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御守護

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2021年11月24日(水)17時07分5秒 zaq31fa8f1d.rev.zaq.ne.jp
返信・引用
  愉人です、皆さん、今回も御守護について、続きを書かせて頂きます。

御守護でストップを掛けて戴だいている中で、次の事もストップを掛けて戴いている事柄です。

先人の方々が言い伝えてきた災害とかの教え、印を残して、ここより下の土地には住まわないように等、教えが御守護のストップになります。

しかし、先人の方々が作った災害とかの、言い伝え等への、理解を、しょうとする思いや、尊敬する心等、感謝が足りていない人々が多いです。

何故、それを表記するのかと言うと、先人の方々が、伝え残す事柄が、神の領域の世界と言うか、仕組みなのです。
災害等が起きた場所、そこに残すと言う事は、神の領域を残していると言う事になります。
全てに於いて、神々が動かれるから、仕組みが動いているのです。

だけど、先人の言葉を聞きなさい、信頼しなさい、行動しなさい、そうすれば貴方の命が助かりますよと伝えられていても、反応しない、行動しない。

災害でも洪水でも、そうですが、ここまで、潮が来ましたよとか、地震の時はこうなりましたよ、その時は、こうしなさい、ああしなさいよと言う事を残しているのに、関わらず。
わざわざ、それを実行しない人間が多い、先人の方々が残した書物、神社仏閣等に残る、言い伝えなど、まさに、御守護の見本の如き、ストップを見せて戴いている事柄なのに、実行しない、見る事も、聞く事もしない。

命を落としても仕方の無い事をしている訳です。

その場に立ち合い、何故こうなるのかと問いても、災害は起きる。
人々が、よく言う言葉で、何で、こうなるのか、では無く。
残して戴いた、伝えを守らなかったから災害等に遭う事になっている。

災いが繰り返されると言う事は、同じ事が、ズーと起こっていると言う事です。

同じく、人間同士の争いも起こっている、でも争いは、ズーと争っている訳でも無い、どこかで止まる。
でも、それが、又、起こる。
でもまた止まる。
でも、又、起こる。

この繰り返しは、これは神が、仕組まれて繰り返す事ではなく、人間が行う繰り返しです。
何故、人間がそう言う風にするのか。

人間の中には、神が居れる。

神が思えば絶対に止めれます、何かにせよ、何かをしようと思った時にはストップを掛けるのが神の務めと言うか仕組です。

人間の中に居る神の仕組です、人間をコントロールするのが神様です。

しかし、神様が示したストップを守らないのは何故かと言うと。

神が、そうさしているのでは無く、人間の思いが強いから、そうさせている訳です。

よく言われる言葉に、歴史は繰り返される、これは当たっていると思います。

人間が自身の我欲によって招いている、我が強かったら、そこには、神様は存在しなくなるって事になります、ストップも掛けて戴けなくなると言う事ですね。

人々の話、伝承などの伝えを聞くのか、聞かないのかの判断を自分でしていると思っていますが違います。
本来、自分がするのではなく、自分の肉体に居る神がする。
だからストップが掛かる、御守護が戴ける。

今一度、言います、人間同士の争いが起こるのも、災害等に遭う事も、人間自身が我欲によって招いている事を、御守護を自ら遠ざけている事を理解して下さい。

皆さんの周りを、しっかりと見て下さい、 御守護と、お仕組みを、沢山戴いている事が 見えて来ると思います。

神様と先人の方々に、感謝ですね。

神様に逢いに行って下さいね。
 

御守護

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2021年10月28日(木)21時12分20秒 zaq31fa8eba.zaq.ne.jp
返信・引用
  愉人です、皆さん、御守護について、続きを書かせて頂きます。

当然、御守護をしてくださる時に、率先して働いて頂いているのは、神々で有り、氏神様です。
氏神様が、いなければ、生も死もままならない、人間の日々の生活の面倒を見て戴く神様です。
生まれてから死しても、導いて頂けるのが、氏神様であります。

旅行をするのにも、目的地の氏神様、その目的地に行くまでの間の通過する地域地域を担当している氏神様との連携を取り合い、我々を御守護してくださいます。

御守護を戴くには、神様と、繋がりを持たなければならない。
その繋がりの頂点には 神ノ大元ノ大神様が、おられます。

この繋がりを形成する為には、肉体に宿る神が、存在しなければ、人間と神様の仲介役が出来ない。
宿る神が、いなければ 氏神様との連携が取れず、神様との仲介は成立しない。
御守護を含め、あらゆる仕組みが成功しなくなる

宿る神は、人間に直接、閃きを与えてくださる方で、神々、又、大神様の想いを、中継してくださる。

いろいろな方法を使われ物質的にも仕組む、心にも、ひっかかるような状況も作る。
又、その場その場にもよるが、神ノ大元ノ大神様の直系の神々の、お話も伝えてくださる。

御守護のストップが掛かるのは、自分が、するのじゃない、自分の肉体に宿る神がするんです。
だからストップが掛かるのです。

肉体に宿る神から、見放された者っと言うのは、何をし出すか分からない、人を傷付けたり、又は、自ら自分の命を絶ったり等。
見放された者は、もう凧と一緒、糸の切れた凧と一緒、必ず落ちて行く、上がるんだけど切れたら落ちて行くしかない。

そうならない為には、どうしたら良いのか。

ストップを掛けて下さる神様に、御守護、感謝を、しなさいと言う事です。

元来の姿で在る、自分自身に宿る神と通じ合えば、自然と大神様、神々の方々と通じる。
現状は、通じていなければならない事を忘れているかの如く、宿る神を、蔑ろにしている。

又、自分自身を自分自身で、汚している事にも気が、ついていない。

人間の傍には必ず御守護して下さる方々が、いらっしゃいます。
そう言う方々と、いつも、お話をしていれば、必ず守ってくださいます。

御守りに頼る事は無いです。
御守りが有るとか無いとかではなくて、いつも、そばにいらっしゃるから、その方々から、いつも御守護を戴ける。
いつも、そばに、いらっしゃるから、それに感謝して、御守護を戴いていなければならない。

今回、あらゆる事からお守りくださいと、お願いする言葉を書いておりますが、意味が、解りにくいです。
あらゆる事ってどう言う事なのか、教えて戴いたのは、あらゆる事って言うのは、自分が起こす行動、人間が起こす行動の全てを意味します。

今一度申します、御守護のストップを掛けるのは、自分が、するのじゃない、自分の肉体に宿る神がするんです。
ストップを掛けて下さる神様に、日々御守護を戴いている事を、感謝しましょう。

皆さん、自分の肉体の中に居る神様に、どのような感謝をすべきなのか、考えましょう。
 

真素直に実行するということ

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2021年10月17日(日)16時39分57秒 i118-18-189-200.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  私は今、前人未到の体験の真っ只中にいます。
これからの私がどうなって行くのか、私自身もとても楽しみに暮らしています。

当会で活動し始めた3年目、私は関節リウマチになりました。
今思えば、活動し始めた年の暮れ、朝目が覚めたとき、身体の関節にある潤滑剤が流れ出る様な感覚があり、不思議に思っていたその後に、段々と時間を掛けて、手の強ばりや膝や関節の腫れ、立ち座りのし辛さ、座った状態で靴下が履けず何分も掛かる様になり、背中が痒いとき自らの手が届かなくなるなどの変化を経て、働くことすら辛くなった3年目の暮れに関節リウマチであると診断を受けることになった訳です。

当時の私は、それまでに関わって来た宗教活動や、体験した様々な出来事から、自分の行動は神のお役に立っていて、喜ばれることを沢山させて戴いた一人だと誇らしく思っていた節がある。当会でも何か役に立たせて頂きたいと思いながらの診断結果であった為、自分になぜその様なものが降りかかって来たのか分からずにいました。

診断後、自分が会に入った理由とは何か、その事ばかり考えていました。
医者の言う通り、そのまま一週間入院し、強い薬を投与して様子を見ながら通院という手もあったのでしょうが、私としては、本来の人としての姿に戻り、暮らしを自分を取り戻していけば、もしかすると、そのうちに回復ということも起こるのかも知れないと漠然と考えていました。

本来の人としての姿とは、日々の暮らしに感謝して、毎月の暮らしに感謝すること、そしてきちんと月に一度の氏神様への挨拶を続けていくことでした。
ただ、最初の数か月は本当に大変で、身体がいうことを利かないのが、こんなにも不便なものかとつくづく感じる毎日でした。

今迄は気付かなった、通りのちょっとした段差や、滑りやすいタイルなど、もし今ここで滑ったら自力では起き上がれないという恐怖心で、一歩一歩確認しながら歩いたり、股関節に激痛があってどこかで座って休みたいのに、どこにもベンチが無かったりと、世の中というのは、本当に身体に異常が無い人々の為に作られている世界なのだと痛感しました。

そういう暮らしであっても、少しずつその状態に慣れて行って、痛みや辛さはあるものの、妻が寄り添ってくれることや私の様に足が悪い人がいたら、何かの支えになりたいと思う様になったよと聞いた時は、心が熱くなりジーンと来ました。
周りの人々の優しさ、支えてくれる家族、私がどこかで落として来た感情を呼び覚ませてくれる病気だったのかも知れません。

高山の集いの会にも、出来る限り行きたいと思いながら、始発の新幹線に乗り遅れず行けるだろうか、乗り継ぎはうまく出来るだろうか、旅館で食べる夕飯は正座だろうか、椅子ならいいななど、ちょっと考えただけでも身体がいうことを利かないもどかしさと共に、多大なる迷惑を色々な方々に掛けてしまう事にちゅうちょしてぎりぎりまで行くと言えずにいましたが、なんとか周りの方々の支えもあり、辛い状態のなか参加をさせて頂きました。

参加をしてやっぱり来て良かったなと思ったのは、神様に自分の状態を見守って戴いているというなんとも知れぬ心地良さがあったこと、布団に入って眠ると、睡眠時間は短くても何時間も多く眠った感じでとても身体が楽になったように思うところでした。

それと、その時の体調に沿ったアドバイスが戴けましたので、帰ると真素直になって、実行していました。
自分にできることは、アドバイスをいかにして実行していくか、実行するためにはどう動くべきかと、あれこれ試行錯誤して行動しました。

私は、自宅療養を一年五ヶ月おこなった訳ですが、一年過ぎた辺りから、身体が動ける様になったら、再就職の活動をしないとならないなと思い始め、傷病手当は一年六ヶ月間と決まっていましたので、四月位に動ける様になれば、就職活動ができるなと思っていましたら、その通りに動ける様になり、五月から働き出す事が出来たのです。

最初の会社は、午前十時出社で、フレックスタイム制を導入したところでしたから、ちょっと朝体調が悪いなと思っても、朝九時からやっている整骨院に寄って出社ができたり、徐々に仕事に慣れさせて貰えるような進行と新たなる事業展開に加わったりと、充実した日々を送らせて頂きました。
ただ、トップがあまりにもワンマン過ぎて、社員がどんどん辞めて行っても堂々と自分は今のスタイルを変えるつもりは無い!と断言するような方だったため、居心地が少しづつ悪くなっていました。

すると、ある夜突然トップに呼び出され、こんこんと皮肉や罵声を浴びせられ、3時間程詰められました。話を聞きながら、ここはもう去るべき時が来たんだなと感じていました。
入社した時は、あんなにも軽快に動いていた身体も段々と動きづらくなってもいました。

身体の調子を戻しつつ、働ける会社は無いものかと、ハローワークに行き検索したところ、辞めた会社の事業展開時に学んだ事を主にしている会社があり、気なったので履歴書を送ってみました。直ぐに会いたいと電話があり、入る事にしました。そこは、電車で通える所でしたが、最寄り駅から片道二十分は歩かねばならず、自宅から換算すると通勤で往復一時間半位歩くこととなり、車通勤もNG、残業もNGの会社でしたから、とにかくコロナも途中で出て来たこともあり、九時五時の規則正しい生活が送れました。

お陰で、体調は本当に良くなりました。
そんなある日、会社の上司から呼び出しがあり、コーヒーでも飲みに行こうと誘われました。内容は、コロナの業績不振による退職依頼の話でした。話を聞きながら、そうか、ここも、去るべき時が来たんだなと感じました。ただこの時は、入社した時よりも更に軽快さが増し、一年四ヶ月後の良好だった体調をも凌ぐものでした。

次に行くべき所は、もう既に感じていました。
コロナの前に、誘われていた会社が一つあったのですが、通勤時間が片道一時間半掛かることと、事務所の玄関まで手すりの無い十数段の階段を上らねばならないことがネックに感じ、体調的に自信が持てなく、断念していたのです。

その会社に入るためのリハビリ期間があり、心と身体を鍛える時間を与えられたのでしょう。という事が今なら分かります。

なぜ、この様な過程が戴けたのかについて、神様に対し、全てを戴いていることに感謝する。
全てとは、自分自身も肉体も病気も苦しさも周りの人々も環境も何もかもを含めた全てをという意味合いです。

肉体を維持するためには何かを食べなければならない。
何かを食べる為には働かなければならない。
働く為には、健康な身体が必要です。
健康でいる為には、日々暮らさしてもらえる感謝が必要なのです。
どんな状態であれ、全てを戴いていることに感謝なのです。
一人では生きて行けませんから、周りの人々の存在も用意して下さっているのです。自分が成長する為に必要なものなのです。

そういうことを踏まえて、日々生かされていることをコツコツとありがたさを感じながら生きていくのです。
奇跡の様に一瞬で物事が変わることはないと前回書きましたが、日々実行することがなぜ必要かと言えば、人の中にある我欲や傲慢さなどは奇跡の様に一瞬で無くなりはしないからです。
神々に日々感謝することにより少しづつ溶かして行かなければ、本当の自分の身にならないことを神様はご存知だからなのです。

日々きちんと実行していく健気さ、本当に通じて欲しいと願う真素直な気持ちと努力、この思いと行動が自分の中にいる神様と通じ合えれば、私が思うことと私の中にいる神様の思いが連動して、どう私が動いたら良いかを自然と流れる様にして下さっているのです。

これが出来る様になれば、私が今体験させて頂いていることと同じ様に出来る様になって来るのです。

書かせて頂いたことは、空想ではありません。

本当に今、ここで起こっていることなのです。
 

御守護

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2021年10月15日(金)23時40分12秒 zaq31fa8eba.zaq.ne.jp
返信・引用
  愉人です、皆さん、御守護について、続きを書かせて頂きます。

御守護を戴く中において 神鍛えが有ると言いましたが、神々が、その人間に対して 成長を望む為に、試練を与える事が有ります。

我々会員の中において、肉体的、苦悩を与えられ、不治の病とまで言われていた体が4年を、かけて普通の健康状態に戻ってきています。
歩くのも辛く、正座すらも、出来なかった状態の肉体が、神の導きと言うか、仕組みで、病院には入院せず自己の治療方法で健康な体に戻ってきています。

この苦悩の間に会員の方が、どれほど成長したかは、神様しか、解らないですが、 鍛えの為の苦悩が与えられた例が、身近に有りました。

御守護は物事が起こる前にストップを掛けて戴ける事が本当の御守護では有りますが、神の鍛えに会うのも、御守護の下で戴くもので有ります。

しかし 与えられた事に対して、我が先行して、起こる事を拒否したり、行わなかった場合は 違った仕組みが、又 、起きて来る、苦しみの度合いも、種類も違ってきます。
1つの苦しみを、それを乗り越えれば成長に繋がるのに、それを拒めば、神様は、より良い成長を期する課題を与えてくる、言えば、もっと苦しみを味わう、行いが起きてくる。
すべては、御守護の下で苦悩と鍛えが行われるが、それを理解せず、神に対して、反発をする。

神様から 人間に対し伝えられている言葉に、行いを正しい方向に導いた時に、それを真素直に遂行する事が神の喜ばれる事である。

御守護の下でストップを掛けられるのも、人生において鍛えへの苦労が、与えられるのも、御守護の下で、あると言う事を人間は、自覚しなければならない。

正に御守護は、神が人間に対して、良かれと思い、仕組まれている事であり、苦しみも、又、神が与えた優しさでも有る。
苦悩では有るが超えねばならない、障害が有る、これを越えれれば、進歩するのが解っているので、神様は鍛える。

人間を進歩さして、より良い満足を与えようと、優しさで鍛えを行う。
物事に挑む、実力の有る無しかを見極め、無ければストップを掛け、 実力が有れば鍛えに向かわさせ乗り越えさせる。

次々段階を踏む時点、起点でもストップを掛けて下さる。
成長したい思いが有り、お願いをすれば、より良い段階毎にストップを掛けて戴ける。
精神的な状態、肉体的な状態等、色々な時間、時期の状態でのストップを掛けて下さる。

止める為のストップだけでは無く、鍛えを与える為のストップが有る、これが大きな御守護でしょう。

本物の、御守護を戴いて居れば、御守護の下、飛躍が出来る、これは正に感謝するべき事です。


 

御守護

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2021年10月 9日(土)22時03分44秒 zaq31fa8eba.zaq.ne.jp
返信・引用
  愉人です、皆さん、神様に逢いに行かれましたか。

御守りって要りますか?
なぜ御守りを身に着けますか?
守って戴きたいって思いが有るからでしょ?
そこには神様に守って戴きたい。
これを持っていたら災いから守って戴けるのではないかと、言う思いが有るから、そういう御守りを持つようになったんでしょう。
ですが、御守りが守ってくれる訳では、ないですよね?
御守りを持っているとそこに神様が居るという自然な、人間の思いが有るから、いつも神様が横に居る、傍に居る、だから守ってくれるんだ、御守りが有るから余計に、それを感じるだけであって、只、その御守りが有るから御守護して下さると思い、傍に居る、神々の方々を蔑ろにしている面も有ります。
御守りが無かったらどうします?

我々は御守りは持ちません。

なぜかと言うと。
御守護とは、痛み苦しみの時、窮地に陥った時、絶対絶命の死地に行く時などの苦しい処から救って戴くのが、御守護だと思っていましたが、本当の本物の御守護とは、苦しくなる前、危機に陥る前に、在るのが御守護だと理解したからです。
前回にも書きましたが、自分を守って貰える、自分が、そういう災いに行かない様にブレーキを掛けれる。
その時に、何が存在するのかと問えば、答えは、神の存在が在るだけです。
何が有ってもブレーキが利かなくても、神様に、お願いしたらブレーキを掛けて戴ける。
で、そこに行かなくなる、そんな危険な場所を知る必要も無い。
日々の生活の中で神様に対して、お願いが、できる関係を 構築して行く我々が言う 神心の構築が出来て、おれば お願い事が、できるほどの神様との接し方が大事、普段からの挨拶を行うことから、いつでもお願いを聞いてもらえる関係を構築する。

現在、神々は、人間、個人個人に物事を選ばせてます、その結果、自分の我が儘を優先して選んでるのが現状。
神様に対する、考え方、想い、接し方等、我が優先しています。
その結果として、御守護を戴ける人との差が表れています。
御守護を戴いている方は、危険な人々に逢う事もない(コロナ等の感染症)病気。
同じ病院に行くのにも、感染症を患っている人が居る時に行く人も居れば、御守護を戴いている人々は何も危険が無い、同じ場所に行って居ます。
人間、個人の我が優先しているのが現状ですね。
人々に対して言っていますね。
外に出てはいけない。
けど、外に出ますよね。
言う事を聞かない、なぜ?
なぜ無視しているんですか、
なぜ言う事を聞かないんですか?
言う事を聞ない様にしているんですかって、疑問を持ちます。
だから、こうして蔓延している訳ですが。

日々 お傍に必ず御守護して下さる 神様方が 居られると言う事を 自覚し、いつも守られている事を 忘れる事なく神々に感謝の心を持って接して、そう言う方々と、いつもお話を、しておれば、神々は人々に対して広く優しい心を持って接して戴け、御守護を戴けるのです。
神様に対して、御守護のお願いを、する事が大切で有るのは、神々の存在と日々、神様から御守護を戴いている事を自覚する事と、神々が存在しなければ、肉体を持つ人間が生きていけない事を忘れない為に、祈り、挨拶、お願いをする。
神様に、お願いするのは、自分が、そう言う災いの方向へ向かない様、災いを受けようとしても、その前にストップを掛けられる。
但し、神様の鍛えが有って苦しく成る事も有りますが、全ては神様が成長を期待しての状況も有りますが。
日々、あらゆる事から御守り下さいって言うのが、絶対大事。
お願い事をしてはいけないじゃない、お願い事をする事が大事、お願いできることが大事。
あらゆる事からお守りくださいって言う言葉、只、単に使うのでは無くて、あらゆる事から御守りくださいって言うのは、自分達がストップ掛けると言う事です自分がストップ掛けれると言う事なんですよ、


皆さんも神様に逢いに行ける、ご縁を願って下さい。
 

奇跡はあるか

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2021年10月 2日(土)23時18分31秒 i118-18-189-200.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  皆さんが思う奇跡とはどの様なものでしょうか。
私がかつて思っていた奇跡とは、大事故に遭遇しても助かる事や、末期の癌が消えたなどで、人知を超えた現象だと思っていました。

日本人の多くは、例え危険な事に巻き込まれても、何かが起きて自分は助かると思う傾向にあると誰かが言っていた様に、何かが起きた時に助かる事を奇跡と捉えている方が殆どではないでしょうか。

宗教においても、奇跡が起こる団体という触れ込みが出ると沢山の人が引き寄せられて行き、引き寄せられた人は、いつか自分の身に起こる不幸な事柄から助けられるのだろうと考えながら活動しています。

しかし、ここで断言します。
皆さんが考えられている様な奇跡は、起こりません。
残念ながら起こらない様に仕組まれているのです。

この世で人間に起こる事には全て意味があり、その人その人にとって起こらなければならないから起きているだけなのです。また、起こった後の思いや行動にどの様な変化が起き、どうなるかは、その人に任されている事であり、他人がどうこう出来る問題では無いのです。

こちらに入会すれば、貴方に付きまとっている不幸現象の元を又は悪霊を追い出しますから、何十万円をどこそこに振り込んで下さいという団体がありますが、そんな事ができる人間など存在しません。

神の世界では許されていない事なのです。

以前集いの中で、神の世界では、正と邪が完全に分かれているが、人間が住むこの地球には正と邪両方の影響を受けているとあった様に、邪の影響を受けている人間の所や団体に入ると、人救いや霊救いなどをする様になります。しかしやればやる程、自分自身に本来備わっていたものまでも投げ出さなければならなくなり、病気等になって苦しむ事になるのです。

私自身が良い例と申しますかですが、私も以前そういうところに所属していて、人救いだの、霊救いだのと奔走し活動していた時期がありました。
やればやる程、周りから雰囲気が怖くなったと恐れられる存在となっていました。
一生懸命に、人救いや霊救いと称して活動していたものは、その人その人に必要だから、その様な状態になっていただけであり、その人が受けるべくして受けていたものでした。

そういう事も気付かずに、神様の邪魔になる事を何年も掛けてやっていた訳です。

神様の邪魔になっていた事に気付いたのは、自らがリウマチという病になってから大分経ってからです。
人間が他人を救う事など誰にも出来ない事なのです。

救えるのは、自分自身だけなのです。
何かが自分に起こる前に、何も起こらない様にする事が大切な事です。
何も起こらなかった平凡な日々を、自分の中にいらっしゃる神様に感謝して下さい。
地球に生まれた以上は、いち人間としていかに生きるかなのです。
自分の命を投げ打ってまで他人を救いなさいなどは、無いのです。

思い悩む人が傍に来たら、助言してあげたら良いのです。
まずは、自分の中にいらっしゃる神様に感謝する事が大事な事なのです。
そうすれば、活路が開けてゆきます。
 

神に名は無し

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2021年 9月 3日(金)21時52分8秒 i118-18-189-222.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  私達が住む世界には、様々な名称の神々が存在します。
諸外国でよく知られているところでは、ギリシャ神話や北欧神話等、世界三代宗教と言われる仏教、キリスト教、イスラム教等で使用されているもの、外国に存在する様々な宗教団体で唱えられているもの。

日本では、日本神話に登場する名称や国内に存在する様々な宗教団体で唱えられているもの等です。

これらの名称は、あくまでも各国、各土地の成り立ちを表すものや過去に起ったことを鎮めるために作られた架空の創作物です。
神々が名乗り、こう呼びなさいなど、まずありません。
なぜなら、神に名は無いからです。

人間が勝手に神に名を付け教義をつくり、神に対する人間の思いや人間とはかくあるべきと創作したに過ぎません。
名を付けて格付けをして、いかに我が教えが本物で、本当の教えなのかをただ、ただ、声を大きくして叫んでいる所があるだけです。
我が教え以外は、邪教であるといって排除する、最初は小さな小競り合いだったのが、いつの間にか長い戦争へと突入していく、そして今の時代になってもそれが続いている。

本当に愚かな事だと思います。

いつになったら、争いの無い世の中が来るのでしょうか。
いつになったら、同じ神を崇めることができるのでしょうか。
いつになったら、災害で命を落とすことが無くなるのでしょうか。

今起こっていることを見てください。
根本は、人間が神に名を付けたことが始まりです。
人間ですから誤りもあります。
間違っていれば、正せば良いのです。

私達の時代で変えていかなければ、後世は何も変わらず過酷な道を辿ることになるでしょう。
過酷さが加速していると感じているのは、私だけではないでしょう。

神に名は無し
とても大事なことです。
人間がつくった神の名を唱えている場合ではありません。
教祖が創作した呼び名を唱えている場合ではありません。

人間が変わらなければ、もっと深刻な事態になっていくことを肝に銘じ、行動しなければならない時が来ているのです。

8月31日(火)PM1:10
神示し

名のある神がなくならない限り、平たんはない

神示しがありましたので、皆さんに伝えました。
 

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2021年 9月 3日(金)21時19分30秒 zaq31fa8eba.zaq.ne.jp
返信・引用
  愉人です、皆さん、神様に逢いに行かれましたか。

異常気象ですね、集中的に雨が降ったり、寒暖の差も大きく成ったりして来ています。

今回は縁(えん)に、ついて書かせて頂きます。
2か月前に縁の話を聞き、縁が戴けるから、神様が居られる神社へ、神様に逢いに行けると伝えられました。

聞いた時には、軽い感じで居ましたが、理解するのに2か月、今まで掛かったような気がします。

2か月の間の一日ごとの行動の中で、神々様からの援助、閃き、お仕組みを日々戴いて過ごしている毎日です。
その生活から感じる、経験、体験、その全ての生活時間が、理解の手助けと成り、縁(えん)の意味を考え理解する事が出来ました、

縁が有るから神社にも行ける、神様との挨拶も許される。

御守護も、お仕組みも、縁が有るから戴ける。

私は御守護は、痛み苦しみの時、窮地に陥った時、絶対絶命の死地に行く時などの苦しい処から救って戴くのが、御守護だと思っていましたが、本当の本物の御守護とは、苦しくなる前、危機に陥る前に、在るのが御守護だと理解しました。

前回にも書きましたが、自分を守って貰える、自分が、そういう災いに行かない様にブレーキを掛けれる。
その時に、何が存在するのかと問えば、答えは、神の存在が必要である。

ブレーキが利かなくなったら、もうどうしようもない。
何が有ってもブレーキが利かなくても、神様に、お願いしたらブレーキを掛けてくれます。
で、そこに行かなくなる。

そんな危険な場所を知る必要も無い。

危険な人々に逢う事もない(コロナ等の感染症)病気。
同じ病院に行くのにも、感染症を患っている人が居る時に行く人も居れば、御守護を戴いている人々は何も危険が無い、同じ場所に行って居ます。

縁を戴くと言うのは御守護を戴くのと同じで、良い方向に向かわせて戴ける事だと自覚しました、2か月では、此処までしか理解しておりませんが、この先も色々な閃きを戴けると信じておりますので、もっと素晴らしい縁が来る事を期待しております。

皆さんも神様に逢いに行ける、ご縁を願って下さい。
 

感謝

 投稿者:神周士の会 愉人  投稿日:2021年 8月18日(水)21時01分3秒 zaq31fa8eba.zaq.ne.jp
返信・引用
  愉人です、皆さん、神様に逢いに行かれましたか。

異常気象で雨が多く降ったり、暑く成ったり自然現象も今までとは違う現象が起きて来ていますね。
世界では地震も起きています。

神様方の考えが変わったのか、神々の担当が変わったのかで、新しい現象が起きて来ているのではないかと私は考えています。
コロナ禍も新しい現象、特に同じ様な症状から助かる人も居れば、重症化する方も居られる。
昔の様な伝染病の様に罹れば、ほとんどが死ぬとかでは無く、人間、個人個人に物事を選ばせて、死に至らしめる方向に神様が仕組んでいるように思います。

御守護が戴ける方々は仕組みが有るとは思いますが、その都度その都度の事がらに感謝しなければ、重症化の方向に向かう事に成って来ていると思います。

思い当たる事には、ありがとうございますと感謝する、その場でも良いから、御守護を戴いたならば感謝する、出来れば神社に行って神様に直接、挨拶をするのが良いのですが、ありがとうございますと言葉にして感謝する事も必要だと思います。

今回も、会員さんと話をしていた内容から抜粋してお話しますが、ありがとうございますの意味が全然分からない事がある。
違う言葉があるのじゃないのかと思います。

ありがとうございますって言う言葉の意味の説明は神示では無いじゃないですか。

ありがとうございますを、使った挨拶は有りますよね。
いつもありがとうございますって、言ったら相手は喜んでくれますよ。

ありがとうございますって中々言う人、居ないじゃないですか、居ますか?
いつも言っているけれど、特に神様に挨拶する時は。

他の人からありがとうございますって言われますか、言われませんよね。
人が使っているのは気にした事は無いです、自分が使わないと、いかんなと思って使っては、いますけど。

いやだから人から言われますか、ありがとうございますって日頃から言われますか、言われませんよね、おかしいよね、思いません。

そう言えば、言われてないな、とか思って。
まず言われない、言われる事が無い。

今、思い返してもそうですね、こっちは言ってても、相手から言われると言うのは自覚が無いです。

日常生活の中で、ありがとうございますって言う言葉なんて、金融屋に行って、お金を借りて、ありがとうございますって言われるぐらい、それか借りた側が、お金貸してくれてありがとうございますって、それぐらい。

日常生活の中で殆ど、ありがとうございますなんて、どこでも使わない。

使い方やね、どこに持って行くか、それを。

人間にありがとうって言ったら感謝されていると思いますけど、感謝とは違う、言葉だけのものも有り儀礼的な、ものも有る。

人間にも、ありがとうって言って無い。
まして、数限りない御守護を貰っている神様にも、ありがとうを言っていない。

じゃあご神前では。

と、言う事は益々使う事に価値があると言う事ですね。

自分を守って貰える、自分が、そういう災いに行かない様にブレーキをかける、その時に何が存在するかって言ったら神の存在が必要、ブレーキが利かなくなったらもうどうしようもない、何があってもブレーキが利かなくても、神様にお願いしたらブレーキ掛けてくれますね。

で、そこに行かなくなる。

もう一つだけ伝えたいのは、本日も、あらゆる事柄から御守り下さいって言う、言葉を絶対、口に出して下さい。

日々だったら、本日も、あらゆる事柄から御守り下さいって言う言葉でも良いけどね。

まず、神様に、お願いするのに何が大切で、何を伝えるかって言ったら、自分が、そう言う災いの方向へ行かない様、だから災いを受けようとしても、その前にストップを掛けられる。

日々それが絶対大事、だから、あらゆる事から御守り下さいって言うのが、まず大事、お願い事を、してはいけないじゃない、お願い事をする事。

いかなる事って言うのは本当に全て、あらゆる事が一番良いのかなと思う、これは神にも通じる言葉だから。

いかなる事とか、あらゆる事とか、そこに起きる事、起こされる事、大事なのはそこですから。

日々、神様に戴いている御守護に、ありがとうございますの言葉の感謝を伝えに、神々に逢いに行きましょう。

 

神社へ行く大切さ

 投稿者:神周士の会 九代  投稿日:2021年 8月 7日(土)17時55分31秒 i114-184-209-125.s42.a040.ap.plala.or.jp
返信・引用
  掲示板をご覧の皆さんいかがお過ごしでしょうか。
8月に入り依然猛暑は続いておりますが、1日は神社へお詣りに行きましたか?
こちら九州もとても暑く、1日は車に戻ると同時に顔から汗がドッと噴き出してきました。
みなさんの場所ではいかがでしたか。
前月無事に暮らせたお礼をするのは、とても大事なことですよ。

最近のニュースなどを見ていますと、子供が様々なことに巻き込まれて亡くなるのがとても増えたのと、以前から人を殺したいと思っていたという理由で人を殺す人が増えたと感じます。

今迄家で沸々と引き籠っていたある種独特の思いというものが、コロナという特殊な環境下に長く置かれたことにより、勝手気ままに生きて行けなくなってしまう。煩わしくても皆がやっているからやらざるを得ず、更にうっ憤が溜まる。何度も何度もそういう環境を強いられて、感情が抑え切れなくなって爆発してしまったとも考えられます。

ただ、当会として言わせてもらえば、コロナ等が広がる前の段階で、きちんと神社へも行って日々暮らしの中で神様に深く、深く頭を下げて感謝する暮らしを行う。
そうすることによって、御守護を戴ける暮らしに変わって来る。
となれば、何が来ようとも日々の暮らしというものは守って頂けますから、生活が激変することなどありません。

以前も記事に出したことがありますが、事件や事故を起こしたり、または巻き込まれてしまう人というのは、その人の暮らしの中に何かの接点となる事柄が起きて、そのことに反応してしまったが故に段々と深く関わることになったと思われます。反応していなければ、その後に起る事柄に巻き込まれなく済んだのです。

人というのは、相手から助けを求められると助けたいと思い、自分の考えの基に行動します。自分の考えの基が、自分本質の考えの場合はとても危険だと言えます。
人は、守護して下さる方によって護られているのですが、その護りというものを感じて以心伝心できる人はいませんから、守護している神様が伝えたくても伝える術が無いのです。本当は沢山のことを守護している人に伝えて、伝えられた人はこの世でやるべきことを行わねばならないのです。

人が守護している神様と以心伝心する為には、まず、人が自らの意思で神社へ行き、神ノ大元ノ大神様から連綿と続く各神々様と御祭神に祈り、自分を守護して下さっている神様と御祭神との関係をきちんとつくって戴くことが大切なのです。
自分の思いは守護している神様と共にあり、守護している神様は御祭神と繋がっていてずーっとその繋がりを辿れば神ノ大元ノ大神様まで繋がっているというイメージが出来る様になれば、継続していく。継続していると様々な事柄が起きて来ますが、何があっても神様を信じて行動していく。そうすれば守護して下さっている神様の思いを自然と行動に繋げていくことができるのです。

守護して下さっている神様と思いを繋げるのはそう容易いことではありませんが、誰にでも分かる様に、またはできるように神様が仕組んでおられますから、みな平等なのです。
神様を信じて行動して、自分に課せられたものを乗り越えることができれば、叶えられることだと私は思います。
まず、その関係性ができれば、何が起ろうともぶれずに前へ進めますので、本来自分がこの世で行うべきことが見えて来ることでしょう。

神社へ行くことがいかに大切かを述べさせて頂きました。
 

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