頃私が考える思いも宿る神様へ一瞬で伝わり、目に見えない世界で宿る神様と各神々様とが色々と連携して、身体の改善が行われているのです。
そんなに沢山の神々様と連携して動いているのなら、人間誰しも重症化したりしないのではと思われるかも知れませんが、ここで味噌となるのが、自分自身の考えが誰を敬い、奉っているのかが前提にあるという事です。

人間一人一人全員が、同じ方を敬い、奉る世になれば、そうなると言えます。
当会が掲げる、神々と集い合う世界の完成です。

それが出来ていない人が多いから、今こういう世の中になっているのです。
素直な思い、素直な行動を求められている訳です。

素直に行動される方は、必ず、宿る神様と連動して生きて行く過程が待っています。
しかし、そうでない人には、全く理解が出来ない事でしょう。
私自身は、宿る神様と連動させて頂いているという感覚を大分感じては来ましたが、
連動がなされているか否かを確認する方法は、今のところ分かりません。
分かった段階で一つの方法としてお知らせしたいと思います。

目に見えない部分で行われている事が、自分にとってより良い事であれば、改善していく筈です。
私にとっては今の身体の状態が、検査結果の指標で、明らかに良い方向へ変化して来ている事が、自分にとってより良い事が起こっている証拠です。

この病気になり、周りの方々からの助言や、優しさ、厳しさ、自分の行動の全てに於いて、目に見えない所で、何かが動き、そして改善されている。
この事が、毎月、そして日頃、私が神様に対してのお願い事によって起こっている出来事なのです。

お願い事の大切さを伝えました。
 

ありがとう

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2022年 2月 1日(火)19時29分26秒 zaq31fa8f1d.rev.zaq.ne.jp
返信・引用
  前回、書いた文章に有る、ありがとうのことばを調べてみました。

「有難い」「有りえないこと」を 起こしてくれる、神々に感謝を表現する言葉が、ありがとうしか浮かんでこないので、もっと良い言葉が無いのかとを探してみました。

やはり物事に対する感謝の思いを伝える場合に、よく使う言葉みたいですが、感謝の意味を探していたら、ありがたいという気持ちを表す事が感謝であると表記していた文献がありました。

もともと仏教用語で、仏の慈悲などを得られていることから、仏に感謝し、たたえる気持ちを指す言葉でした。
そこから、「めったにない」「めずらしい」「有りえないことが起こる」「滅多になくて貴重である」という意味で「有難い」が用いられるようになり。
「有難い」「有り難し」という言葉が語源で「ありがとう」は有難しが「有り難く(ありがたく)」を発音しやすくするために、単語の一部の音がもとの音とは異なった言葉になり「たく」が「とう」になりました。
『法句経』にある生命の驚きと感動を伝える言葉が、時代と共に感謝を表す言葉となったとも言われている。
人間に生まれることも難しいこと有難い事であると。

まさに奇跡と言うべき事、人間の肉体に有る、何億もの細胞にも神がおられ、それらを宿る神が統治されることも有りえないこと。
人間からすれば人間が肉体を持ち生きて活動ができる事自体が奇跡。
又、その肉体が世界に80億もの人間が生存しているという、有りえない奇跡。

「ありがとう」と言う言葉だけでなく、本当はその奥に「ありがとう。感謝いたします。」と言った「感謝」の気持ちがあるように感じます。
何気なく使う事が多い言葉ですが、奥深い意味があったんですね。

物事の多くはいろんな事や物が絡み合い。
まさに奇跡のような日常でできているかもしれません。
目の前の出来事は、決して当たり前では無く、有りえない奇跡の連続「ありがとうございます」の感謝の気持ちを忘れずに日々を大切に過ごしたいものですね。

「ありがとうございます」の類語に、どのようなものがあるか調べてみました。

「感謝いたします」は、ありがたいという気持ちを表す「感謝」に「いたします」という謙譲語が付いた言葉です。
「ご配慮いただき心より感謝申し上げます」
「厚く御礼申し上げます」
「拝謝(はいしゃ)」は「感謝」の謙譲語です。
「拝礼して感謝の言葉を申し上げる」という意味合い。

「ありがとうございます」は現在形のお礼表現、「ありがとうございました」は過去の出来事に対するお礼の表現。

身に余るお言葉です
「身に余るお言葉」とは、「自分の身分に釣り合わない、過剰な言葉」という意味があります。

「重ねてお礼申し上げます」
相手に対して「重ねて」と気持ちを強調させる表現を使うことで、本当にありがたいという気持ちを伝えることができます。

「お礼の申し上げようもございません」は、言葉では表せないほど感謝していることを伝える、最上級の感謝を伝えるときの表現です。

感謝を伝えたいときの言い換えとして使えるのが、「御礼申し上げます」という表現です。
「感謝いたします」と、ストレートに感謝していることを伝える。
「感謝申し上げます」という言い方も可能です。
「とても嬉しく思います」は、嬉しい気持ちを素直に伝えることで、お互い気持ちいいですよね。

「恐れ入ります」という言葉には、相手に対する敬意を表しながら感謝を伝える意味があります。

「どうもありがとうございます」は「どうも」という強調の言葉を加えて感謝の気持ちを強調した表現です。

「毎度」ありがとうございますの「毎度」は同じことのくり返しを表す言葉です。
「いつもありがとうございます」は日頃の継続的なご縁に感謝を表す、それほど重くない感謝を表す言葉です。

「誠にありがとうございます」は、「ありがとう」を使う表現の中でも最上級の感謝を表す敬語といえます。
使い方としてはかなり深く感謝していることを伝える場合の表現です。

「ありがとうございます」の言い換えできる類語

助かります
そもそも「助かる」は「ご苦労さま」などと同様に相手を労う言葉。

幸いです
「幸いです」は「幸い」は好ましい、嬉しい気持ちのことを示す言葉です。

嬉しいです
「嬉しい」は自分の気持ちを表す言葉、俗語的な表現、同僚や目下の人に対してのみ使える表現です。

深謝申し上げます
「深謝申し上げます」は、「心の底から深く感謝する」という意味の言葉で、強い感謝を表します。

感謝申し上げます
「感謝申し上げます」は「感謝します」は目上の人や取引先、接客でも使える表現です。

幸甚に思います
「幸甚(こうじん)」とは「甚だ(とても)幸せ」という意味です。
丁寧語「幸いです」をもう少し丁寧に言い換える場合に使う表現です。

恐れ入ります
「恐れ入ります」は日常会話でもクッション言葉としても使われる言葉です。
「恐れ入りますが」と会話で切り出すときはなにか依頼をするときの「申し訳ない」という「恐縮」の意味になり、「恐れ入りました」と言えば相手に対する「感心」の意味にもなる、幅広く使える敬語です。

「恐縮至極に存じます」恐縮は感謝や申し訳なさで身もすくむほどだ、という意味で、至極(しごく)がこれ以上ないという意味で、これ以上ないほどの感謝やお詫びの気持ち表す敬語です。

お礼を言う心を示す言葉がありがとうございます、つまり心より感じ頭を下げ心を下げ、その素晴らしさに感激し喜ぶことを表現することが感謝です、
お礼を言う感動した感激した気持ち自分が受けた祝福や利益を認め,ありがたく思う気持ちです。

感謝する態度を身につけると,私達はより幸せで霊的に強くなります。
私達は、祝福を与えてくださる事を、神に、そして自分に対する親切な行いを頂いている周囲の人達に、定期的に感謝の言葉を述べるべきです。

ここに書いてきましたが感謝の意味が、ありがとうございますの語源になった 「有り難し」有りえないこと、奇跡的なこと、それを、お仕組み戴いたこと。
又、達成して戴いたことに対して感動した、心を感想を思いを有りえないことを 達成して戴いた、神々様に、嬉しい気持ちと感激した気持ちを伝える、ありがとうございますと言う言葉があります。

人間にありがとうって言ったら感謝されていると思いますけど、感謝とは違う、言葉だけのものも有り儀礼的な、ものも有ります。

人間に、ありがとうって言って無い、まして、数限りない御守護を貰っている神様にも、ご神前では、ありがとうを言っていない方が多い。
と、言う事は益々感謝を伝える事に価値があると言う事ですね。

人間が肉体を持ち生きて活動ができる事自体が、まさに奇跡と言うべき事、しかし、活動をしているのは人間や生物だけではなく、神々は自然に於いても、人間の様に天候、地震など、人間が言う自然災害にも神々の仕組みが動いています。

近年は地震、火山爆発等、起きています、有難い事に多くの過去の記録を残して戴いたものが有るから、警鐘を出して戴いているものも多くあります。

災害から救われるような仕組みが、有りえないような奇跡が戴ける様になりましょう。
日々、神様に戴いている御守護に、ありがとうございますの感謝を伝えに、神々に逢いに行きましょう。

自分自身に宿っている神に感謝、神の存在があるから、感謝が出来る、思い当たる事には、ありがとうございますと感謝する、その場でも良いから、御守護を戴いたならば感謝する。
出来れば神社に行って神様に直接、挨拶をするのが良いのですが、ありがとうございますと言葉にして感謝する事が必要です。

私も本日、朝に2月を無事に迎えさせて戴いた挨拶に神社に行ってきました。
寒い低い気温の中、参拝を終えた帰りには、背に太陽の温かい日差しが気持ちよく注いでくれていました。

皆様も良い気持を味わいに神社に、神様にお逢いに行かれては如何ですか。
 

警笛

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2022年 1月30日(日)18時24分29秒 i118-17-99-50.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  大地震や大きな災害がここ数十年以内に発生すると言われています。
いつ起こるのか、明日かも知れませんし、数年後かも知れません。
ただ、いつ何が起ろうが身を護る備えはするべきです。

人間ができる備えは、数日分の水と食料を確保したり避難する場所の確認くらいでしょうが、備蓄している場所で被災するかどうかは分からないので、備えが本当に役に立つものかどうかの疑問は残るでしょう。

災害の程度によっては、情報交換の頼みの綱である携帯が使えなくなり、情報が滞り、安否確認さえ出来ない状態に陥るかも知れません。
情報が遮断された時にどう行動したら良いのでしょう。

有事の際にどこに居るかも大きく関わって来るでしょう。山の上か、麓か、ビルの屋上か、ビルの間なのか、地下鉄に乗車中なのか地下道を歩いている時なのか、地下街を歩いている時か、古いビルの地下か、新しいビルの地下なのか、どの位空気はもつのか、地下から地上にどの程度の期間で上がれるのか、考えればいくらでも心配事は出て来ます。

これを読まれている方は、自分は大丈夫、そんな所に居る時にそんな事は起きない!と断言出来ますか?

誰にも断言は出来ませんよね。
仮に最も危険と言われていた所で助かる人と助からない人、危険と言われていない所で助かる人と助からない人が出る。これは一体何の違いでそうなるのでしょうか。

ここに一つ、神示しを記します。

神々が何を望んでおるか、人間がなぜ違う方向へいくのか、神の世界もただただ
哀しくもある。
ならば、正しき者だけを、集め、正しき方向へ向かせる。
余計なものなど、いらないと心得よ。

平成25年9月22日 18:34

これは、神々が今の人間に対して思う心情の神示しです。
神示しの中に、正しき者、とありますのは、神様を思い、感謝し、崇める者です。余計なものとは、色々な捉え方が出来ますが、個人が持つ間違った思想や行動、神々が思うものと違う生き方等です。

この神示しを読んで、厳しいと思われるのか、思われないのかは、とても重要と考えます。
今迄、HP上で何度もお伝えしている神様に対する感謝、神社の神様に対する感謝、ご先祖の方々への感謝、宿る神様への感謝、これらをきちんとなされている人はどれ位いらっしゃるのでしょうか。

神様と繋がる方法と、神様と繋がると、どう変化して行くのかも記して来ました。
貴方は繋がせて戴いてますか?
トップページに記されていますが、人間が神々と集い、交信ができる世界、即ち神々と集い合う世界をつくる事が目標なのです。

その目標に近付いているのでしょうか、それが出来ていれば、どこに居ても、自分は守って戴いている。そう思う様にそして感じる様になるのです。
正しき者だけを集めるという事は、正しくない者だけを集めるという事も考えられますよね。その中に入られない様に、一刻も早く、心を動かして、神々に感謝し、思いそして行動をして欲しいと思います。

これが、本当の備えとなるのです。

そうすれば、群衆の中の一人では無く、神々から守られている一人となって行けるでしょう。
共に生き抜いて行きましょう。
 

仕組の中の行動

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2022年 1月29日(土)10時16分29秒 i118-17-99-50.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  先日開催されたオンライン集いの会で、人が排除される時の前兆やなぜそのような事が起こるのかについて話がありました。

仲間付き合いをしていたグループの一人が突然居なくなるという経験は少なからず誰にでも経験がある事と思います。抜けた人は、その後に起る災難から免れるためなのか、方向性が合わなくなったからか、グループにとっては良かったのか、寂しかったのか、居なくなる事で様々な思いが巡って来ます。

その場その場で、何が起っているのかなど又は良し悪しなど誰にも分からないという事です。数年経ってから、あの時離れていて正解だったとか、離れてから色々変わって来たかもと思う事があるでしょう。

こう考えて行けば、人それぞれ色んな場面があるでしょうが、その人その人にその時に必要な変化を起こさせる為に誰かが仕組んで、そうなっていると考えざるを得ません。
それが正しく、人に宿る神様が仕組、他の神々と連動して物事が行われているという所以です。

私も経験したように、自分のその時の体調に合致した環境や人が居る会社に、次から次へと変わる仕組が起り、現在の私があるのです。
しかし、何も起こらない人も確かに存在します。なぜ何も起こらないのでしょう。家に籠り、ゲームをして人と接する機会を持たない人々、チャットは上手くても人と話すのが苦手、こういう人々は今、沢山存在します。

何も起こらなくても良いとさえ思っているかも知れませんが、人がなぜこの世界に生まれ出ているのか?
ゲームをするため、自由を謳歌するため、堕落した人生をおくるため、ただ起きて、飯を食って、寝るだけ、色んな研究をして行きたい、人のために生きて行きたい、病気の人を助けたい、色んな考え方があるでしょう。

どれが正解か、それは自分が決める事であり、人がとやかくいう事ではありません。
ただ、ゲームをしたい人も自由を謳歌したい人も堕落した人生をおくりたい人も、世の中が平和でなければ、それが実現しないのは事実でしょう。自分の国が、数十年も戦争状態、家も無い、食べ物も少ない、ゆっくり寝ている事さえ許されない、こういう国々は沢山あります。

そういう国に生まれていたら、大変な一生を送る事になるのです。
家で寝転んでお菓子を食べてテレビを見る、暖かい風呂に入り、ゲームをして寝る。この様な生活がある事さえ知らない人々が沢山いるのです。

国の平和を保っているのは誰でしょう。
首相ですか、国会議員ですか、どういう職業であれ、人なんです。
人に宿る神の力なんです。
人に宿る神が自分が暮らす周辺の神々と連動して、周辺の神々が都道府県を守る神々と連動して、国を守る神々と連動していくのです。

家に籠り、外に出ない人に宿る神は、休眠状態なんです。人間がきちんと外へ出て、人と接して、自分自身の思いや心の鍛えをやって行く、そして自分が生かされている事をちゃんと最寄りの神社に行って、感謝の挨拶をする。そうして、初めて人に宿る神様が、動ける様になるのです。

自分の暮らす周辺で、よく事件が起こるとか、治安が悪いと思っているのであれば、そこらじゅうで休眠状態になっている、人に宿る神様が居られると思ってください。
家に籠りっきりの方が、将来どうなってしまうのか、以前ニュースでも報じられていましたが、違う事に使われてしまうという事です。

人に宿る神様が休眠状態かもと思われるのであれば、まずは、自分から行動して欲しいと思います。宿る神様が動ける環境を作ることが、安全に繋がり、人が楽しく暮らせる場が与えられるのです。

また、排除された事に悲観する事無く、これは何かの転機だろうと前向きになって行動して欲しいと思います。

年が明けて、厳しい世界の状況ですが、一人一人の行動が、問われる時代になりましたので、また次の機会に色んな事を伝えていきたいと思います。
 

(無題)

 投稿者:東林  投稿日:2022年 1月 4日(火)20時58分55秒 i220-221-59-4.s42.a026.ap.plala.or.jp
返信・引用
  今の世の中?
本当に、良いものを発信して人々がそれを見て値打ちをつけつてその時だけの満足を与える世になりましたね。
確かに、しらなければ、何も無い、知れば、誰かにそれを伝えたい、それが人間、そこに恨み妬みが生まれる。
努力するもの、しない者、世は必ずとも平等では無い。
ならば、争いは絶え間なく続く事。
この現世は、どんな宗教や、聖者が現れても幸せな世はこないでしょう。
 

/49