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絶対無の「場所」

 投稿者:山田武秋  投稿日:2019年10月 2日(水)11時06分11秒
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  志岐さん、ありがとうございます。水沢の国立天文台水沢観測所が日本代表として参画し世界初のブラックホール撮影に成功したことで、理論上存在すると言われていたブラックホールの実在が証明されたとされています。理論上は、現在の膨張宇宙もいずれ収縮するということも、可能性の一つと考えられているようですが、多分、人類がそれを確認できる確率は極めて低いと思われます。それでも、なのか、だからなのかよくわかりませんが、その先は哲学者の出番になっているようです。たとえば西田幾多郎の「場所」の論理は、ビッグバンの前について、一つの考え方を示しているように思います。つまり「場所」とは「無限の有を含む」とされますが、この考え方に従えば、ビッグバンも「(絶対)無」も場所から起こったということになります。この考え方は多元宇宙(無数の有)を導くものですが、ポイントは「無」とは「有無」の「無」ではなく「場所」であるとしたことです。「空っぽのなにもない場所、妨げるものがなにもない場所」。妨げるものがないから、ビッブバンも可能になるという寸法です。この考え方に立てば、ビッグバンの前にあったものは「場所」ということになり、その後の膨張宇宙も「場所」のなかで展開されている運動の一つ、ということになります。また、この「場所の論理」は、宇宙だけでなく、すべての存在に適用される。たとえば「私」も「場所」のなかで存在し、活動できているといううことになるかと思います。西田のこの哲学は仏教の「無」や「空」の考え方を西洋リベラルアーツの論理、用語でどう表現するか試行錯誤の上、到達した境地のようです。福岡伸一など、今、西田幾多郎を再評価する機運が高まっていますが、その背景には、志岐さんがご指摘のように、キリスト教的世界観の限界が見えてきて、それを超える世界観を模索しているかrだと思います。ただ、文系の私は、西田哲学にしても妄想を膨らませることができても、推論が正しいか見当はずれなものか、検証する術がありません。志岐さんのように、数学的、合理的な思考の基本ができている方とこのような話題を交わせることは、たいへん勉強になります。これからもよろしくお願いいたします。  
 
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