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下重暁子「 家族という病 」

 投稿者:山田武秋  投稿日:2015年 4月28日(火)14時34分53秒
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  家族という病
それを言い出せば
結婚も恋愛も
友情も
みな「病」になる

下重暁子の「 家族という病 」が売れていると言う。 「意味という病」(柄谷行人)という本があり、これは主知主義に対する一定の批判になっていたが、はて、この「病」はどうなのだろう。玄冬舎らしいといえば玄冬舎らしいセンセーショナルな題名で、あざといといえばあざとい。「家族」という「幻想」があり、その「幻想」にしばられることは「病」だといいたいのかも知れないが、この論法を敷衍化すると「恋愛」も「結婚」も「友情」も「幻想」となる。そしてこの「幻想」を追い求めたのが浪漫主義ということになろうが、しかし、これについては漱石も習ったケーベル先生がよいことを言っている。「浪漫主義は最初の人間とともにこの世界に現れた」(「浪漫主義とは何ぞや」)というもの。このケーベル博士の見方からすれば、下重説は一種の「原罪論」となろう。その意味では、下重さんこそ「意味という病」にとりつかれた重症患者なのではないか、とツッコミたくもなる。ヒトがイヌをかんだことを追いかけるマスコミという特殊な環境の中にいると、それが現実であるかのように勘違いすることもある。ましてやそれが「時代を先取り」した手柄のように評価される世の中になると、マスコミが悪弊を助長しかねないという危うさもある。本書にも、そういうきわどさがある。いわんとすることはわからないではないが、ことは人間の根幹に関わることなので、願わくばもう少し、言葉は吟味して大切に使って欲しいと思った。
 
 
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